人生とアイドル|「10歳で好きになること」と「22歳で好きになること」
私は今、松村北斗くんとSixTONESに夢中だ。
(いわゆる"沼落ちブログ"は2個前のnoteをご覧下さい。)
YouTubeを漁って彼らの歴史を遡り、CDやライブ円盤を集めて彼らの音楽とパフォーマンスを楽しんでいる。FCには早々に入会し、10月中旬に発売されるライブ円盤も2形態抜かりなく予約した。新規の特権である"触れるもの全てが初見"、過去の物でも新鮮に今楽しむことができるおかげで、北斗くんとSixTONESを好きになってからの毎日は文字通り本当にキラキラしている。もの凄く楽しい。我ながらパーフェクトな新規期間だ。
さあ、私の近況報告はこの程度にして、ここからはタイトルにした『人生とアイドル』というテーマで書いていきたい。
タイトルに入れた『人生』というワードは、『"私の"人生』という修飾がかかっている。散々公言している通り、私はかなり長い間(もちろん今も)嵐と二宮くんのファンをしてきた。実際、歴で言うと丸12年。今年22歳になるので、人生の半分以上をファンとして過ごしている。そして今年、12年ぶりに、この人を応援したいと思うアイドルに出逢った。
知らなかった北斗くんやSixTONESの一面を知り、その深みにはまっていく度に私の人生における二宮くんや北斗くんの存在について考えることが増え、どうにかこの気持ちを言語化したくなりこの記事を書くことにした。
(そんな面倒なことなんて考えずに楽しくオタ活だけしていればいいのに、とはもちろん思います。性分です仕方ない。)
まず、彼らを好きになったタイミングそのものが私の人生に与える影響を左右することは言うまでもない。
前述した通り、私が二宮くんを好きになったのは10歳の時。まだまだ十分子供である。そこから12年、私は本当に様々なものを見て聞いて知り悩み経験して大人になったが、この成長過程のどの場面にも、必ず心の中には二宮くんや嵐の存在があった。だからこそ、私の思い描く"大人像"の中に二宮くんや嵐が含まれていたんだなと思うことがある。無意識のうちに、こういう大人になりたい、尊敬する自立した一人の人間として、子供の私には見えていたのだろう。
何が言いたいかというと、まだ子供だった私が二宮くんを心に抱きながら大人になったことで、いわゆる個性や人間性が作られていく過程で二宮くんや嵐から大きな影響を受けてきたということだ。
だから、今の私は二宮くんのことを好きとか嫌いとかそういう感情でみる次元にいないというか、言語化が難しいが、「二宮くんは私の人生そのものすぎる」という感覚がある。
これから先、いつになるかは分からないけど、私がオタクをやめる日もたぶんそのうち来るのだろう。そうしたら元彼や古い友人のことをいつの間にか忘れていってしまうように、これまで好きになったいわゆる"推し"と定義される人たちのこともゆっくりゆっくり忘れていってしまうだろう。だけど、認知症にでもならない限りほとんどの人が自分の家族のことを忘れないように、漠然と、私は二宮くんのことだけは忘れない気がしている。それだけ「二宮くんは私の人生そのものすぎる」のだ。
一方で北斗くんやSixTONESについてはどうだろうか。まあ好きになってから日が浅いので、偉そうに何かを語れる立場にないのは分かっている。だからこそ『私の人生』という観点から考えてみると、北斗くんを好きになった私は(10歳と比べて)割としっかり大人の年齢だ。これからの長い人生で北斗くんやSixTONESと楽しい思い出を作っていくことはあっても、私の人間性に介入し、思考回路や価値観に影響を与えることはあまりないのだろう。
これが、「10歳で好きになること」と「22歳で好きになること」の大きな大きな違いだと私は思う。私の人生を料理とするならば、二宮くん・嵐 = 調味料、北斗くん・SixTONES = トッピング とでも例えられるのではないだろうか。
と、ここまではある程度「こんなことを書きたいな」というイメージに沿って書いてきたのだが、ここまで書くうちに一つはっきりと分かったことがある。それは、二宮くんや嵐の影響を受けて出来上がった私だからこそ、北斗くんやSixTONESを好きになったと断言できるいうことだ。
もし、10歳の私が二宮くんではなく、他のアイドル(アイドル以外でも)に惹かれ、その人を心に抱きながら人間性を確立させていたとしたら、たぶん22歳の私は北斗くんがこれほどまでに刺さってはいなかっただろうし、そもそもアイドルを好きになったかなんてわからない。
そう考えると、私が北斗くんを好きになったことは半ば強い因果のように感じる。人生って、価値観って、どんな人に出逢い、経験をしてきたかに影響されるのだなとつくづく思う。それに、北斗くんやSixTONESに出逢ったことが、これから私にどんな因果をもたらしてくれるのか、想像するだけでワクワクする。
就職し、社会の荒波に進んでいくこれからの私は、きっと節々で北斗くんやSixTONESに元気と生きる理由を貰い、支えられながら生きていくのだと思う。例え、それが人生における"調味料"ではなくても、"トッピング"として私の人生を色鮮やかに彩り、美味しい味を乗せてくれるのだ。最高である。それだし、これからの未来を彩ってくれる北斗くんのことを、10年、20年後の私なら間違いなく「私の人生そのものすぎる」と言っているのだろう。そんな未来がほんとうに楽しみだ。
なんだか浅いのか深いのかよく分からない、まとまりのない話を続けてしまったが、今の私は兎にも角にも「二宮くんも北斗くんも私の人生に必要不可欠」「私の人生に現れてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいなのだ。我ながら幸せな人生である。