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Sly DunbarインタビューPart2(2017)


レゲエドラマーSly Dunbarのインタビューを訳しました。

翻訳元のインタビュー↓


part1↓

https://note.com/kijihon/n/n7ee340b4e990

それではいきましょう。
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Part2ではRobbieがどのようにプロデュースを始めたのか。デジタルリズムのアドバンテージ、アフリカが「Murder She Wrote」に与えた影響、Kingston All-Starsとの最近の仕事が語られている。

イ: 前にもインタビューしたけど、あなたはずっとストレイトフォーのフィル、Lloydとフライングシンバルに関してかなり教えてくれてるよね。だけどこのChannel Oneが有名になったドラムパターンは昔からあったの?それとも完全にあなたの頭で考えたもの?

SD: 完全におれが考えたんじゃない。おれはたくさんのドラマーのプレイを聴いていた。だけど当時のレゲエには型がなかったんだ。「tick tick car」という1つのパターンがあって、ドラマーたちはときどきそれをランダムにミックスするんだけど、イマイチ形になってなかった。Addis Ababaに立ち返ったら、Lloyd Knibbsがパターンをやってたってのはこういうことさ。インタビューしても答えてくれると思うぞ、だっておれは彼にいつもそのことを質問してるから。彼は "Yeah man" と言ってくれるよ。

この曲でパターンを正しくプレイしてる人がたくさんいることはわかってる。"もし人々がこのドラミングパターンを口ずさむ前におれがこのパターンを演奏したらなぁ" とか考えていたんだ。だからおれは正確にそれをやった。誰もがそれを機械でループさせたものだと思ったんだ。3分間ドラムを正確に補正したってね。多くのレゲエドラマーがたくさんの要素をランダムにプレイするぜ。彼らはパターンを正確にキープしないだろう。だからChannnel Oneでパターンをやって、Jojoがそれに反応したってわけだ。

イ: 前にBarnanasにインタビューしたんだけど、彼はChannnel One作品のあなたからドラムを学んだって言ってたよ。それからあなたとRobbieが輝いてたのは、借りてきたプロデューサーたちが求めてない正確なパターンをChannel Oneであなたがプレイしたからだとも言ってた。プロデューサーたちはファッション的なものを求めていたけど、あなたは自分のやり方でドラムをプレイした。

SD: Jojoは何にでも許可を出してくれる男だった。なぜならプロデューサーはおれがビートを固めるまで曲をカットしなかったからね。彼らはいつもダブミキシングしに戻るからドラムパターンはそこでプレイするんだ。ベースとドラムがバラバラだったらミックスでたくさんのディレイをかけるんだけど、それはおれらが"セッションが終わった後おれらは何したらいいんだ?" と言うようになってからのこと。おれらは自分たちも同じようにレコーディングをやらなくちゃいけないって言い始めたんだ。
そのときまだおれはたくさんの人とのレコーディングがあったんだけど自分らのレコーディングも始めた。プロデューサーたちが求めてなくておれらだけが理解していたことをやってたんだ。Baltimoreみたいな。もしおれがJoJoやErnestと制作したら、プロデューサーたちは反応しなかっただろうな。でもおれらは音楽産業は何か特別なものを必要としていることをわかっていたんだ。Robbie Lyn周辺の人間とや他の素晴らしいミュージシャンとは違うことをやろうと決めたんだ。自分たちの曲を自分たちでプロデュースして感じたままにプレイするのさ。

イ: Clive Huntがあなたに最初のシンドラムをあげたって言ってたよ。

SD: 彼のショップで購入したと思うよ。

イ: Sam Ash Musicだよね。

SD: Yeah. Black Uhuruとのツアーでも使ったよ。赤、緑、ゴールドのドラムセットさ。彼はおれにそのドラムセットを託した、なぜならカスタムメイドのセットだったからね。おれらは毎日Cliveをチェックしに行ってたよ。彼と店の近くをぶらついてた。

イ: レゲエとダンスホールにおいてデジタルはどこから発生したと思う?CliveとSuper CatはTyrone Downieこそデジタルリズムを実験的に用いた最初のプロデューサーだと言ってたよ。

SD: 最初にそのことを聞いたのは誰だっけな?Familymanだったと思うけど合ってるかな?Familymanは「Chim Charie」っていう曲を作った。そして彼はErrol Thompsonと仕事をすることになったんだ。Errolにとってちょっとしたマイルストーンが「Squeaky」。
よくわからないけどTyroneとScratch, Familymanらへんだろう。だってScratchは未来人だからな!(笑)それによってドラムマシーンでプレイしたBobの曲が2つある。実際にデジタルをレゲエに持ち込んだ人はわからないけどScratchのスタジオでドラムマシーンを見たのは確かだ。Familymanがそれを使っていて「Chim Cherie」を作ったのも知ってる。

イ: ジャマイカでデジタルの波が来ていたの?Bobはデジタルにフィールしてなかった?

SD: ドラムマシーンはレゲエシーンにずっとあったんだけど、ほとんどのドラマーはそれを使うことはあまりなかった。FamilymanとかTyroneはドラムマシーンを使ってバカやってたんだと思う。だってTyroneは実験的な男だし、Familymanもそう。「No Woman No Cry」や他の曲で同じドラムマシーンのサウンドは聴くことができる。Bobはデジタルにフィールしていたよ。彼も同じように実験的な人間だったとおれは理解してる。Bobはいつもフレッシュなものを欲していた。

イ: ダンスホールがジャマイカの初期リズムを形成したように、パターンに回帰したよね。僕はジャマイカにこのことについてレクチャーに行ったんだ。あなたとRobbieがやっていたことについて見解はある?

SD: おれは聴いてたしいまだにやっている。祭りにもなると、おれは座ってお年寄りのダンスやbanjoの演奏とかを見るんだ。なぜならそこには出自のリズムやハートビートがある、まるっきりアフリカンなんだ。そうやっておれは「Make Murder She Wrote」のアイデアを得た。そのダンスを見て彼らのダンスをノせるドラムを考えるのさ。すべてがそこにあるんだ。だけどおれらはそれを前に推し進める。そういう音楽やダンスを楽しむ人間全員によって作られていて、おれらは後からそこに加わったんだ。アイデアを目にしてそれを続けるのさ。

イ: 音楽以外からあなたの音楽にインスパイアしたものは?今まで本当に食らった音楽は?

SD: おれは人々を見て体を動かすんだ。おれとお母さんはRex Nettlefordを見るのが好きだった。彼はとてもクリエイティブなダンサーさ。彼らがダンスしているときおれは気付いていた、ドラマーがかなり重要な存在なんだってことにね。身体が突き動かされる感覚はドラムから来るもの。先人たちはドラミングで人々を動かしていたことにおれは気付いたのさ。これはおれが自覚的に楽器を始めた理由。人々は音楽を聴いたら。思い思いに体を動かすからね。

おれはJemes Brownを聴いていた。James Brownは "ドラムをよこせ" と言って、2人のドラマーが演奏を始めて会場は大盛り上がりさ!人々は飛んだり跳ねたりだよ! "こんなのレゲエにあるかよ?" って思うよね。だってレゲエはこんな感じだったろ(シンプルなワンドロップビートを叩く)。だけどおれがJemes Brownをチェックしたとき、同じテンポやビートだったんだ(Jemes Brownのドラムスを真似て見せる)。"Oh, こうできるんだ!" って感じだったよ。

おれがChannnel Oneで仕事し始めたとき、実験をやり始めて間違いない曲をレコーディングしたんだ。アフリカに目を向けて見ろよ、ドラムとベースが一体になってるぜ。誰もが踊りながらワンドロップをプレイしていたんだ。Bobはいつもおれにアルバム一枚を演奏して欲しがっていた。でもおれはPeterとツアーに行ってたからそのチャンスが無かった。Bobはおれにこう言った "Boy, おれはお前がやってることが好きだけど、おまえは最終的に別のやつのところに行っていまうんだ!おれのところには来ないくせにな!"

イ: でもあなたはBobと数曲やったよね...

SD: ある晩、彼は帰ってきたんだ。亡命してた頃ね。ScratchとBobはHope Roadでおれを見かけて、Scratchは "Sly! Bobが帰ってきてるぞ。おれらは今からスタジオに行こうと思うんだ" と声を掛けてきた。夜の12時だぜ?結局おれとBob, Boris Gardiner, Scratchはスタジオにいった。Scratchはおれにワンドロップをやってほしい旨を伝えた。Bobはおれを見て小声で "ワンドロップをやるんじゃない。お前のプレイをしろ。長い間おれはワンドロップの上で歌ってきたから違うのがやりたいんだ" ってね。だからおれはいくつかストレイトフォーをやったら、Bobは "Yeah man, それこそおれが望んでいたものだ!" と言った。その曲は「Smile Jamica」なんだけどどんな風なのか知らない。二つのバージョンがあるからな。そのうちの一つがストレイトフォーのバーションがある。それは多分おれがやったやつなんだけど、あんまり人に言いたくない。Scratchのとこでやったし、深夜にレコーディングしたやつだから。

ある日おれがJoe Gibbsのとこに歩いて行ってるとRuddy Thomasを見つけたんだ。彼は "Sly, Scratchがお前を探してたぞ.。ドラマーが使い物にならないから曲があるんだってさ" と言った。おれは "誰のことを言ってるんだ?Scratchのとこには良いドラマーが何人もいるだろ" と言った。"上手くいかなかったんだってさ" ってRuddy Thomasはそう言った。おれはこう言った "どの曲のことを言ってる?" Ruddy Thomasからその曲が「Punky Reggae Party」って言うことを教えてもらったおれは "おれが今日レコーディングすることを知ってるだろ?それが終わったらすぐ行ってレコーディングするぞ。やる気になっちまったよ" と言った。

おれはレコーディングに行ったら、テープには何も手が付けられておらずBobの声があるだけだった。おれはテンポを感じ取って "おまえはくそったれのBobか?" と言ったら、Bobは "そうだおれはクソッタレだ" と言った。おれはロールをやって"まだお前はクソッタレBobなのか?" と聞いたら "そうだとも" とBobは言った。おれは "Alright" と言った、7分間おれのドラムとBobのボーカルしかなかったからね。"Bob, 今日のところはおれはもういいだろ?" おれはそういって切り上げた。Flickは後でBobを呼びだしたら、Bobは "Slyはドラムを叩いて、きっちり仕事をしたよ!" と言ってたらしい(笑)。Scratchは「People Funny Boy」っていう一冊の本を持ってて、多分それを引用したんだと思う。「Police and Thieves」もおれがドラムをやった彼の作品だね。みんなScratchのことを変人扱いするけどそうじゃない。彼はこのことを覚えているかな?

イ: ジャマイカのレコーディングに生ドラムがカムバックしたときのことを覚えてる?

SD: いつだって生ドラムはあった。なぜならおれがドラムマシーンを打ち込んだとき、多くの人たちはおれがドラムマシーンをいじってるところを見たがらないんだ。彼らはChannnel OneとかJoe Gibbsサウンドがイメージにあるんだ。Grace Jonesとの仕事の間なんて皆おれに生ドラムを求めていたよ。でもスタジオにドラムセットが無かったんだ。コントロールルームは大きくて、小さなボイスルームがあるんだけど、バンドセットができる場所は無かった。

現在、人々は機会を奪われていると思う、なぜならドラマーは隅に追いやられてて、多くがコントロールルームにいるからね。フィーリングなんてない、ノーソウル。そんなのごめんだね。仕事となればおれはただそれをやるまでだけど、心の奥ではそういうのは嫌いなんだ。何も生み出さない。だけどスタジオの人間はコンピューターに傾倒してよりスモールになっていった。彼らは大きなコントロールルームと小さなスタジオルームを求めていたのさ。

生楽器はカムバックし始めているけど正しいノートにカムバックしてるわけじゃない。そういうとこがクオリティを落としている。そういった音楽にフィーリングやソウルは無い。"ブリッジ" と言ったり、一人の人間の首を振らすために一緒に演奏して、アイコンタクトをする人間がいないんだ。それとかグルーヴが降りてくると彼らは "ダメだ" って言うんだ。良いもの知らないんだろ。全部が全部ゴミみたいな作品って時々あるよね。いや正確にはゴミじゃないんだけどおれは昔から素晴らしいドラマーのプレイを見て育ったからね。それって若い人にとっては良くないことかもな。

イ: 2トラックでレコーディングしていた時代って一つのミスもできない凄まじいプレッシャーが絶対あったよね。

SD: ミュージシャンのほとんどは素晴らしいミュージシャンだったし、これが彼らはリハーサルしていた理由さ!(笑)彼らは適切にプレイするんだ。それが正しくない音だったらまたやり直しだ。良い感じだったら時々そのままにすることもあるけどね。「Hello Carol」を聴いたらギターのミスがあるだろ、だけど彼らはそれを手直ししなかった。彼らはこう言った "Boy, おれらはこれが好きなんだ"

イ: 近年は海外のプロデューサーたちが素晴らしいミュージシャン目当てでジャマイカに来て60年代や70年代のスピリットを曲にパッケージしてるよね。そのうちのプロジェクトはあなたがキーマンのひとりであるKingston All-Starsだよね。

SD: Kingston All-Starsか。Canada出身の男であるMossがジャマイカに来てHopeton Lewisと「Rocksteady」っていう曲をやった。これが良いんだ。その後彼はKingston All-Starsをやるために再びジャマイカに来た。Mossはシンガー全員と仕事をしたし、Hux Brown、おれ、Mikey Booとバンドをやって数曲でそのサウンドが聴けるよ。Robbie Lynn, Ansel Collinsとおれらは一枚なるアルバムを制作したんだ。偉大なミュージシャンたちが参加してるよ。ファイナルミックスを聴いてないけどきっと良いはずだ。

イ: ドラミングに関して私たちが聞き逃している人はいる?

SD: (笑)Yeah, Byron LeeやDragonariesの作品にプレイした男のようなドラマーがいるぜ。Stewie(Derrick Stewart) は音楽学校で教えていた素晴らしいドラマーだ。名前が出てこないけど、Lloyd Parksの作品でドラムをプレイしてる男もいいね、「We The People」もそう。良いドラマーだ。「Love Has Found Its Way」でも彼のドラムは聴けるよ。

イ: Devon Richardson?

SD: Devonだ。彼はLloyd Parksとプレイしてた。Gibboのとこで曲をカッティングしてるときにいたよ。彼はとてもいいドラマー。Style Scottも同じくいいドラマーだってことも言わなきゃいけないな。BenbowとSantaもそう。ドラムを始めたての頃、前からドラムをやっていたの彼らのプレイを聴いて "このビジネスでどう名前を売って行けばいいんだ?" と思ったよ。それくらい彼らはすごかったからね。レゲエは進展していって、皆が "こうやらなければいけない" ってなってた。

おれに演奏の自由をくれたChannel One, JoJo, Ernestに感謝したい。おれは毎晩Tit-For-Tatクラブで演奏してて、そっからスタジオに行ったからね。たくさんの音楽を聴いてたからアイデアが浮かんだしそれを持ってスタジオに行ったのさ。
Ernestとおれはそんな感じで2年くらい一緒にドラムサウンドを練っていた。Ernestはエンジニアとしておれがやろうとしていたことや、おれのやり方がどれだけハードなのかを理解していたんだ。おれらがレコードのことで長話しすぎてJoJoは怒ってたよ。それくらいおれらはドラムサウンドに取り組んでたってことさ(笑)

全てのプロデューサーとミュージシャンに多大なクレジットをあげなくちゃいけないな。Robbie Kynnと話してた時に、おれは "Robbie, おれがチャレンジしてあなたが 'ドラムが機能してない' と言ったから、おれはそれを変える必要に迫られた。あなたにはリスペクトしかない" と言ったら彼は一言も発っさなかった。でも彼への大きなリスペクトはしっかりあるよ。音楽はおれ一人じゃできないからね。プロデューサー、シンガー、みんながいてこそだよ。彼らは "そんなの水臭いよ" というかもだけど、彼らは紛れもなくおれにチャンスをくれたんだ。

以上です。

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