"ほぼ"全員悪人〜 Carlton Barrett殺害事件の裁判(2013)
Carlton Barrettとはレゲエ界のレジェンド級のドラマーです。ボブマーリー擁するWailersのドラマーとして有名です。
3拍目にアクセントを置く「ワンドロップドラム」を発明したのはCarltonだと言われています。
Carltonは1987年4月17日の21時30分に自宅の前で銃殺されました。
Carltonを殺害した容疑をかけられたのは
・Carltonの妻であるAlbertine
・Albertineと不倫関係にあったCarter
・殺害を請け負ったとされるNeil
の3人です。
それでは行きましょう。最初はあらすじです。
※ジャマイカの裁判は日本と同じ三審制を採用しているのかはわかりませんでした。よって上告や控訴という言葉は用いずに「上訴」で統一します。
翻訳元の記事↓
http://www.jamaicaobserver.com/news/Cheating--wife-freed-of-murder-of-musician-Carlton-Barrett_13806115
Ellis判事はよくわかっていないまま、Albertineと他の2人の男に7年間の実刑を言い渡した。そしてこの事件には契約殺人の有無が争点になるという旨の発言をした。
さらに「契約殺人の解決はとても難しい。なぜなら実行犯は犠牲者とは無関係な人物であるからである。」という発言もしている。
"あなたが殺人を企てた。" 判事は判決を待つAlbertine Barrettに言い放った。
彼女は結婚しており、子供を身篭って7か月目であった。
判事は彼女に向かって罪状を読み上げる前にAlbertineに言った。"あなたの弁護士のTavares-Finsonは雄弁かつ、誠実に夫であるCarltonとの酷い生活について言及した。
しかし私には自分がやったことを棚に上げているようにしか見えなかった。"
Albertineと共に有罪判決を受けたのは彼女の愛人であり、タクシードライバーのGlenroy Carter。そして石工のJunior Neil、通称"Bang"。
彼らも検察からCarltonを殺害したとして起訴されていた。
しかし1994年、証拠や提出物の検証
と2つの裁判、控訴院への上訴の結果、陪審員団は25分の退席を伴う協議の後に被疑者である3人に無罪
の判決へ翻った。3人は無罪になったのだった。
ジャマイカには基本的に地方裁判所、高等裁判所、控訴院の3つの裁判所があるそうです。地方裁判所から始まり、判決が不服ならば上訴していくスタイルです。
ここからが詳細です。時系列が行ったり来たりするので少し読みにくいかもしれません。ご容赦願います。
1987年に検察はCarltonを共謀して殺した疑いで3人を告発した。
"容疑を自ら認める文書が告発された3人から警察へと提出された"とされていた。Carltonの殺害に2万ドルが受け渡されていたことを認める内容であったという。
それらの文書は証拠になり得た。
Carterはアメリカに住んでいるジャマイカ人だった。彼はジャマイカでのバケーション中にAlbertineと出会って2人は愛しあった。
Junior Neilは彼らからCarltonの殺害する契約を請け負った。
3人は容疑を認める書類の提出は任意ではないとして抗議した。
彼らは警察から暴行を受けて、強制的に書類を提出させられたと主張した。
最初の法廷では陪審員団による判決の形成には至らなかった。
2回目の法廷を取り仕切ったのは判事Pantonであった。
Pantonは被告から提出された文書は法的に認められないとした。検察が被告たちに提出を強制するために暴力を振りかざしてないことを証明できなかったためである。
裁判官は続けてDonald Brown警視には責任は無いとした。
Donald Brown警視はCarltonの殺人事件が起きた直後から捜査に関わっていた人物だそうです。
この3人に容疑がかけられるようになった理由は
・Brown警視が3人の逮捕へ繋がるカメラの証拠を提出した
・3人がそれぞれ容疑を認める文書を警察に提出した
以上2つの理由からだったそうです。
治安刑事であるOswald BrownはAlbertineとCarterが容疑を認めた文書を提出した場所に居合わせていたと検察側に証言した。
同じく治安刑事であるHarold NembhardはNeilが文書を提出するところを目撃したと証言した。
CarterとAlbertineは書類について警察から"キングストンのSeaward DriveとMolynes Roadの交差点でNeilと落ち合って、NeilにCarltonを殺せる人はいないか尋ねたことにしろ"と言われたことを告発した。
さらにAlbertineはその書類にてNeilにCarltonの顔写真とCarltonの運転免許証、Carltonが乗っていた車の写真を渡したことを認めていた。
これらの証拠が2回目の法廷で出揃ったが、Petterson裁判官は再審を決定するという結果になった。
↑Seaward Drive
↑Molynes Road
1988年、1回目の法廷にてNeilはCarlton殺害を否認し再審を求め続けていた。
Neilは拘置場に再拘留されて、他の2人の結果を待っていた。
再審は1990年に行われた。1991年には高等裁判所への上訴が認められて新しい裁判が執り行われた。
最終的に1994年11月、容疑をかけられた3人に対して逆転無罪の判決が下された。彼らは自由になった。
最後の法廷にてNeilは裁判官や陪審団に警察から受けた暴力と容疑を認める書類へサインすることを強要されたと訴えた。警察はコンクリートのブロックとNeil睾丸をワイヤーで繋いでいたという。
そしてNeilが容疑を認めるように仕向けていたのはBrown警視だったということも証言した。
Albertineは泣きながら、殺害されたCarltonは薬物中毒であり、DVを受けたことを証言した。
AlbertineはCarltonから受けた酷い仕打ちの数々を話すも、Carlton殺害の計画については否定した。
ネットでいろいろ探してみましたが、Carltonが薬物中毒だったという情報を見つけることができませんでした。
AlbertineはCarltonと暮らしている間にCarterと浮気していた事実は認めた上でCarlton殺害には関与していないとした。
Carterも泣きながら証言した。彼は警察が自分を探していることを知って、1987年4月22日、キングストンにあるConstant Spring Police Station(警察署)に出頭した。その2日後にRed Hills police station(警察署)に移された。
そこでサインさせられた書類に関して拒むことはおろか、詳細を読むことさえ許されなかったと彼は証言した。
↑Constant Spring Police Station
↑Red Hills police station
警察から暴力を受けて容疑を認める文書にサインせざるを得なかったという証言がAlbertineとCarterで一致した。
Carterは保釈金として10万ドルを支払おうとするも、受理されずに不当に拘束され続けた。それは適切な弁護士と相談することさえできなかったので、Carterには国選弁護人が割り振られた。
しかし1990年4月、次の法廷が開かれる前に事は動いた。
Albertineの弁護団であったSamuelsが必死にCarterのために次の法廷の準備を行った。
Albertineの弁護士: Tom Tavares-Finson、Dr Paul Ashley K D Knight、QC、 Bert Samuels、Norman Harrison 計6人
Neilの弁護士: C J Mitchell Gayle Nelson 計2人
Albertineの総火力が飛び抜けてますね。本気度が伺えます。
Panton判事はCarterの発言通りの問題があったとし、Carterを無罪にした。
4年後の1994年に3人全員の無罪が確定し、自由の身となった。
以上です。
暴力を振るう警察、嘘の証言をする治安刑事、不倫してるCarter&Albertine、適当な判決を下す判事
こうして書き出してみるとこの世の終わりのような状況ですね。
記事を読む限りまともなのは弁護士とNeilだけな気がしました。
結局真犯人は見つからず終いなのでしょうか?ネットで調べてもわかりませんでした。知ってる方いたら教えてください。
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