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世界でいちばん苦手な人。


父親の事を書くのは勇気が要ります。
現在の在住国であるドイツでは、家族の事を聞かれると私の日本の家族は母親だけです、とずっと答えてきました。

父親は狭いプレハブ小屋で、両親に虐待されながら育ちました。
母親と義父。
5歳年下の弟。
義父は血の繋がらない子供(私の父親)にずっと虐待をしたし、母親も加勢した。可愛がられるのは弟だけ。その弟すら空腹に苦しむ毎日。

でも子供の頃の父親は神様は存在してると信じていて近くの教会に通って牧師さんの話を聞くのが救いだったそうです。
でもあまりに辛くて、10歳の時に校舎の5階から飛び降りました。
でも自転車置場の屋根がクッションになって助かってしまった。

10歳。
私の息子も現在10歳です。
もう、居たたまれない。
神様なんか居ないんだって言いたい。
もし居るのならどうしてと責めたてたい。

もし、私が生まれてくる前に父親の元に生まれたいと願ったのなら、父親にとって私の役目ってなんだろうと思った。

私に無関心なのに屈託の無い笑顔を向けたり、お酒に酔ってる時は猫可愛がりをする。
不思議で、不気味で、お母さんを泣かせる人。
でも、優しすぎる人。

ほとんど家に帰って来なかったからじっくり話した事はほんとうに少ない。
でも私が小学生の頃から将来仕事の面接を受ける時は絶対にお相手の目を見て話すんだよ、とか、生まれてきた意味は死ぬ時に分かるんだよ、だからお父さんはね、死ぬ時を楽しみにしてる、とまた屈託の無い笑顔で言ったりしてた。
今思うと全部リアルじゃない。
父親と過ごした時間は本当にふわふわしてて、そして瞬間瞬間に言って欲しくない言葉でとどめを刺してくる。

私はこの人にとって望まれなかった子供。
そしてこの人は母親や他人すらも見えていない。
自分の過去に囚われてる人。

あの時、父親のお母さん(私の祖母にあたる人)が抱き締めてあげたら。
永遠に叶うことのなかった願いだけが彷徨っている。
10歳の時に心を天国に置いてきたようにも感じる。

お金も父親の心を救わなかったように思える。

でも私は父親の努力を知っている。
日本という素晴らしい場所に希望を見いだせなかったのも同じ。
海外に目を向けたのも同じ。

私は父親のなんなんだろう。

父親が初めて赤ちゃんだった頃の息子をみた時
「この子はこんなにも両親に愛されていて幸せだね。」
と言った。

「もしお父さんが先に逝ったら転生するの少し我慢してて。次は私がお父さんの母親になるよ。そしたらこうやってうんとうんと愛してあげるから絶対に待ってて。」

私はなんでこんな事を言ったのかな。
でも、父親はただ、「有難う」って笑ってた。
それがきちんと話した最後の会話です。

もうきっと二度と父親の事を書くことはないと思います。
だけど、もし神様がいるのなら、父親に愛を届けたいと思ってる人がいる事をどうか彼に伝えて欲しい。
私の言葉は届いただろうか。
もし私が次は親として生まれてこれるなら。

父親にそれを伝える為に彼の元に生まれてきたのなら。
全部、どうなるのか死んでから分かる。
まだ若かった頃の父親が屈託の無い笑顔で言った言葉が過る。

もう会うこともないかもしれないけど、父親が笑える瞬間がこの先もあることを願っています。

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きいろ
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