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自分の過去との付き合い方

最近は少し重めのnoteが多かったせいか、今週になって突然、あれ、これからなにを書けばいいんだろう、と困ってしまった。今日は気楽に、普段着でおしゃべりするイメージで、最近うれしかった出来事について書いてみたい。ちょっと赤裸々な話をします。

1、2週間くらい前から、逆佐亭裕らくさんが私の過去の記事をたくさんさかのぼって読んでくださった。裕らくさんは、noteを書いている人をクラスメイトにたとえて紹介するという斬新な企画を主催していらして、資料を集めるためだったようだ。

読んでいただいた形跡を見つけるたびにとてもうれしくて、貴重な休日を私の記事にこんなに費やして大丈夫だろうか?と勝手に心配したりもした。

でも実は、自分の過去にまつわる数記事にスキがついたときは、一瞬どきりとして、不安にかられた。

簡単に言うと、引かれちゃうんじゃないかな、嫌われたらどうしよう、と思ってしまったのだ。

「東大法学部卒」「元官僚」というワードがでてくるから。

noteを更新し始めた頃は、Twitterのオープンアカウントを作ったばかりで、フォロワーは昔からの知り合いがほとんど。友人たちのなかでは少しめずらしいキャリア変遷で、「今なにしてるの?」と訊かれたり転職について相談されたりすることが多かった。私自身も会社を辞めたばかりで区切りの良い時期だったから、これまでの流れをnoteに淡々とまとめていった。大学時代や最初の職場でのことを大っぴらに書いた。

知り合いのあいだではそこそこ反響があったし、読んで救われた、役に立った、とメッセージをくれた友達もいた。今でもスキがつくし、よく見られているから、知りたい人はいるのだと思う。たまたま読んでくれた某媒体の編集者に声をかけられ、記事を書いたりもした。良くも悪くも大きな反応があった。

そうやって表に個人情報を出していったけれど、わたしはずっと迷っていた。これからも学歴や経歴を“利用”すべきなのかどうか。その必要があるのかどうか。自分にとって、周囲の人にとって、いいことなのかどうか。

フリーランスになったばかりの頃、知り合いに言われた。

「君にもし興味を持つ人がいるとしたら、それは“東大卒元官僚”だからだ。君が今なにをしているとか、そもそもどんな人間だとか、なにが好きだとか、なにを考えているとか、そんなことには、世の中の人はこれっぽっちも興味がない。それはちゃんと心に留めておいたほうがいいよ」

「“東大卒元官僚”って、HPでもなんでも、できるだけ目立つところに書いとかないとだめだよ。それアピールしないと、仕事なんてこないよ」

有名人でもインフルエンサーでもないし、まあ、そうだろうな、と思った。有名企業のメディアをグロースさせた、大手媒体でバリバリ書いていた、なんていうわかりやすい実績もないし、ありがたい武器なのかもしれない、とも思った。

でも。

私はずっと、それに頼って生きていかなければならないのかな。

ちょっと悲しくなった。

だって私自身、オープンでSNSを始める前は、穿った目でプロフィールを見てしまうタイプで、「東大卒」などとSNSに書く人が大の苦手だったのだ。わざわざ書かなくてよくない?勲章だとでも思っているのかな?いまだに過去に浸っているのかな?それしか誇れることないのかな?と、やや同情の目で見ていた。

なのに、私はそれを自らやろうとしている。なんだか寒気がした。

でもとりあえず、あるものは使っておこう。それくらいしかないから。

自分に言い聞かせ、一部のページには学歴や経歴を残しておいた。

noteを中心にSNSでやりとりをする人が増えれば増えるほど、できるかぎり学歴・経歴にまつわる内容を表に出してはいけないと思うようになった。

第一印象は大事だ。最初にとっつきにくい印象をあたえたら、仲良くなれるはずだった人とも仲良くなれないかもしれない。それはとても悲しいことだ。

過去に職場の人に「東大卒なのに優しいんだね」とか「お役人だったのに威張ってなくて、気さくに話せるのすごいね」とか言われた経験もある。逆に学歴や経歴を言ったとたんに、相手がかしこまってしまったこともある。全員がそうというわけではないけれど、世間に少しでもマイナスなイメージがある限り、とくに初対面では言ってはいけない、と思った。

そして、これはほんとうに個人的な見方にすぎないけれど、私は女性だからなおさら、少しでも威張っていそうに見えかねない要素は排除しなければならない、とも思った。

そんな経緯もあって、人に学歴や経歴にかかわる質問をされると、いまだに一瞬固まってしまう。言葉につまってしまう。純粋に怖いんだ、その先にある反応が。相手がいい人だとしても、だいぶ仲良くなってきた人であっても、どうしても癖が出て、怖がってしまう。

私はいろいろと残念というか、残念な生き物だ。

カフェでアルバイトをしていた学生時代には、バイト初日に店のシンボル的存在だった立派な生け花をぶちこわし、その後の日々の仕事のポンコツ具合とも相まって、裏では従業員みんなから「ダメダメ東大生」と呼ばれていたし、免許合宿では、試験中に「あなた、運転下手すぎる。あなたみたいな人には、免許をあげたくない」と教官に言わしめた。駅の改札ではよく後ろの人を止めてしまう。

就職しても仕事が続かず、プライベートでは怠惰のきわみ。家事も料理もまるっきりできず、夫に尻をたたかれながら生きている。服を裏返しのまま着てしまう。家のスリッパで外に出てしまう。家で謎の創作ダンスを踊るのが好きだ。おかしを食べているときや、きれいな景色を眺めているときがいちばん幸せだ。

noteでは、「東大卒」「元官僚」なんてワードを使わなくても、私の文章を読んでくれる人がいた。それがとてもうれしかった。けれど、だからこそ、まっさらな状態で私の文章を読んでくれた人が、たまたま学歴や経歴に行き着いてしまったらどう思うのだろう、と不安になった。印象が変わりやしないか、引いてしまわないか、と。

裕らくさんが記事を遡って読んでくださっているあいだ、少しドキドキしていた。とても良い人だし、ときどきやりとりもしているし、心配しなくていいはずなのに。やっぱり昔のことを思い出して、反射的に怖くなってしまった。

でも、そんな心配は無用だった。だって、「思っていることが顔にすぐに出るどころか、見える人には吹き出しまで出て見えるレベル」だから。

裕らくさんに過去の記事を読んでいただき、それらを踏まえてどんな人間(に見えている)かを表現していただいたことで、ちょっと気持ちが楽になりました。だれかに自分のことを知ってもらい、紹介してもらうと、自分自身と向き合うことにもつながるみたいです。ありがとうございます。

学歴も経歴も、言わなくてもいい場面でわざわざアピールする必要はないし、とらわれるのは良くないけれど、引け目に感じたり、わざわざ隠したり、濁したり、知られた形跡を発見するたびに心臓をばくばくさせたりする必要もないのかなあ、という気がした。別に悪いことをしたわけではないんだから。

自分の過去と、上手に付き合っていけたらいいなと思う。



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Maho Okumura
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