見出し画像

料理上手な夫のかわりに牛すじ煮込みを作ったら、意識が飛びそうになった話

土曜日の午後、わたしは牛すじ煮込みにすべてを捧げた。牛すじ煮込みに支配され、翻弄され、意識が飛びそうになった。

これは、料理上手な夫のかわりに牛すじ煮込みを作ることになったズボラ女の、4時間半におよぶ戦いの物語だ。

「あれ、カゴになんかでっかい肉が入ってるぞ?」
そやつの気配に気づいたのは、土曜の午前10時すぎに訪れたOKストアで、夫と買い物をしているときだった。

土日は夫が献立を考えることが多いため、彼が先頭に立って歩き、わたしがカゴを持ったりカートを押したりする。夫は食材を選んでカゴに入れたり、わたしに「〇〇を取ってきて!」と指示したりするのが常だ。

わたしは手元のカゴに入っているものを見て、あ、これを作るんだな、と推測する。

今夜は牛すじ煮込みだ!!

分厚い肉を見て、わたしは歓喜した。お母さんに大好物を作ってもらえることがわかって心が浮き立つ幼稚園児のように。

牛すじ煮込みというと、居酒屋のおつまみを想像する人が多いかもしれない。口のなかでとろけていくお肉に、出汁が染みこんだほっくほくの大根。食べると自然と心がほぐれる味だ。

夫もたまに牛すじ煮込みを作る。とろとろのおいしいやつを。口に入れた瞬間に笑い出してしまうような、あったくてやさしいやつを。

しかしわたしは、その裏にあんなにもたくさんの地味に疲れる作業があることを知らなかった。「地味に疲れるアワード」があったら迷わず大賞をあげるだろう。そのくらい、地味に疲れる料理だったのだ。

材料切って鍋に全部入れて調味料入れて煮込むだけやろ?

そう見くびっていた自分を殴りたい。


わたしが牛すじ煮込みを作らざるを得なくなったのは、夫が急遽出勤することになったからだ。

出勤が決まったときはまだ、牛すじはいくつかの大きな塊のまま、鍋のなかにいた。湯気を吹き出しながら、ぷかぷかと気持ちよさそうに浮かんでいた。下ゆでの最中だったのだ。

本来なら休日なのに、スーツをピシッと着て出勤する夫。彼が帰ってくるまでにわたしがちゃんとこの子たちを煮込んで、ゆっくりと夕飯を食べられるようにしなければ…!!

決意したわたしは言った。歯切れ良く、明るい声で言った。

「あとはやっとくよ!レシピ送っといて!!」
と。

そのときはまだ、まさかこんな文章を書いて昇華しなければならないほど牛すじ煮込みに翻弄されるとは知りもしなかった。

送られてきたレシピを見て、わたしは絶句することとなる。



9工程、調理時間210分。

…………!!


意味がわからない。震えが止まらない。


そんなにかかるの?
そんなにたくさん作業があるの?
牛すじと大根を煮込むだけの料理に??


混乱した。何度も見た。何度見ても、数字は変わらない。

夢じゃないんだ。ほんとうに9工程あって、210分かかるんだ。現実だと認識するため、ツイートまでした。

しかもこれは、そこそこ調理慣れしている人やテキパキ動ける人を対象とした目安だろう。料理の頻度が少なくしかもマヌケなわたしが挑戦したら210分で済むわけがない。今日の午後、牛すじで終わるやん…。


恐怖と不安、そして富士山級の「めんどくせえ」がわたしを襲った。


やべえよお…

めんどくせえよお…

めんどくせえよお…

どうすりゃいいんだ…

神様…(頭を抱える)



しかしここで、どこかからひょいとやってきたもう一人の自分がわたしを奮い立たせた。天の声だったような気もする。


やるしかないのだ。引き受けたからには、やらねばならぬ。運命を全うしなければならぬ。

この家には今、わたししかいないのだ。そして目の前には、湯船に浸かった牛すじがいる。

今日という人生を、牛すじ煮込みに捧げるのだ!!

疲れた夫に、とろける牛すじ煮込みを食べてもらうために!!

牛すじ煮込みを完成させ、内なる自信をつけるために!!


そうしてはじまった牛すじ煮込み作りは、死闘だった。

なにがいちばんダメージを与えてきたかといえば、煮込む回数の多さと時間の長さだ。

下ゆで15分、牛すじのみをゆでる工程が2〜3時間、ゆで汁に水を加えて、大根やにんにく、調味料と牛すじをあわせて煮る工程でさらに30分〜1時間くらい。

しかも、牛すじの軟らかいものと硬いものとを分けて硬いものを先に1時間ゆでるとか、調味料を同時ではなく小分けにして入れるとか(タイミングの指定がいくつかある)、想像以上に細かかった。お昼のワイドショーの再現ドラマに登場するステレオタイプな姑みたいだ。

しかも大根を「回し切り」にするとか、にんにくをキッチンタオルに包んで包丁の腹でつぶすとか、あまり聞いたことのないフレーズも登場。

頭上にはてなマークが並んで目が回りそうになった。

とくに「は???」と逆切れしそうになったのはこの工程。 

沸騰したら火を止め、少し冷まして、再び火にかける、という作業を3~4回繰り返す。

3〜4回…!?

ま・じ・で…!?

3〜4回…!?

チラッ(レシピをもう一度見る)


……信じられない!!


牛すじ煮込みを作る人、こんなことしてんの?尊敬の念が滝のようにドバドバと流れ出た。

たしかにさあ、コンロの火をつけて消すのを繰り返すだけなのよ。作業だけみたら超簡単だよ。

でもさあ、数分とか10分とか絶妙にいらつく頻度でやるわけでしょ?しかも沸騰したら消す、ってことは見てなきゃだめ。そのあいだなにすんねん。しかも「少し冷ます」って!少しってどんだけなの、何分なの。どんくらい熱が引けばいいの??


心の声を、叫ぶしかなかった。


わたしは最後の最後までキッチンを何度も行き来することとなる。意識が飛びそうになった。今ではもはや記憶があいまいである。


死闘を経てようやくできあがったのは、こちら。これを器によそって青ネギを散らして食べる。

画像1

大根の染み具合には不満が残るが、牛すじはとろとろだったし、味はちょっと薄いがわるくないし、はじめてにしては上出来だろう。


しかし、以前夫が作ってくれたもののほうが数倍おいしく感じた。料理の腕や経験値の差が大きいのは前提としても、作ってもらったものって、やっぱり特別なのだ。


夫はどうしてあんな涼しい顔をしながら、地味に疲れるアワード第1位の料理を3分クッキングみたいに作れてしまうんだろう。しかも、どうしてまた作りたいと思えるんだろう。おどろきと感謝しか湧いてこない。

わたしはもう、こりごりだ。コストとリターンが見合わないと思ってしまう。しかも、料理を終えると疲れて食欲がなくなってしまう。「食べたい」と「食べる」のタイムラグはできるだけ小さいほうがいい。

今回だって、料理中に我慢できなくてこんなに食べたし。

<煮込み中にお腹に入れたものリスト>
・食パン1枚
・米粉ロールぱん2個
・あまおう苺チョコレート7粒
・レモンアーモンドチョコレート2個
・生キャラメル2粒
・ミニわらび餅1個
・冷凍ぶどう3粒
・オレンジジュース

※途中で一回歯磨きしました。

牛すじ煮込んでいるとき「はあ〜〜〜早く終えて卵かけご飯食いてえ…牛すじとかもうどうでもいいわ…見飽きたわ…」ってずっと言ってたし。

画像2

※結局いっしょに食べました。


今回、改めて悟った。

腹が減っては、料理はできぬ。

実は以前、夫に尋ねたことがある。どうして料理にこだわれるのか、そんなにがんばれるのか、と。

すると彼は言った。

「おいしいものを食べたいだけ」

ほう。

本人いわく、料理という行為自体は好きじゃないそうだ。できることならやりたくない。でもお金をかけすぎずにおいしいものを食べる方法が料理以外には見つからないから料理をし、妥協せずに「食べたいもの」を作っている。

一人暮らしの頃、彼の最大の趣味かつ最大のストレス発散方法は、おいしいお店に飲みにいくことだった。今は外食の頻度は少ないが、お店選びへのこだわりは強いままだ。味やコスパにはわりと厳しく「近いからここでいっか」みたいなのがない。こういう意識が、自炊にもあらわれているように思う。

「おいしいものを食べる」という結果にとことんコミットする夫。

趣味の登山でもそうだ。「山頂からしか見ることのできない景色を見る」ためなら何時間も登り続けられるし、大変でも何度も行きたいと思うらしい。

わたしには理解しがたい境地であり、羨ましくもある。

夫が帰ってくると、興奮冷めやらぬわたしは牛すじ煮込みとの死闘について怒涛のようにしゃべり倒し、いかに疲れたかを必死に訴え、しまいには踊った。牛すじのレシピを前に頭が混乱する自分の様子を激しいヘドバンで表現し、鍋のなかで騒ぐ牛すじを体全体の動きで表現した。夫は爆笑していた。

しかし、とくにここが地味に疲れるやつでさあ…と鍋にかける回数の話をすると、夫はこう言った。

「冷ますのってなんの役に立つんだっけ?そんなにレシピ通りやらなくてもいいのに…」


え…


再び意識が飛びそうになった。



お読みいただきありがとうございました! スキもシェアもサポートもめっっっちゃうれしいです。 今日も楽しい一日になりますように!