ズボラ女、お洒落なティーカップを買う。
夫と暮らしはじめて4年ほどになる。彼はどうも不思議な生き物で、いまだに何を考えているのかよくわからない。少なくともわかるのは、丁寧な暮らしをストイックに追い求める修行僧のような人で、ズボラで雑な私とは正反対だってこと。そして意外と愛情深い人ってことだ。とりあえず、丁寧男と呼んでおく。
2月初旬、甘いものを積極的に食べない習性がある丁寧男にバレンタインに何がほしいかと尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
「お洒落なティーカップ」
おお、なるほどね。いいじゃんか!
私は1ミリも驚くことなく快諾した。今日も丁寧が爆発してんね〜いいよいいよ〜と心のなかで拍手。彼は最近、紅茶にハマっている。
丁寧男は少し前に、とあるレストランで食後に出てきた「ロンネフェルト」というブランドの紅茶を気に入った。彼は思い立ったら即行動の人である。次の週末にさっそく直営店に自転車を走らせ、茶葉を買ってきた。
スーパーに置いていない茶葉を自宅用に購入したことなんて、人生で一度だってあったかしら。お手伝いさんがいる立派なお家か王室だけが手に入れることを許される雲の上の贅沢品だと思っていた私は、コンビニにお茶を買いに行くかのようにさりげなくロンネフェルトを買ってきた丁寧男に圧倒された。
その日から、休日夜のティータイムがはじまった。
夕飯を食べ終わると、丁寧男はそそくさとキッキンに向かい、これまでもずっとこうしてきましたよ、とでも言いたげな涼しい顔でマグカップにポットのお湯を注いで温める。そのあいだに鍋でお湯をわかし、ティーポットに注いで茶葉をふかす。
しばらく待ってからマグカップに注がれるロンネフェルトの紅茶は、ゆらゆらと立ちのぼるやさしい湯気をともなって、やすらぎの香りを鼻腔の奥深くまで届けてくれる。
ロンネフェルトの休日。なんて美しい響きなんでしょう。
丁寧男の一連の動作をぼーっと観察するのが、ズボラ女の休日夜の趣味である。
*
そんな丁寧男にプレゼントするティーカップ、一体どんなものがいいんだろう。悩む間もなく、彼は新聞の記事を誇らしそうに見せてきた。
代表的なティーカップブランドがランキング形式で紹介されているページを指さして、ここに書いてあるブランドならどれでもいいよ、飲み口が薄いやつがいい、と言ってくる。
意外とミーハーだな。
そう思いながら眺めていると、各ブランドの商品をパソコンの画面で見せながら、こんなのもあるよ、こんなのもあるよ、とプレゼンまでしてくれた。つくづく抜け目のない奴だ。
しかしありがたい。だって私は、ウエッジウッドしか知らないから。
後日私は、さっそくデパートの上階に降り立った。何年ぶりだろう?記憶を遡るもわからない。しかもこんなにまじまじとデパートの食器売り場を眺めた経験なんて、生まれてはじめてな気がする。
田舎者の小娘がマダムの聖地に来ちゃっていいの?
しかも、ブランド食器を買うなんて!
人生、なにが起こるかわからないね?
丁寧な暮らしとは対極な人生を送ってきたズボラ女は気がひける。でも来ちゃったの、ごめんあそばせ。
ブランド食器売り場は王宮みたいだった。きらきらしていて、お上品で、紅茶を飲んでいないのに紅茶の香りが今にも漂ってきそう。この階では「お紅茶」と呼んだほうがいいかしら。美女と野獣のポット夫人やチップが出てきそうな雰囲気だ。
食器売り場の店員さんたちは、期待を裏切らず暇そうにしていた。私が足を止めて食器に近づくたびに、足音と香水の匂いが近寄ってくる。最初は「こないで……直感で決めるから!」と思ってかわしていたけれど、まぶしくきらめく食器を見れば見るほど目が回って倒れそうになっていた私は、素直に店員さんを頼ることにした。
なにかお探しのブランドはお有りですか?
いや、とくに……。
お進物で?
あ……はい。バレンタインに夫が欲しいと言ってて……。
紅茶お好きなんですね。
最近ハマってるみたいなんです。
いいお趣味ですね〜。
そ……そうですね〜。
それから20分ほどの間、店員さんの背中をヒョコヒョコと後追いしながら、がっつり案内してもらった。
*
こうして私は、念願のティーカップを手に入れた。
店員さんについて行ったら、丁寧男にぴったりのデザインを見つけてしまった。自然が好きで、山が好きで、土日はいつもグリーンのセーターを着ている丁寧男にお似合いのデザイン。落ち着いた、でも春らしい、リーフ柄のティーカップとソーサーだ。
2個セットにはしなかった。私のぶんはお返しとして丁寧男に買ってもらおうと思ったから。ちょっとちがうデザインのものをお願いしようかな、と思っている。
いいじゃん、夫婦おそろいじゃなくたって。ちぐはぐなのも、見ようによっては洒落てるじゃないの。
たまに一緒に紅茶を飲めたら、十分だよね。そう思うんです。
丁寧男との暮らしは、毎日が異文化交流のようなものだ。ほんとうに同じ国で生きてきたのだろうかと疑ってしまう。
なに言っとるん?なにやっとるん?なんでそんなことするの?なんでやらないの?なんで……!?(相互攻撃)
これまでよく生きてこれたね?ほんとうにへんな生き物だね?意味不明。理解できない。わかるようにしゃべって?(同じセリフを言い返す)
刺身やお惣菜はパックのまま食卓に出すズボラ女と、皿に盛り付けて薬味も添える丁寧男。
洗ったばかりのコップを拭かずにそのまま使うズボラ女と、ときに冷凍庫で冷やし、ときにお湯で温めてコップのコンディションを整える丁寧男。
やらなければならない家事をギリギリまで溜め込むズボラ女と、目の前のやるべきことはすぐにやる、がモットーの丁寧男。
生まれつきの性質、育った環境、出会ってきた人々、話してきた言葉、聴いてきた音楽、一人暮らしの生活、それらのなかで育まれてきた人格……。
そうした異文化を交わらせ、ときにはぶつけさせ、譲歩させ、拒絶したり受け入れたり間をとったりもしながら、自らの文化を更新するとともに、いっしょにあたらしい文化を作り上げる作業を延々と続けている。
そして今のところは、これからも続くらしい。途方もない旅路である。辛いときや歯がゆいときも多い。
けれど、なかなか面白いから困ってしまう。互いをものめずらしい生き物として観察するのが、ふたりの共通の趣味である。白状すれば、最近ようやくそう思えるようになってきた、って感じなのだけど。
異文化交流は、同居生活の難しさであり、醍醐味でもあるのだろう。
私は丁寧男にそそのかされて、夕食後にティーカップでロンネフェルトの紅茶を飲む、という文化を体にとりこみつつある。人間の慣れとはおそろしいもので、土日の夜になると、餌がなくても唾液がしたたるパブロフの犬のごとく食後に喉が乾くようになった。
先週末も、ロンネフェルトの紅茶を飲む夜だった。
丁寧男との異文化交流に奮闘する日々を癒すものが、まさかの丁寧男が淹れた紅茶。
なんたる矛盾。なんたる屈辱。なんたる幸せ。悔しいものだ。
しかしこの生活だって、いつまで続くかわからない。
だから今朝も玄関で、丁寧男に手を振りながら大好きだよと言っておいた。どんな言い合いのあとでも、後悔しないように。この文化なら、体に浸透させても問題ないよね。
今日はバレンタインデーだ。丁寧男が帰ってきたら、ティーカップをプレゼントしよう。
明日の夜、ロンネフェルトの紅茶を注ぐ丁寧男と手元のお洒落なティーカップを眺めたら、私の心にもきっとお湯が注がれる。私の体は目の前に立ちのぼる湯気のように芯までぽわぽわと温まって、蒸発してしまうかもしれない。
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