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Richard Davisインタビュー(1993)3/3

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イ: だけど僕にはChicagoはNew yorkに行く準備にもってこいの場所のように映るよ。あなたが経験したすべてのことはそうだと思う。ミュージシャンがChicagoに来た時、あなたは一緒に共演した... 

RD: 正しい!その通りだよ。Chicagoでおれが経験したことは間違いなくそう。おれにたくさんのことを教えてくれたあるサックスプレイヤーから多くのことを学んだ。Chicagoに来たミュージシャン達は色々教えてくれるんだ、あたかも自分のホームタウンみたいにね。だけど今もまだChicagoを発ってNew yorkに行くのは恐ろしいよ。おれはマジで行きたくなかったし緊張してた。Johneyは "行かなきゃならん" と言うし。戻ったとしても彼はおれに仕事をくれないだろうし、行くしかなかったんだ!

イ: 当時Sarah Vaughanとの仕事はどんな感じだった?彼女のミュージシャンシップのレベルに多くのオーディエンスは置いてけぼりになったんじゃないかな。彼女はたくさんのミュージシャンとツアーを回っていたっていう話を聴いたことがある。1952年にはNat Cole、Nat Coleは病気がちであまり夜の時間帯が難しかったみたいだけど,,,

RD; Mmm-hmm.

イ: 彼女はステージに出て、歌も全部歌うし、ピアノパートも自分で弾ききったと。

RD: 彼女らしいね。今日のShirley Hornのようだ。いかにも彼女らしい話だよ。

Roy HaynesはChicagoでプレイしてたしおれは彼に会った。当時彼はSarah Vaughanと仕事をしていた。Royとおれはすぐに青ざめちゃった。彼はおれを推してくれる人間のひとりだったよ。おれは右も左もわからなかったけど思い返してみると、それがターニングポイントだったんだと思うね。
Sarah Vaughanとの仕事に行ったけど彼女とやるのがめちゃめちゃ怖かったよ。Jimmy JonesとRoy Haynes、Sarah Vaughanとやる最初の2,3回のステージは... おれはtip-toein’ through the tulipsだった。ベースとすべての楽器を軽くアナウンスしてさ。それからおれは辺りを見まわして "Hey! おれは彼らから呼ばれたんだぜ" と言った。それからおれは前置きをしたうえで "Hey! 今からプレイするのは...." と言って、オープニングを始めたんだ。そうするとすぐに彼らが振り返ってるのはわかった。彼らは "Oh,奴が今からオープニングするんだな" って感じでさ。だけど本当に肩の力を抜いて真のプレイができるようになるのに2,3日かかったよ。

イ: Sarah Vaughanと仕事をしてる間はNew Yorkを拠点にしてたの?

RD: Yeah. New Yorkに引っ越したよ。Don Sherleyと一緒にNew Yorkにね。彼はおれにNew yorkへ行くキッカケの仕事を振ってくれた男。2年間彼と同棲した。1956年までかな、'56年から'57年の間はひたすらギグして回ったよ。どんな小さなギグでもひたすらやった。1957年にSarah Vaughanの会社からお呼びがかかったってわけ。

イ: その辺のレコーディングがあなたの名前を世界的に知らしめたんだと思う。ひとりのミュージシャンとしてのクリエイティビティを示すことができたし、1960年代初頭のBlue NoteとPrestige両方のレコーディングに繋がった...

RD: その通り。おれがSarahの元を離れると決めた後、5年後かな、初めての際立ったギグをやった人間はEric dolphyだった。地下鉄で彼はこう言った "来週何するの?" "特に何も" そう言うと彼は "おれと一緒にFive Spotに行かない?" と言った。

イ: 1961。

RD: Yeah, そしておれはこう言った "Man, oh God. New Yorkに良くいい機会だ!" ってね。

イ: Erick Dolphyとのかなり有名なデュエットをやってたよね。彼がベースクラリネットを演奏してあなたがベース、Douglasセッション。

RD: Mmm-hmm.

イ: 彼について少し付け足して、最近のあなたのグループの音楽の話に戻ろうか。

RD: 最初のセッションはおれの名前でやるべきだったと思ってる。てかもうどうだったのかすら覚えてない。そんなの問題じゃない。でも一緒にたくさんのフォークミュージックをやったDouglas、おれはたくさんフォークミュージックをやったよ、彼から "もしおまえがデュエットをしにスタジオに行ったら、誰がお前を指名するんだよ?だれとやりたいんだ?" って言われた。だから "Eric Dolphy" と言った。それがすべての始まりだった。

イ: 彼に初めてあった場所はどこ?

RD: 地下鉄の電車の車内だよ。

イ: Oh, その前は彼のことを知らなかったの?

RD: そんなことは無いと思うよ(笑)多分彼はおれのことを知ってただろうね。だけど彼と会ったとき、正直おれは彼がEric dolphyなのかOrnette Colemanなのかわからなかった。だって当時彼らは両方長いあごひげを蓄えてたからね。

イ: あなたとEriic dolphyはシーンの顔役のメンバーだったよね。Andrew Hillの「Point of Departure」とかね。あなたがAndrew Hillとやった4,5作品のうちの一つ。

RD: Yeah!

イ: この時期はほんとにクリエイティブだったよね。あなたはBobby HutchersonとAndrew Hillのレコードで演奏してた。本当に多岐にわたった活動だし、これらのレコードには憶測などが飛び交ってるよね。

RD: Uh-huh.

イ: これらのレコードの制作背景について少し話してくれないかな。

RD: おれのベースプレイヤーとしての貢献のことを話せばいい?

イ: あなたの貢献やミュージシャンひいてはグループの信念とか。

RD: まず最初に、これらのセッションを企画した会社があるってことだ。Alfred Lionとかそんな感じの人たち。彼らは念入りにリハーサルをする。リハーサル一回でもミュージシャンに金が支払われた。スタジオでリハーサルが行われる。やらなきゃいけないことをやるのさ。誰がソロをやるのか、曲は?すべてをね。Alfred Lionはいつもチョコレートを食べていたのを覚えてる、彼はおれにもチョコをくれるんだ。なぜならおれもチョコが好きだから...!そして彼の友達のFrancis Woolfじゃいつも写真を撮ってたな。すごく素晴らしい組織だった。彼らのような男たちがこの音楽に貢献してたんだよ。

当時はKenny Dorhamもいた。彼とはNew Yorkのクラブでたくさん仕事をしたね。おれは彼のことが大好きだよ。かっこいいんだ。KennyはおれのことをFoxと呼んでいた。なぜなら彼はおれのことをエキストラだと思っていたからね。

イ: 当時あなたの後に曲を書いた、「Trompeta Toccata」は彼じゃなかったっけ?あれはあなただ!

RD: 彼があの曲に関わっていたかどうかはわからない、だけど彼はおれのことをFoxと呼んでいたし、EricはおれのことをIron Manと呼んでいたよ。おれが無尽蔵のエネルギーを持ってるとEricは思っていたからね。Ericは「Iron Man」と言う曲まで作ったんだ。彼は "Man, いつかおれはお前みたいになるぜ、おまえみたいに忙しくして、なおかつそれをこなせるようになってやる" と言ってたよ。たくさんの人がおれがクスリやってると思っていたんだ!

もちろん、いつだってクスリはミュージシャンにつきものだよな。ミュージシャンたちが裏でやっていても暗黙の了解みたいな。Eric 
Dolphyの話なんだけど... ある夜Birdlandのステージにいたおれらの仲間がバックステージに走ってったんだ。Ericは"やつはどこだ!?奴はどこだ!?"  と興奮してたね。誰かが "Eric Dolphyはクスリやってんの?" って言ってたのを覚えてる。Man, Eric Dolphyはクスリから程遠い存在だぜ... 彼はいつも音楽だけでハイになってた。彼の音楽はマジでとてつもなかった。

そしてKenny Dorhamは彼自身の作曲やサウンドにとてもプロフェッショナルなアプローチをしていた。おれがベースの演奏の仕方を学んでいるだけのとき、おれが聴いていた男だからね。おれにとって彼と一緒のステージに立つってことはとても気分が良いものだったよ。そしてJoe Hendersonもいたな。彼のプレイにはとてもユニークなサウンドとコンセプトがあった。Man, 天国みたいだったな、若き日のtony Williamsもいたぜ。

イ: 会話が終わらないね。何か曲をかけようか?

RD: Yeah.

イ: どれにしようか。

RD: 何を選べばいいかわからない、何年も聴いてなかったからね。最近ならおれよりもあなたの方が聴いてるでしょ。

イ: 「New Monastery」はどう?

RD: あなたが言うのなら何でもいいよ、ドクターさん。

イ: あなたの方がドクターでしょ... それはさておきあなたは音楽のドクターだよね。Madisonで教えてるよね。

RD: おれは博士号持ってる。音楽の名誉学位ってやつをね。おれはUniversity of WisconsinのMadisonキャンパスの教授でもある。

イ: University of Wiscincineでのあなたのカリキュラムとバンド.... あなたが教えるジャズ史の授業はあったの?たくさん人は入った?そのときのあなたが受けた学生たちの印象は?

RD: そのクラスは履修初日はクローズドなんだ。学生たちが授業に出ようとしたり、ウェイティングリストに記名したりするってことね。おれはあまり推奨しないけど、だっておれはナイスで親密なスモールグループを望んでるからな。それに85人に制限しようとしてるんだ。だけど通常110ぐらいまでいっちゃうんだよね。200人収容の講堂でね。だからみんなが満足いく内容ができるってわけ。おれのクラスにいる学生はアメリカ全土から集ってきている。おれがいろんな町に行っても受講者がいるんだ。例えば先週おれはL.A.にいたんだけど、このクラスを受講していた6,7人の学生に会ったよ。ここNew Yorkでは一晩で3,4人に会った。

でもこれはおれを成長させてくれたり伝統的なジャズの遺産を知るいい経験なんだ。グローバルなものを読み取ることを考えさせられたよ。なぜならおれはそれをジャズのシチュエーションと関連付けて、おれらの社会にどうフィットするのかを考えるのさ。

イ: そのカリキュラムへどうアプローチしてる?ジャズの始まりから現代にかけて年代順にカバーしてるの?

RD: 退屈な授業にならないように気を付けてるぐらいだな。最初は1920年代から現代にかけて、だな。大まかな歴史をやってるよ。おれはそれを4つのカテゴリーに分けている。1つのセメスターはサックスに集中する期間。次のセメスターはトランペットプレイヤー、その次はボーカリスト。その他の楽器やトロンボーンとか。その次はリズムセクションだね。ビッグバンドはおれのカリキュラムでは扱わない、他の教授がやってるからね。彼はバンドディレクター、コンサートバンド、マーチングバンドとかもやってる人。ビッグバンドをやってるのさ。

おれがやってることって言うのは学生にジャズ史を発展させてきた人たちのイノベーションを知ってもらうことなんだ。ジャズが社会に与えた刺激、経済状況とか音楽制作とかについて話すぜ。おれのお気に入りの題材の一つにジャズのプロテストソングと20世紀の軌跡がある。

イ: 最後の音楽をかける前の最後の質問なんだけど今日制作された音楽とプロデュースされている音楽の状況について。特に多くの若いミュージシャンのジャズへのアプローチレパートリーの種類をね。まあざっくり言うと、この音楽の未来を担う若いミュージシャンのことをどう感じる?

RD: その質問を正確に理解できるならば.... その答えになってないかもしれないけど....

イ: ぼんやりした質問だからね。

RD: Yeah. おれが若いミュージシャン達と共有しているコンセプトの概要を少し話そうかな。彼らはネクストジェネレーションだと思ってる。Javon JacksonとはCaliforniaで一週間一緒にバンドをやったよ。まず最初に彼はすごく良いパーソナリティーを持っている。ダイナミックなんだ。彼は自分がおれの息子かどうか質問してきたんだぜ!光栄だったよ、だって彼はおれの息子じゃないけどネクストジェネレーションが出てくるのを感じるとき、音楽的には子供みたいに同じセンスをしてるのを目の当たりにするよ。彼の才能は...おれの推測だけど、すごくストロングだ、それに彼の姿勢はこの音楽への敬意にあふれている。ただただ素晴らしいとしか言いようがないよ。

もうひとりのgodsonもいる。Eric McPhersonだ。彼はドラマーとしてJackie McLeanと共演してる。おれは彼が生まれる日にその病院にいた。病院に彼のお母さんを会いに行ったんだ。そして生まれたばかりの彼を見に行くためにね。おれらはマクドナルドのハンバーガーを食べに行ったり映画を観に行ったりもしたね。おれがNew Yorkに来た時は遊ぶ感じだったけどそっから彼はドラムを始めた。夜にはクラブに来るようにもなっていった。Ericは座ってコカ・コーラを飲みながらFreddie Waitsを聴き込んでいた。当時おれと一緒にやっていたドラマー(Billy Hart)も聴いていた。そして彼はドラムを学び始めたんだ。今の彼を見るとプロフェッショナルにプレイしてるぜ。彼の音楽は本当に尊敬に値するよ。だってネクストジェネレーションはプレイしたいという気持ちが必要だと考えている。演奏へのチャレンジがとても求められてるのさ。Ericは奨学金をゲットして、Jackie McLeanと学んだ。彼の友達のアルトサックスプレイヤーであるAbeとか一度一緒にやった。おれらのサックスプレイヤーが来なかったからね。彼はほんとにオーディエンスを盛り上げていたよ。

イ: もの凄い才能がごろごろいるね。

RD: マジですごいよ。聴いていいと思ったかなり多くの若いミュージシャンがいる。わかるっしょ?レコーディングとかライブとか何でも話したいことがある。願わくばおれら世代はバトンを渡したと思うよ。正しい人物にね。

それとすごく良いのが、おれら世代とはかなり違うビジネスに対する姿勢だね。Terence Blanchardみたいな若いミュージシャンはナイスで優秀な若い弁護士を抱えている。おれは彼とEric Dolphyのメモリアルセットをやった。彼は代理人として話す素晴らしい若い弁護士を雇っていた。20代中盤ぐらいの男だったな。その年齢だったけど彼はとっても礼儀正しかった。

一方おれら世代の何人かは作曲や演奏に関しての才能を持っていたけど、ミュージシャンを搾取する綿農場から逃げ出すだけのビジネススキルを持ってなかったんだ。言ってることがわかるか?これはほとんど "自分が手に入れることができたものに満足してます" って言ってるようなものなんだ。しかし今おれら世代は若い世代がビジネスをやっていることを知ってしまった。Micheal Jacksonのレコーディングみたいなことじゃなくてさ。でも人々が買ったレコードにはすべて彼らのインテリジェントな姿勢があるよ。

イ: 音楽の未来についていい感想があるなら話すのは大丈夫だと思うよ。

RD: Oh, おれは良く思ってるよ。

イ: そしてあなたは音楽の未来であり続けるんだからね。

RD: Oh yeah!

イ: 今週Sweet Basilに出演するRichard Davis and Friendsに足を運ぶ人へ向けてね。

RD: Yeah.

イ: あなたが1987年五レコーディングした娘さんへささげた曲で締めよう。

RD: 「Persia」

以上です。

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