1942年の宿泊拒否〜Howard McGhee記事(2013)
Howard McGheeはビッグバンド全盛期〜ビバップ時代に活躍したトランペット奏者です。
今回は今よりも人種差別が横行していた時代、McGheeがWorcesterで体験した差別についての記事を翻訳しました。
翻訳元サイト↓
http://jazzriffing.blogspot.com/2013/09/trumpeter-howard-mcghees-endless.html?m=1
Worcester(ウースター)はマセチューセッツ州中央部の都市です。
それではいきましょう。
トランペット奏者Howard McGheeは最初に白人ビックバンドに参加した黒人ジャズミュージシャンの1人だった。
しかし彼はWorcesterのホテルから宿泊を拒否された。
時は1942年。彼はCharlie Barnetオーケストラとツアーを周っていた。
このオーケストラはPlymouth Theaterに3泊でブッキングされていた。
Charlie Barnetはサックス奏者、作曲家、バンドリーダーです。
1930年代後半〜40年代前半は白人のみで編成されたバンドがほとんどでした。そんな中、Charlie Barnetは自身のバンドに黒人を起用しました。このことから彼が率いたバンドは "最も黒い白人バンド" として知られていました。
Charlie Barnet ↓
当時はビッグバンド黄金期だった。同時に第二次世界大戦中でもあった。
不幸なことに、黒人差別や差別主義者の習慣がアメリカ中に蔓延していた。
Worcesterには奴隷廃止が叫ばれていた時代に人権を支持した歴史がある。これは誇りだ。
20世紀、KKKが集まっていた場所でもあったのに関わらずだ。
KKK(クー・クラックス・クラン)は白人至上主義団体です。
KKKは拡大と凋落を繰り返してきた集団であり、その歴史は3つの時代に分けられます。
1番勢力を拡大させたのは1915年からの第二の時代です。
愛国心の主張、敵国からの脅威の強調でメンバーを急激に増やしました。
近年のKKKは黒人やアジア人のみならず、ユダヤ人や移民、LGBTにまでヘイトの矛先を向けているそうです。
1940年代のアメリカ国勢調査によると、Worcesterの人口は193,694人。
その中でも有色人種は全体の10%にも満たない。
McGheeの記録: 彼は1918年、OklahomaのTulsaで生まれた。そしてDetroitで育った。ニックネームは「Maggie」
Barnetと仕事する前はLionel HamptonやAndy Kirk、Count Basieと仕事をしていた。
McGheeは徐々に才能を開花させた。Dizzy Gillespie,、Thelonious Monk、そしてBebopと呼ばれる革命的なニューミュージックを大成させた1人とされるCharlie Parkerと共に。
ドラッグは約束されたキャリア中ずっとMcGheeの人生を苦しめた。
1987年ニューヨークにてMcGheeは死去した。
Worcesterの出来事はSanford Josephsonによって本「Jazz Notes: Interviews Across the Generations」
に記されていた。
Josephsonはインタビューの場を設け、言った
"白人のバンドに在籍した唯一の黒人メンバー、それがMcGheeの功績だ。
それは彼の目を開かせた。そして想像していたものより、過酷だった。"
インタビューは1980年代のいつかに敢行された。
Josephson曰く、このエピソードはJosephson自身に深く響いたそうだ。
加えてこう言った。"McGheeは経験した惨劇のいくつかを誤魔化そうとしていた。しかしその傷は躍進へ導いた。"
McGheeは出来事を詳しく語る。
"一度、おれらはMassachusettsのWorcesterに行った。
今のWorcesterに偏見は無い。わかるだろ?"
彼はこう続けた。
"少しだけ嘲りの色が強かった。
おれはホテルに向かった。他のみんなと同じように部屋があると予想してた。
でもホテル側はおれの予約が無いから泊まれないと言ったんだ。"
"おれらはそこに4日間滞在する予定だったんだ。
おれは自分で寝床を見つけなきゃいけないと理解した。
他のみんなはホテルにチェックインしてた。だからヘヴィブロウのようだったよ。言ってることがわかるか?
寝床を探すために夜通し歩かなくちゃいけなかったことは、おれにとって面倒事なんだ。"
1942年のWorcesterの住所録では、40のホテルが載っている。
ほとんどがPlymouth Theaterから歩いて行ける距離のダウンタウンエリアに集中していた。
当時、BarnetはWorcesterエリアで何年も演奏していた有名バンドリーダーだった。
彼はローカルのダンスホールや劇場そしてWorcester公会堂で、よく公演していた。
「Skyliner」のようなヒット作は彼を何年もの間、ツアーサーキットのいいポジションに位置させた。
McGheeが宿泊拒否された後にとった最初の行動は、この町に有色人種が住んでいないかタクシードライバーに尋ねることだった。
タクシードライバーは面倒くさそうにこう言った
"この辺のどっかに2つぐらいはある。"
ドライバーは明らかに苛立っていたという
"彼は自分の頭を掻き毟ったり、そういう類のことを全てやっていた。
だからおれは言ったんだ。'それがどこか知ってるのか?'
すると彼はこう言った 'わかるかもしれない'
最終的に彼は正しい情報でおれを連れてってくれた。
そこがおれが見つけることができた唯一の寝床さ。他に何もできることはなかった。
Worcesterに知り合いはいないからな。"
残念なことに、これらは人種差別を黙認する「equal but separate」の社会において当たり前のことであった。
一般的にアメリカ中の黒人居住地域はよそから来たミュージシャンや役者といった人たちの宿泊を受け入れていたという。
ホテルがあまりなかった時代、黒人コミュニティはくたくたに疲れた旅人を受け入れていたという。
Duke ElintonやCount Basieなどもその恩恵を授かった。
equal but separateは人種差別を容認するような合衆国憲法の解釈です。
この解釈は公共のサービス(病院、教育、雇用)が与えられていれさえすれば、人種を差別してもよいという考え方です。
しかし実際は公共の福祉の均等さえも無かったそうです。
学校を例に挙げるならば、1934年〜1936年のフロリダでは白人の学校には約7000万ドルの資金が投じられたのに対し、黒人の学校には約490万ドルしか与えられなかったそうです。
なので黒人の学校の多くは教会の中や掘立て小屋であり、しかもトイレ、机、黒板が無い場所も当たり前だったそうです。
そんな夜遅くの出来事の後、McGheeは寝なかった。そして次の日の言葉を考える気分でもなかった。
"Charlieがおれに何があったんだと尋ねたとき、おれは言った
'おれはここに予約されてなかったんだ。夜通し寝床を探し回ってたんだよ' ってね"
McGheeはCharlie Barnetの名誉のためにこう付け加えた。
"Charlieはマネージャーにブチ切れて、彼をクビにしたんだ。Charlieはほんとにいい奴だったよ"
このバンドリーダー(Charlie)はバンド編成に人種差別があった時代に活躍していた。
"事実、Charlieは最初にバンドに黒人ミュージシャンを取り入れた白人ミュージシャンの1人だ。
Holland、McGheeを加え、ボーカリストのLena Horneを雇った。トロンボーン奏者のTrummy Youngや、ベース奏者のOscar Pettifordも、全部1940年代初頭の出来事さ。"
"おれはCharlieとよく遊んでた。全てが良いシチュエーションでは無かったけど。
人種が混ざり合った町ではおれたちにトラブルは無かったんだ。
Charlieのバンドはおれの前にも有色人種を雇っていた。Peanuts Hollandとかね。
でもおれが雇われた期間、おれが唯一の黒人だった。
おれは白人バンドと旅をすることがどんなものか全然知らなかった。
(人種間の)大きな違いを知らなかったんだ。"
Josephsonはこうコメントした。
"バンドがホテルにチェックインしたときに「違い」ははっきり現れた。
普通、バンドのマネージャーはMcGheeが宿泊できるように配慮するだろう。
しかし時々、マネージャーはメンバーの1人が黒人だったことを忘れた。"
唯一の救いはあの夜McGheeが避難出来た場所がLaurel/Claytonだったことである。そこは好意的な伝統があるアフロアメリカンの居住地であった。
そして著名な黒人や白人ミュージシャンの地元でもあった。
290 expresswayが建設されて中心部が引き裂かれる前までは、Worcesterのブラックコミュニティの中心だった。
Laurel/ClaytonはWorcesterの地域の一つです。
地域内に学校やレストラン、美容室と結構栄えていた地域だったそうです。
しかし1960年代から高速道路や集合住宅を建設する都市計画が始まりました。その計画によってLaurel/Claytonは分断されたそうです。
ここもMcGheeが演奏したPlymouth Theaterから1マイル(約1.6km)も離れていない場所だった。
Worcesterの地で起こった出来事はこのアメリカ人アーティストに永久的な影響を及ぼした。
以上です。
人種差別や都市開発のネガティブな面といった、社会の暗黒面が汲み取れる記事だと思いました。
equal but separateやKKKはどちらも南北戦争周辺の時代背景があります。
奴隷制に代表される人権軽視が今の時代じゃあり得ない考えを産み出すのかなと思いました。
それからこの記事を読む限りCharlie Barnatが容姿だけでなく中身も男前だということがわかりますね。
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