わたし、ときどき
登場人物
大渕佳子
細川ちづ子
彼
戸口
奥田
岩永友宏
石橋
音楽。
舞台の上に四つの椅子。
事務所。彼にとっての保健室。
彼は部屋の中をゆっくりと動き回っている。
朝。
奥田登場、顔を洗うと出かける。
奥田が会社に向かう最中、彼は、事務所の中から、見たことのなかった外の風景に夢中になっている。
戸が開き、奥田が入ってくる。
彼は部屋の外へ。隠れているつもりだろうか。
奥田、ブラインドを開けると、外の陽が部屋に差し込んでくる。
彼、そのうちにいなくなる。
デスクに向かう。
音楽、無くなる。
佳子、出社。
佳子 おはようございます。
奥田 おはよう。
デスクにつく。
ドアをノックする音
奥田、ドアを開ける
奥田 あ、どうも
石橋 すみません度々
奥田 いえ
石橋 ちょっと今日は、その、大渕さんに、
奥田 はい
石橋 大渕さん
佳子 はい
石橋 警察署に、ちょっと来てもらいたいんです。
佳子 はい。
と、席を立つ。
奥田 あの、大渕さんは
石橋 急で申し訳ないです。二週間ほど、
佳子 社長、すみません。
奥田 いや、まあ、パートさんで何とかしてもらうよ。こっちは心配しないでいいから、
佳子 はい。
奥田 あの
石橋 はい
奥田 また帰れるときにになったら、連絡もらえますか
石橋 はい。
奥田 大渕さん
佳子 はい
奥田 何がすき?
佳子 ・・・寿司、
奥田 ・・おっけい
音楽。
奥田、石橋去る。
喧騒
佳子 ちづ子とはずっと仲良しで、小学校でも中学校でもいつも一緒だったのですが、中学校三年生、卒業を間近に控えた時、私は転校をすることになりました。転校する日、裏庭でちづ子は私を責めました。私にあてた手紙を両手で握りしめ、手汗と涙でその手紙を潰しながら、私がいなくなると登下校を一人でしなければならないこと、学校でいじめにあう事、父親と過ごす毎日が、きっといつか耐えられなくなること、自分の生きていく意味がなくなること、いろんなことをちづ子は言いました。私は何にも言えなかったけど、ちづ子はそのうちに、静かになっていきました。私がずっと友達でいようねと言うと、ちづ子はうんと言いました。そして、手紙を受け取ると、私はちづ子がじっと見ているのを感じながら、母の車に乗り、その足で遠くの町へ出かけていきました。
佳子、作業着のファスナーをしめる
喧騒がなだれ込んでくる
駅構内プラットホーム
佳子 ちづ子が社会人になって、2回目の夏、私たちは突然、再会を果たしました。
ちづ子 佳子ちゃん
佳子 ちづ子
ちづ子 あ・・・、佳子ちゃん、
佳子 ・・・
ちづ子 ・・・。
佳子 ちづ、
ちづ子 佳子ちゃん、何してたの
佳子 涙が出そうになりました。ちづ子はもうすっかり大人になっていて、私たちの間に流れた時間が、こんなにも長かったんだと、ただ、そのことに打ちのめされていました。
ちづ子 佳子ちゃん、
佳子 ちづ子、かわいくなったね。
ちづ子 佳子ちゃん、
佳子 久しぶり
ちづ子 ・・・本当に、久しぶり
佳子 やだな、わたし、こんな格好で
ちづ子 かっこいいよ!なんか、もう、
佳子 ごめん、あんまり話してると怒られるから、また合おう。この辺に住んでるの?
ちづ子 ううん、でも、東京だよ
佳子 わたしも、5年前くらいかな
ちづ子 そうだったんだ
佳子 番号、変わってない?
ちづ子 うん、佳子ちゃんも?
佳子 うん
ちづ子 今日は、仕事何時までなの
佳子 六時まで。
ちづ子 そのあともし空いてたら、
佳子 うん、ごはん、いこ
ちづ子 うん。・・・、また、連絡するね
佳子 その時は清掃会社に勤めていて、私は東京のある駅構内の清掃を担当していました。私の会社だけではないけど、清掃会社に若い女の人は珍しいみたいで、悪い意味で、私は目立っていました。ちづ子は、私が仕事を終えるのを、近くの喫茶店で待っていてくれたようでした。私は一旦会社に戻り、着替えを済まして事務仕事をしていました。
着信音
佳子 もしもし
ちづ子 もしもし、ごめん、仕事中だったかな
佳子 大丈夫だよ。ちづ子いまどこかな
ちづ子 さっき会った駅の近くの喫茶店で
佳子 わかった。(と、時計を見る)あと15分ぐらいで行くから、改札出たところの
ちづ子 うん、三階建ての
佳子 わかった。待ってて、
事務所
奥田 大渕さん、もう上がってもらっていいよ。
佳子 すみません、ありがとうございます。じゃあ、これだけやって、
戸口 やっときますよ
佳子 あ、いや、大丈夫、もう終わるから。
奥田 戸口ごめん、猪口君と、佐多君に連絡だけしといてもらっていい
戸口 わかりました。21時までですよね
奥田 うん、ごめんね
と、戸口出ていく
佳子 すみません助かります。今日ちょっと用事あるので
奥田 そうなんだ。
と、佳子席を立ち、コピー機から紙を取る。
佳子 社長、
奥田 あ、業務報告
佳子 はい、
と、目を通して脇に置いた。
佳子 じゃあ、すみません、お先に失礼します。
奥田 はい、お疲れさまです。
と、佳子出ていく。
電話がかかる
奥田 お電話ありがとうございます、セイコービルシステムです、・・・あ、どうもお世話になります。はい、はい、いや、たぶん確認したと思うんですけどね、いや、申し訳ないです。はい、そしたらちょっと一回確認します、いえとんでもないです、はい、失礼します。
と、奥田退出、入れ替わりに戸口入ってくる。
戸口 いまのが奥田さん。まだ二十代だけど、この会社の社長をしている。今はマンションを買おうかどうか真剣に悩んでいて、そのことばかり考えている。そんなことがありありと伝わってくる。大渕さんは珍しく用事があるらしく、早々と会社を出ていってしまった。二年たってもあの人の事はよくわからない。僕はこの会社に入って二年目、現場がやっと落ち着いてきたので、パートさんたちのシフト管理を担当しだしたころで、事務所にいる時間が長くなっていた。僕は時たま、安月給を補てんするために、事務所の中のめぼしいものを自分の物にするようにしていた。例えば、切手シートとか。あれ、なんで金庫に入れないのか僕は不思議でしょうがない。ふと、大渕さんの机が目に入ったので、何の遠慮もなくガラリと開けると、包丁が一本、入っていた。
音楽
喫茶店内。音楽が店内の雑音に紛れてていく。
ちづ子 佳子ちゃん・・!
佳子 ・・・。
と、隣に男が立っている。
友宏 初めまして、僕、岩永友宏と言います。あの、せっかくの再会をお邪魔してしまって、すみません。その、
ちづ子 ごめんね、佳子ちゃん、あの、彼は、今、付き合ってる人で、せっかくだから、あれかなと思たんだけど、佳子ちゃんにはどうしても紹介したくて
佳子 あ、大渕佳子です。
友宏 どうも、
佳子 とりあえず、座ろうか
ちづ子 うん
座る三人
ちづ子 ごめんね急に、あの、友君です。
友宏 はじめまして
佳子 はじめまして。
ちづ子 飲み物、とりあえず
佳子 うん
ちづ子 すみません、・・・すみません、・・・あ、あの、アイスコーヒーと
友宏 僕も、
佳子 わたし、また頼む
ちづ子 えっ
佳子 また、すみません、
店員去ったようだ。
佳子、水を飲む。
ちづ子 佳子ちゃん、久しぶり
佳子 ・・・。
ちづ子 あの、元気してた?
佳子 うん。ちづ子は?
ちづ子 私も、元気、はは
佳子、水を飲む
友宏 ごめん、僕、やっぱり、先帰ってるよ、今日は二人で、また落ち着いたときに、
ちづ子 えっ、でも、
友宏 いや、別に今日ね、うん。また今度、よかったらご飯でも、ご馳走するので
と、友宏帰る。
ちづ子 なんかごめんね、あの、友君、ちょっと人見知りで
佳子 いや、私も、そうだから
ちづ子 ごめん・・はは・・、
佳子 ちづ子、あの人と結婚するの?
ちづ子 え、うん、あ、うん、あの、うん、その、実は、
佳子 いつ?
ちづ子 来年の三月
佳子 あっという間だね
ちづ子 うん。
佳子、水を飲む。
ちづ子 佳子ちゃん、何でもわかっちゃうんだね
佳子 うん。ちづ子のことなら何でもわかるよ。ちづ子、変わってないね。
ちづ子 佳子ちゃんも。
佳子 そうかな
ちづ子 うん、そうだよ。佳子ちゃんは、佳子ちゃんのままだね。
佳子 私は、器用じゃないから。
ちづ子 私だって、そうだよ。佳子ちゃんみたいに強くはないけど。
佳子 ちづ子は弱いもんね
ちづ子 うん。
佳子 中学の時から何も変わってない。
ちづ子 うん。
佳子 今日は、久しぶりにあえて、うれしかった。
ちづ子 えっ
と、佳子、席を立つ。
ちづ子 佳子ちゃん、
と、出ていく。呆然とその姿を見送ることしかできないちづ子。
石橋 細川ちづ子の話によると、ここで会ったのが最後で以降は接触してないそうだ。たぶん、ウソ。僕はコーヒーを一杯頼んで、ただじっと考えていた。
夕日が差してくる。
友宏のマンション。
ちづ子、立ちすくんでいる
友宏部屋に入ってきた。
友宏 !
ちづ子 ・・・。
友宏 びっくりした。・・ちづ帰ってたんだ。
ちづ子 ごめん、あれ、気づかなかった?
友宏 ごめん
ちづ子 いや、全然
友宏 あ、ごめん、ご飯食べきた?ごめん、僕、適当に食べちゃったけど
ちづ子 ・・・
友宏 ・・どうしたの
ちづ子 ・・あっただいま
友宏 あっおかえり
石橋、二人を遠巻きに見ていた
石橋 細川ちづ子の婚約者、岩永友宏さんは、気の小さそうな、優しそうな男の人だった。事件のことで話を聞きにこの家まで行ったことがある。友宏さんはだいぶ落ち込んだ様子だった。プロポーズ直後だったらしい。細川ちづ子も二つ返事で了承して、幸せの真っただ中だったそうだが、ある日を境に細川の様子はみるみるおかしくなっていったらしい。
友宏 ちづ、どうしたの、
ちづ子 え?
友宏 なんか、その
ちづ子 なんかあった?
友宏 いや、ごめん。あ、ご飯
ちづ子 なに?
友宏 食べてきた?
ちづ子 いや
友宏 なんか買ってこようか
ちづ子 あ、うん
友宏 ちづ子どうした?
ちづ子 ん、ごめん、どうしたの?
友宏 あの
ちづ子 ・・・、
友宏 ・・・、
友宏 どうした?つかれた?
ちづ子 あ、その、ごめん、ちょっとタバコ吸ってくるね
と、ちづ子出ていく
友宏 タバコ?
石橋 タバコ?吸うんですか?
友宏 いや
石橋 じゃあ、どうしたんですか、
友宏 ・・わけわかんないです。
音楽
校庭。彼、が立っている。
彼 おはようございます!おはようございます!おはようございます!・・・
と、繰り返している。
と、そこに佳子
彼 おはようございます!
佳子 なにしてるの
彼 おはようございます!挨拶運動です!
と、校舎を見上げる佳子
遠くから笑い声が聞こえる。
佳子 ・・・最悪だ
彼 あ、はは
佳子 もう!なんで!バカ!バカ!バカ!
と、学生鞄で容赦なく殴りつける佳子
彼 あの、馬鹿なので、あの、許してください
佳子 なんで挨拶運動してるの
彼 その、僕、バカだから、クラスのみんなに迷惑をかけてしまうから、反省が必要だというので、挨拶をしていました。
佳子 馬鹿だね。
彼 あい。
佳子 馬鹿!グズ!
と、再び打ち据える
彼 ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!
佳子 謝るな!!
と、怒鳴った
佳子 おまえ、今日から私言う事全部聞きなさい。絶対だよ。
彼 え?
佳子、体をかがめて目線を合わせ、噛んで含めるように
佳子 おまえは、今日から、私のいう事を、全部聞くの
彼 はえ
佳子 わかった?
彼 え
佳子 わかったら、はいっていうんだよ。
彼 はい。
佳子 よし、えらいよ。
と、佳子、ハンカチを取り出す
佳子 立って
彼 ・・・。
佳子 返事をして立ちなさい
彼 はい
佳子 ・・、
と立ち上がった彼の顔や学生服についた泥を丁寧に拭ってやる
と、突然顔を殴った佳子。
佳子 お前、馬鹿じゃないよ。
彼 え
佳子 おまえは馬鹿じゃない。
彼 うん
佳子 自分のことを馬鹿って言ったら、又殴るからね。
彼 うん。
佳子 そしたら、もう教室に戻りなさい。クラスの誰かのいう事は絶対に聞いたら駄目だからね。無視しなさい。
彼 うん。
佳子 お前、一年生?
彼 うん。
佳子 私は二年生の大渕佳子。授業が終わったら校門で待ってなさい。
と、佳子去る。
彼 佳子さんは、私の一学年上の先輩で、身なりの整った、頭のよさそうな、ごく普通の女子中学生でした。僕は佳子さんのまなざしの中に、何かとても寂しいものを見つけていました。佳子さんは多分、世の中というものから何ももらえなかったんだと思います。きっと、僕たちは親や友達や周りの大人たちから色々な形で愛情を受け取って、心を育てていくんだと思います。でも佳子さんはたまたまもらえる愛情が飛び切り少なくて、それでも、与えることをやめませんでした。与えることで、自分の中に愛情があることを確かめようとしたのかもしれません。しかし僕には、悲鳴を上げる佳子さんの心が、ずっと見え隠れしていました。
音楽
彼 今朝、おかあさんが出してくれた目玉焼きがおいしかったこと、妹が笑顔で、今日は運動会の練習があるんだと話してくれたこと、お父さんが定期券を忘れて、家に急いで帰ってきたこと、たくさん雲が浮かんでいるけど、どれもみんな、その奥には真っ青な、きれいな空があること、今日だけでもこんなにうれしいことがあったんだと、その時に、ふとそう思いました。
保健室。
ちづ子、座って自主勉強をしている。
ちづ子 佳子ちゃん、おはよう。
佳子 おはよう。
ちづ子 佳子ちゃん、何してたの、さっき
佳子 みてたの
ちづ子 うん。ここからよく見えるから
佳子 ほんとだ
ちづ子 あれ、誰、
佳子 私もよく知らない、一年生だって。
ちづ子 へえ。なんていう子?
佳子 ちづの知らない子だよ
ちづ子 ・・そうなんだ
佳子 ちづ、早かったんだね、今日
ちづ子 いつも通りだよ
佳子 そっか
ちづ子 なんか、話し込んでるみたいだったけど
佳子 いや、今日帰りに校門で待ってるように言っただけ
ちづ子 えっなんで
佳子 あいつ、今日から私のことを何でも聞く人になったの。
ちづ子 そうなんだ
佳子 うん
ちづ子 ・・え
佳子 ねえ、今日三人で遊びに行かない?
ちづ子 え
佳子 せっかく、だし
ちづ子 ・・いいよ
佳子 どこいこうか
ちづ子 あの、佳子ちゃん
佳子 なに
ちづ子 その、カバンであの子の事、バシバシたたいてたよね
佳子 たたいてた
ちづ子 なんで
佳子 なんでだろう、なんかね
ちづ子 佳子ちゃん、大丈夫?
佳子 大丈夫だよ、ごめんね
ちづ子 いや、全然。
と、ちづ子の髪の毛をわしゃわしゃとなでる
佳子 あはは、はは
ちづ子 ねえ、やめて、ねえ
佳子 ごめん
ちづ子 もう
佳子 カラオケ行こうか
ちづ子 カラオケ?いいよ
佳子 久しぶりだね
ちづ子 うん
音楽
ちづ子と佳子、片隅に彼。
フライドポテトを目の前にじっと座っている。
佳子が歌い終わると、ちづ子、小さく拍手をする。
佳子 ・・たのしい?
彼 えっ
佳子 お前、歌っていいよ
彼 えっ
佳子 歌いなよ
ちづ子 うん、せっかくきたんだし。
彼 でも僕、へただから
ちづ子 私もへたくそだから、大丈夫だよ
佳子 ・・・。
ちづ子 ねえ、恥ずかしかったら、大丈夫だけど
と、歌本とマイクを渡す。
彼 じゃあ、
と、歌本をめくる。
佳子 カラオケ、来たことあるの
彼 うん、あの、家族でよく来ます
佳子 そうなんだ
ちづ子 家族で、カラオケ、したことないなあ
佳子 ちづ子の家はそうだろうね
ちづ子 うん
彼、モニターにリモコンを向けた。
曲目が表示される
佳子 ○○○○
ちづ子 ○○○○!
彼、歌い出す。下手くそである。
歌い終わる。(サビ終わりまで)
ちづ子、小さく拍手をする
佳子 下手くそだね
彼 すみません
ちづ子 ・・ふふ。
音楽
ちづ子 彼と会ったのはその時が初めてで、佳子ちゃんはいじめられていたって言っていたから、暗い子なのかなと思ったら、笑うと人懐っこい笑顔で、なんていうか、とてもそんな風には見えなかったんですけど。ただ、人より生きるペースがゆっくりなだけで、なんていうか、彼の周りにはずっとずっと強風が吹いているというか。生きることがこんなに大変な人がいるんだなって、他人事みたいに思いました。
ちづ子、振り返る
ちづ子 私には、優しい父親が一人、何不自由なく幸せに暮らしているふりをしています。父は優しくて、優しすぎるくらい優しくて、私にはとてもつらい時間でした。
ちづ子、正面を見据えたまま
ちづ子 カラオケに
ちづ子 お父さんどうしたの。
ちづ子 どうもしないよ、と、重たさの染みついたような声でそうつぶやくと、私の手をしばらく撫でて、そしてネクタイを弛めると、焦点の定まらないまま風呂に入り、パジャマに着かえると、また焦点の合わないまま居間に戻ってきて父は私の手をさすり続けるのでした。
父、去った。
ちづ子 私がこうして居間にい続けることが父にとっては心の支えであるみたいで、いないと大変でした。父は、もう心が死んでいるみたいでした。
彼 ちづ子さんは、普通の人です。とても小さくて、どこかおびえているようだけど、でも、普通の人です。普通であろうとするちづ子さんは、僕にはとても素敵に見えました。
学校。保健室。
佳子、入ってくる。
彼 僕は、例の挨拶運動をしなくなったので、クラスメイトからひどいいじめを受けました。服を脱がされたり、カバンを放り投げられたり、いろんなことをしてはクラスメイト達は大笑いをしていました。あるいは、僕は笑いの種になって、少し得意になるときもあったけど、大方は辛い時間でした。そんな時佳子さんに、私たちのところへきなよ、と保健室登校を進められました。両親が心配するので、と言ったら、佳子さんは、お父さんとお母さんに会わせて、と言って、家までついてきてくれました。両親は僕が初めて女の子を家に連れてきたので本当にびっくりした様子で、なんだか、少し照れ臭かったんですが
と、振り返る。佳子、本を読んでいる。
彼 佳子さんはそのあと、両親と、小一時間なにか話をしていました。僕はというと、部屋の外に追い出されて、妹がテレビゲームをする様子に、じっと見入っていました。それからというもの、僕はこの通り保健室へ通っています。保健室登校を始めてから、ちづ子さんともよくしゃべるようになりました。
ちづ子 佳子ちゃん、学校始まるよ。
佳子 うん
と、文庫本を閉じた。
彼、バインダーをもって二人の正面に立つ
彼 おはようございます。
佳子、ちづ子 おはようございます。(着席)
彼 では、出席を取ります。大渕佳子さん。
佳子 はい。
彼 細川ちづ子さん。
ちづ子 はい。
彼 そして、僕。欠席なしです。
佳子 ほんとに?
彼 えっ、あの、
と、出席簿を確認する
彼 あの、欠席、ない、ないと思う、あの
ちづ子 大丈夫だよ
佳子 からかったんだよ
彼 ああ!(納得)
と、外から見ていた石橋。
石橋 保健室登校、という言葉をよく知らなかったけど、保健室に登校したらずっと保健室にいて、それで一日過ごすんだそうで、これは嫌でも深い仲になるなと僕は思った。細川ちづ子と、大渕佳子と、あともう一人男の子がいたそうだが、この子の事は調べてびっくりした。中学生当時、亡くなったそうだ。
と、ちらちら雪が舞っていた
石橋 あ、雪だ
と、風景は保健室へ。
佳子、ちづ子、彼。帰り支度をしている。
彼 初雪だね
ちづ子 ほんとだね、さむいのかなあ、外
彼 うん、でも風はないみたいだけど
ちづ子 マフラーもってなかったよね、大丈夫?
彼 大丈夫
ちづ子 貸そうか?
彼 えっ
ちづ子 私のマフラー、あんまりきれいじゃないけど
佳子 借りなよ、寒いから
ちづ子 あたし家そこだし、うちにもう一個あるから
彼 ありがとう
ちづ子 いいよ
佳子 電気消すよ
と、ちづ子、彼にマフラーを巻いてやる
佳子、ちづ子去る
彼 ちづ子さんの家は本当にすぐそこで、校門からは歩いて1分もかからないようなところにありました。ちづ子さんのお父さんは休みが不定期で、家の前でちづ子さんの帰りをまっていることがありました。決まってベージュのズボンにワイシャツ、赤茶けたセーターを着、どこかじっと宙をにらむような眼差しで一時間も二時間も待っているのです。ちづ子さんはそんなお父さんに思春期の女の子らしく、「恥ずかしいからやめて」なんて言わなかったんです。授業が終わると一目散に飛んで帰って、お父さんに手を引かれてうちの中へ入るんです。そんな様子をみて、黙っていられないのが大人たちです。
石橋 細川ちづ子は、中学時代、ひどいいじめの対象になっていた。尋常じゃない父親の様子を近所の人たちが悪い噂にしてしまったみたいで、それが知らず知らずのうちに子供の耳に入って、あとはもう、ひどいもので。大体中学生というのは、性というものに興味が出だす時期だから、ほんとうに、時期が悪かったんだと思う。あっという間に、学校中が細川ちづ子のことを好奇の目で見るようになっていた。
友宏宅
友宏 ちづ子とは、健康診断の時に一緒になって、お互い、全然違う部署で、話してるうちに、実は同じ会社で働いてるということが分かって、そこから。なので、あの、
石橋 ・・はい
友宏 あの、ちづ子は、元気にしてますか
石橋 ええ。
友宏 ・・・。
石橋 友宏さんとちづ子さんは、今もその会社に、
友宏 はい。お互い、変わらずに。
石橋 ふと台所を見ると、整然と調理器具が並んでいた。男の一人暮らしでは、なかなかこうはいかない。
と、友宏、紙袋を取ってきた。
友宏 あの、これ、
石橋 え
友宏 あの、お菓子です、
石橋 あ、ありがとうございます。いや、お気持ちはありがたいんですが、受け取れないんです、こういうの
友宏 気持ちだけなんです、本当に
石橋 友宏さん、申し訳ないんですが
と、友宏、紙袋を強く握り
友宏 あの・・、これだけなので・・・
石橋 紙袋の中には、茶封筒が入っている。僕にはどうすることもできないので、個人的な連絡先を渡して、その日は逃げるようにして帰った。
音楽、日が暮れる。
ちづ子、台所に立つ。
ちづ子 ジャガイモの芽って、毒があるっていうけどさ、本当なの。
友宏 本当だよ、
ちづ子 どうしてわかるの
友宏 だって本当だもん
ちづ子 証拠は
友宏 俺
ちづ子 食べたことあるの
友宏 あるよ
ちづ子 うそ
友宏 ほんとだよ。もう葉っぱ生えそうなやつ食べたことあるもん
ちづ子 どうして
友宏 食べれるかなと思って
ちづ子 食べれないでしょ
友宏 それがさ、食べらんないの
ちづ子 どうなったの
友宏 僕の場合は下痢かな、あと熱も出たかな
ちづ子 それいつの話
友宏 社会人一年目くらい
ちづ子 へえ
友宏 どうしたの、芽生えてたの?
ちづ子 うん、しょうがないね、捨てよう
友宏 そうだね
ちづ子 お父さん、土曜日空いてるって
友宏、むせる
友宏 ・・あ、そう、よかった
ちづ子 緊張する?
友宏 するよ、
ちづ子 どんな人か話したことあったっけ
友宏 ないよ
ちづ子 そっか、そうだよね
友宏 別に、大丈夫だよ、話したくないこともあるだろうし
ちづ子 でも、いつまでもそんなこと言ってられないから、
友宏 まあ、僕も、きになる、っちゃ、気になる
ちづ子 うん、
と、ジャガイモを捨てるちづ子。
ちづ子 話していい?
友宏 うん。
ちづ子 長くなるけど
友宏 全然。
ちづ子 お父さんのこと話す前に、あの、佳子ちゃんていう、同級生のこと、聞いてほしいんだけど
友宏 うん
ちづ子 その、佳子ちゃんって、近くに住んでた、幼馴染みたいな女の子がいてね、今はもう、連絡も取ってないんだけど、その子が、私にとって、なんだろうすべてみたいなものだったんです。私たちは、一生懸命生きてたんだけど、どうしても、うまくいかなくて、佳子ちゃんと、彼と、三人で過ごした保健室だけが、私たちの、生きていける空間だったんです。
友宏、いない
舞台はじに石橋
佳子、友宏と入れ替わりに舞台へ登場している。
石橋 彼女たち二人を見比べてみると、似ているようでどこかきっぱりと性格の違う人間だった。でも、ずっとどこかでつながりあっていたんだということが、僕にもひしひしと伝わってきました。
ちづ子 佳子ちゃん、
佳子 ・・・。
ちづ子 佳子ちゃん、佳子ちゃん、
事務所。都会のぎしぎしと軋む道路や、喧騒。
ちづ子は、会社に行かなければならない事を思い出したかのように去る。
扉が開くと、戸口入ってくる。
戸口 お疲れさまです。暑いですよ、外、夏ですよ。大渕さんその恰好で出たら死にますよ
佳子 おかえりなさい
戸口 社長出られてるんですか
佳子 いや、来客。応接室にいると思うよ。
戸口 なるほど、
と、冷蔵庫から飲み物を出す戸口
戸口 大渕さん、なんか飲みますか
佳子 大丈夫、ありがとう
戸口 了解です。
と、自分の席につく戸口。
戸口 大渕さん、最近、どうですか
佳子 ・・・何が
戸口 なんか、ストレスとか、溜まってるんですか
佳子 いや、別に大丈夫だけど
戸口 そうですか
佳子 ・・・。
戸口 社長にセクハラとかされてないですか
佳子 なんで
戸口 あの、いや、はは。
間
戸口 誰か刺し殺したいって、考えてはるんかなって
佳子 ・・そう思ってたらどうするの
間
戸口 それは大変に興味深いことだなと思って
佳子 そう
戸口 え、そうなんですか
佳子 なにが
戸口 大渕さん、社長殺したいって思ってるんですか
佳子 思ってないよ。
戸口 そうですか、それは良かった。
佳子 ・・・。
戸口 お昼買ってきます。
佳子 はい。
戸口 くやしいぐらい何も反論してこない。「何故そう思うの」とか「私の引き出し勝手に見たの」とか、なにもなし。僕は別に、ただ会話したかっただけなんだけど。余計なことを言ってしまった。僕の手癖もばれたかな、あー、余計なこと言っちゃった。ばれたらどうしよ。
などとぶつぶつ言いながら戸口去る。
佳子、ガラガラ、と自分の引き出しを開けてみる。
中の包丁(現物)を取り出して、鏡のように自分の姿を映して見る。
佳子 お仕事お疲れさま。
と、正面に彼
彼 あのひと、誰
佳子 泥棒
彼 佳子さん、何で包丁持ってるの
佳子 いつでも、だれでも、刺し殺せるように
彼 ふうん。
佳子 コーヒー淹れてくれる
彼 わかりました。
彼、支度をする。
彼 あのひと、びっくりしてたね
佳子 うん
彼 何を間違って佳子さんの机なんか見ちゃったんだろ
佳子 なんでだろうね
彼 佳子さんの事、気になってるのかな
佳子 まさか
彼 嫌だな、
佳子 大丈夫だよ
彼 警察に通報したら?
佳子 なんで
彼 だって、泥棒なんでしょ
佳子 多分ね。現場見たわけじゃないから、なんともだけど。
彼 捕まえないの
佳子 恨まれても仕様がないしね。
彼 ふうん。
佳子 ねえ、
彼 なんですか
佳子 なんでもない
彼 そうですか
佳子 ・・・、誰。
彼、お盆に乗せた一切を取り落とす。
食器が割れる音。
佳子 もしかして、ちづ子?
と、部屋の外で隠れていたちづ子、出てくる。
ちづ子 佳子ちゃん
佳子 やめてよ、ストーカーみたい。
ちづ子 ごめん、でもその、佳子ちゃんどうしてるか気になって、
佳子 よくここが分かったね
ちづ子 ・・・。
佳子 つけたの
ちづ子 うん。
佳子 ちづ子、それじゃ完全にストーカーだよ。
ちづ子 ご、ごめん、あの、大丈夫、なんか割れる音したけど
佳子 うん、
と、包丁を引き出しにしまう佳子。
ちづ子 佳子ちゃん、変わってないね。
佳子 何か飲む?コーヒーと、紅茶と、お茶あるけど
ちづ子 あ、いい
佳子 のみなよ
ちづ子 あ、じゃあ、コーヒー
と、佳子、インスタントコーヒーを淹れる。
佳子 お砂糖入れる
ちづ子 うん
佳子、ステックシュガーとクリープ、ホットコーヒーの入ったマグカップを二つ、お盆に乗せてちづ子の前に置いた。
ちづ子 ありがとう
佳子、コーヒーに手をのばす
ちづ子、ゆっくりとマグカップを持つ
ちづ子 いただきます
と、一口飲んだ
ちづ子、ステックシュガーを一本、マグカップに入れた。
佳子 ちづ、何しに来たの
ちづ子 佳子ちゃんに謝りに、
佳子 何を
ちづ子 こないだ、わたし・・・。
佳子 何かした?
ちづ子 佳子ちゃんの気持ちも考えないで、彼氏、連れてきて、私幸せですって、バカみたいに・・・
佳子 ちづ子、じゃあ、私のために不幸せになってくれる?
ちづ子 え?
佳子 謝りに来たって、どういうことか私、よくわからない。ちづ子は今、つかんだものがあって、それは手放したくないけど、私には申し訳ないと思ってるって言いに来たの
ちづ子 その
佳子 だったら、私に何か言ってもしょうがないんじゃない。ちづ子にはちづ子の生活があって、私には私の今があって、それはもうどうにもならないって、そう思ってるんだったら、いま私にこうやって何か言う事って、どれだけの意味があるのかな。
ちづ子 佳子ちゃん、私は、ただ、中学生の時みたいに、一緒に
佳子 それは無理だよ。私だって少なからず大人になったし。彼のことももう忘れちゃった。
ちづ子 うそ、佳子ちゃんはまだ子供だよ。何も変わってない。ずっとまっすぐ生きてて、あの子のことだってずっと気にかけてる。
佳子 忘れちゃったよ
ちづ子 嘘だよ、佳子ちゃん。わかるよ、だって、佳子ちゃんは嘘つくの世界で一番下手くそなんだもん!
佳子 うるさい黙れ!!馬鹿!
ちづ子 佳子ちゃん!
バシバシと殴りつける佳子。
ちづ子 痛い、痛いよ
佳子 ・・・。
ちづ子 佳子ちゃんやっぱり変わってない。あの時と同じでずっと綺麗な目してる。私、佳子ちゃんのその目大好きだった。
佳子 馬鹿。
ちづ子 でも佳子ちゃん、ひどい、なんで一回も私に連絡くれなかったの。
佳子 ・・・。
ちづ子 ねえ
奥田、入ってくる
奥田 あ・・、こんにちは
ちづ子 ・・・。
佳子 ・・・。
奥田、席につく。
奥田 あの
ちづ子 はい
奥田 あの、失礼ですけど、
佳子 ・・友達です
奥田 あ、そうですか。
間
奥田 あの
チャイム
保健室。
佳子 お前、ちづ子の事、好きなの
彼 うん
佳子 どこが?顔?
彼 顔は別に
佳子 じゃあどこ?
彼 普通でいようとしてるところが
佳子 何それ、気持ち悪
彼 佳子さん、あの、ディズニーランドのチケット貰ったんですけど、行きませんか
佳子 ディズニーランド
彼 僕と、佳子さんと、ちづ子さんで
佳子 二人で行って来たらいいじゃん
彼 いや、みんなで行った方が、たのしいし
佳子 すごいね、見せて
と、チケットを受け取り、見る佳子
佳子 ・・しゅ・・まつ
彼 株主優待です
佳子 何それ
彼 その、ラッキーポイントみたいな
佳子 なるほど
二人の前で
ちづ子 ただいま
ちづ子、父に手を取られ、家に入る
佳子 行こうか
彼 やった
佳子 いつにする
彼 僕は、いつでも
佳子 わたしも。
彼 じゃあ、ちづ子さんに聞きます。いつがいいか
佳子 明日にしよう
彼 何言ってんですか
佳子 だって、明日のほうがいいよ、なんとなく。
彼 あした水曜ですけど
佳子 だから何
彼 学校があるんですけど
佳子 だから何
彼 何でもないです
佳子 私、ディズニーランドとか行ったことないな
彼 そうなんですか
佳子 うん。小学校まで親いなかったし。
彼 そうなんですか
佳子 うん
彼 あの、でもちづ子さんの予定
佳子 何もないよ
と、その日の夜。
彼、自宅からちづ子宅に電話をかけていた
ちづ子 明日?何もないよ
彼 その、佳子さんが学校さぼってディズニーランド行こうって言ってるんですけど
ちづ子 うん、わかった。
彼 え、大丈夫なんですか
ちづ子 大丈夫だよ
彼 じゃあ、明日早いですけど、10時に、入り口で待ってます。
ちづ子 おっけー。
と、電話を切った。
ちづ子 父は、明日仕事がないので、送っていくと言ってくれました。父は、私が楽しげにしているのを見て、なんだかうれしそうな顔をしていました。私のことをいつでも第一に考えてくれるのはうれしいのですが、やっぱり、その優しさが、息苦しさを感じさせることもありました。でも、いつかきっと、父と私の上に垂れこめた霧が晴れることを信じて、少女の私は、毎日、微笑みを絶やさないように、それだけを気にかけながら、生きていました。
小遣いを渡されるちづ子
ちづ子 こんなにいらないよ、お父さんにしかお土産買わないし、でも、本当に使わないと思う・・、
と、机の上に出された、二万円をじっと見ていた。
奥田 あの、コーヒー、嫌いだったかな
ちづ子 えっ!
奥田 あっ、その、コーヒー、
ちづ子 (奥田に)すみません
奥田 いや、いいんだけどね、全然、
ちづ子 すみません
奥田 ・・・。
ちづ子 いただきます。
奥田 いや、無理しなくていいよ、
ちづ子 いや、全然、私コーヒー好きなので
奥田 えっ
ちづ子 えっ
奥田 あ、いや。
ちづ子、コーヒーを飲む。
ちづ子 あの、佳子ちゃんは、いつからここにいるんですか
奥田 五年前かな。
ちづ子 そうなんですね
奥田 うん。
ちづ子 あ、私、細川ちづ子と言います。
奥田 あ、どうも、奥田です。
ちづ子 すみません、こんな遅くに、しかも勝手に入ってきて、
奥田 いや、そんな、全然。ちょっとびっくりしたけど。
ちづ子 佳子ちゃん、どうですか、普段。
奥田 すごくよく働いてくれてますよ。口数は少ないけど、やることはやってくれてるので
ちづ子 仕事以外は
奥田 正直、あまりよく知らないかな。・・五年もいっしょにいて、情けないんだけど。ちょっとね、聞きづらくて、いろんな事。
ちづ子 そうなんですか
奥田 うん。時々、すごくつらそうな顔をしてる時もあったりして、何かと気になってはいるんだけど、あんまり聞くのもね
ちづ子 ・・・。
奥田 大渕さん、遅いね。
ちづ子 あの、すみませんでした、私、帰ります。
奥田 いやいや、気にしなくていいよ、また戻ってくるだろうし、ゆっくりしてもらったら
ちづ子 いやでも、ご迷惑ですから
奥田 何も何も、ほんとに、大渕さんも、遠くには行ってないみたいだし、すぐ帰ってくるんじゃないかな
ちづ子 そうなんですか
奥田 カバンが
ちづ子 ああ、
奥田 何があったのか僕にはわからないけど、大渕さん戻ってくるまで、いた方がいいんじゃないかな
ちづ子 ありがとうございます。
奥田 もしかして、あなたが、中学の時のお友達かな
ちづ子 え
奥田 あの、違ったらごめんね。大渕さんがまえ話してくれた、保健室登校をしてた時の友達なんじゃないかなって、思ったんだ。
ちづ子 佳子ちゃんが、他人にそんなこと話してたなんて。なんだか、かなり意外だった。
と、奥田去る。
彼、佳子、待っていた。
彼 あ、ちづ子さんだ!!!
と、大きく手を振る彼
バタン、と車のドアが閉まる音。
ちづ子 ごめんお待たせ!
石橋は消えている。
彼 (父に)あ、こんにちは。
ちづ子 おはよう!佳子ちゃんも、ごめんね、待たせちゃって。
佳子 ううん。(父に)おはようございます。すみません、今日は無理にちづ子さんを誘ってしまって。
父、ニコニコと笑うばかりで、一言も発しない。
彼 ちづ子さん、これ、チケットです。
ちづ子 え、あ、買っといてくれた?
佳子 おまえ、チケットのこと言わなかったの
彼 あ、忘れてました、その、今日は、僕がもらったチケットがあるので、大丈夫です
ちづ子 あ、何だ、そうなんだあ。
彼 あの、お父さんは、今日はお休みなんですか
ちづ子 そうなの。
彼 あの、コレ、まだ余ってるから
ちづ子 えっ
彼 いっしょに、あの、だめですか
父、驚いている
ちづ子 でも、
佳子 私はいいよ。ぜんぜん。
彼 ね、あの、よかったら
ちづ子 ほんとに
佳子 うん。
ちづ子 お父さん、
と、父、戸惑った顔を見せているが、やがて笑顔に戻る。
ちづ子 やった!じゃあ、一緒に
彼 行きましょう!
エレクトリカル・パレードが流れる
日が暮れる。
ちづ子 その日は、ほんとうに幸せな一日だった。入って早々に、佳子ちゃんが、夜のパレードまで自由行動って言ったきり二人とも居なくなっちゃって、結局、お父さんと二人で園内を回ってた。お父さん、口下手だから何も言わなかったけど、ディズニーを出たあと、みんなにご飯ごちそうしてくれて、家まで送っていって、二人で家に帰ってきて寝るまで、ずっとニコニコしてた。うれしかったんだなあって、ほんとうに。私、ときどきあの日の事思い出すんだ。
友宏のマンション
友宏 ちづ、コーヒー飲む?
ちづ子 大丈夫
友宏、自分のコーヒーを淹れる
ちづ子 もうだいぶ遅くなっちゃったね
友宏 あ、ほんとだ、気が付かなかった。
ちづ子 なんか眠くなっちゃった
友宏 もう寝る?
ちづ子 うん。
友宏 話の続き、また聞かせてよ。
ちづ子 ううん
友宏 あ、いや、全然無理することないけど
ちづ子 あ、ごめんそうじゃなくて、この後はあんまりいいことなかったからさ、ちょっと嫌な話が続くんだけど
友宏 うん
ちづ子 もう、きょう喋っちゃわないと、一生しゃべらない気がして
友宏 それは困るなあ
ちづ子 うん、
友宏 やっぱりコーヒー飲んだら
ちづ子 うん、そうしよっかな
友宏 おっけー。
と、友宏、コーヒーを二人分に
友宏 ちづ子は、その、彼と今でも連絡取り合ってるの
ちづ子 いや
友宏 そっか
ちづ子 というか
友宏 うん
ちづ子 まあ、おいおい話すんだけど、その、もう、亡くなってて、だから、年に一回、お参りに行ってるんだけどね
テーマパークのにぎやかな音が聞こえてくる
彼、佳子登場。
彼 佳子さん、パレードまであと8時間あるけど
佳子 そうだね
彼 何乗りますか
佳子 私よく知らないから、案内して
彼 わかりました。佳子さん、ジェットコースター大丈夫ですか
佳子 多分大丈夫
彼 じゃあ、とにかく、全部乗りましょう
佳子 わかった。
彼 その日は平日だったので、あまり待つこともなく、いろんな乗り物に乗りました。中でもスプラッシュマウンテンが佳子さんのお気に入りだったみたいで、都合5回も乗ったんですけど、正直しんどかったです。
佳子 きれいだなあ
彼 シンデレラ城ですか
佳子 うん
彼 住んでみたいって思いますか
佳子 うん。
彼 意外です
佳子 なんで
彼 いや、別に
佳子 また殴るね。
彼 さすがの佳子さんも、夢の国の中では暴力を振るいませんでした。なんていうか、ホントに意外だったんです。佳子さんも、やっぱり普通の女の子なんだなって、ただただそう思ってました。
佳子 おなか減ったね、ご飯食べようか
彼 そうですね
佳子 何食べたい
彼 ハンバーグ食べたいです
佳子 ここ、あるんじゃない
彼 あ、佳子さん、でも、洋食は高いんで、中華とかだったら安いので
佳子 いいの、お金は。ご飯くらいおごってあげるから
彼 いやいや、そんな
佳子 いいよ、私今日20万もってきてるから
彼 え
佳子 馬鹿みたいでしょ。お母さんが、持っていきなさいって。要らないですって言ったら、機嫌悪くなったから、もらってきた。
彼 そうですか。
佳子 だから何でもいいよ、ほんとうに。チケット代もおごってもらってるし
彼 いや、僕は貰ったものあげてるだけですから
佳子 私も一緒だよ。
彼 佳子さんの家庭のことはすごく気になったけど、あまり聞かなかった。聞けばあけすけに何でも答えてくれただろうけど、ちょっと怖くて。お昼は、僕の希望通りハンバーグが食べられるレストランに入った。
二人すわる。
彼、食べている。
佳子、口元の汚れを、ナプキンで拭ってやる。
彼 ・・・。
佳子 ちづ子の好きなとこ、普通であろうとしてるとこって言ってたけど、なんでそう思ったの。
彼 ちづ子さんって、あまり弱音言わないじゃないですか。例えば追い詰められていても、なんか、健全であろうとしているというか
佳子 ちづ子は健全になろうとしてるの?
彼 はい
佳子 人の事じっと見てるんだね
彼 ごめんなさい
佳子 ちょっと気持ち悪い時と、だいぶ気持ち悪い時と、死んだ方がいい時があるから、気を付けてね
彼 ごめんなさい
佳子 謝ることないけど。
と、佳子、また口元を拭ってやる
佳子 昨日から考えてたんだけど、やっぱりそうだ
彼 なんですか
佳子 いや、その髪型、やっぱり変だよ
彼 そうですかね
佳子 自信もってその髪形にしてるの
彼 はい
佳子 へえ、気持ち悪いね。
彼 そのあと、スプラッシュマウンテンをはさみつつ、色々な乗り物に乗った。佳子さんは20万円を持て余してるらしく、色々なショップを覗き、商品を手にとっては、棚に戻す動作を繰り返していた。
佳子 そろそろ時間だね。
彼 そうですね。もう行きますか。
佳子 うん。
と、遠くから眺めていた石橋。
石橋 昔の事も、少し、調べさせてもらいました。保健室登校をされていた時のことだとか、その細川さんともう一人の男の子のことだとか。気になることが多くて。
佳子 はい
石橋 最終的に、僕が分かったことといえば、細川さんと大渕さんは、とても仲が良かったということだけなんですが。
佳子 え、
と、彼、去る。
捜査室。
石橋 まあ、一応僕も警察なので、物事は公平に見るように努力はしています。辛いご経験をされたんだなと、ただ、そう思っています。
佳子 そうですか
石橋 中学を卒業されてから、定時制の高校に通われていますよね、どうしてですか
佳子 ・・ただ、
石橋 はい
佳子 親元から離れたかったというのと、私には勉強が向いていなかったので、早くに働いてしまおうと思って
石橋 賢明ですね
佳子 そうですかね
石橋 はい
佳子 なぜ
石橋 僕も、同じく勉強が苦手でした。というより、勉強するのが下手だったというか。でも、大学まで出ました。振り返ってみれば、高校卒業と同時にこの仕事を選んでいれば、って、よく思いますから
佳子 私は、高校も出るつもりなかったんですけどね
石橋 そうなんですか
佳子 はい。
石橋 ご両親の勧めで
佳子 はい。
雨が降り始める。
石橋、捜査室の窓から、外を眺める
石橋 立ち入ったことばかり聞いてしまって
佳子 いや
石橋 これは、ただ、個人的に、気になるだけなんですが
佳子 はい
石橋 彼も、勉強が苦手だったんですか?
佳子 ああ、彼は、そうですね、私とはちょっと違いますけど、単純に、遅いんです。全部が
石橋の後ろに保健室
彼 ・・・。
ちづ子 え、何が分からないの
彼 その、何が分からないっていうか
ちづ子 xが1の時は?
彼 あっ
ちづ子 xに1を入れて
彼 いれる?
ちづ子 その、あてはめて
彼 えっと
佳子 だからね、最初から向いてないんですよ、生きていくこと自体が。
石橋 ・・そうなんですか。
佳子 ちづ子は、必死になって教えてましたけどね。
石橋、去る。
ちづ子 y=1/2xだから1/2かける1して
彼 なんで
ちづ子 えっ。
彼 えっ。
ちづ子 えーっと、ここにあてはめたら、掛け算になるでしょ
彼 なるの
ちづ子 習わなかった?
彼 わかんない
ちづ子 え、じゃあ、2xのxに3を入れたら?
と、書きながら
彼 あ、これは6
ちづ子 わかるんだ
彼 うん、最初の方で習った
ちづ子 それだよ、これ
彼 あ!あ!そうか!わかった!!
佳子、本を読んでいる
ちづ子 ううんと、これはつまづく所じゃないっていうか
彼 ごめんなさい
ちづ子 いや、あやまることないんだけど、数学って、前習った事、ちゃんと覚えとかないと、たくさんわからないこと増えるよ
彼 うん、
と、冷や汗をかいている彼
ちづ子 大丈夫?
彼 大丈夫
佳子 少し休んだ方がいいよ
彼 ううん。大丈夫。
佳子 休みなさい
彼 はい。
ちづ子 ごめんね、大丈夫?
彼 いや、ごめんなさい、せっかく教えてもらってるのに
ちづ子 別にそんなことはいいんだけど。
彼 いや、でも、あまりにもできないから、集中力も全然持たないし
ちづ子 自分には自分のペースがあるんだから。佳子ちゃんなんて、まったく勉強してないじゃん
二人、佳子を見る
彼 ・・いいんですか
佳子 どうしたの?
彼 いや
ちづ子 まあ、自分のペースで、頑張ろう!
彼 はい!
降りしきる雨
彼 あの、ちづ子さんは
ちづ子 なに
彼 どうして三谷高校、受けるんですか
ちづ子 ここから近いし、頭もいいから。
佳子 お父さん?
ちづ子 うん。お父さん、心配するし。
外で生徒たちが雨にはしゃぐ声
ちづ子 雨、やまないね
佳子 修学旅行、雨らしいね。
ちづ子 修学旅行かあ
佳子 なに
ちづ子 行きたくないなあ。
彼 どうしてですか
ちづ子 どうしてって・・・。佳子ちゃんは行かないんでしょ
佳子 うん。内緒で断っちゃったし。
ちづ子 内緒って、お母さんに?
佳子 うん。
ちづ子 大丈夫なの?怒られない?
佳子 ばれたらね。でも上手にやったから大丈夫。
ちづ子 でもそのうちばれるでしょ
佳子 まあ、その時はその時だけど、たぶんばれないと思う。
ちづ子 うーん、でも、そうかも
彼 そうなの
佳子 私のとこはね、そうなの。
彼 へえ。
雷が鳴る
ちづ子 ねえ、佳子ちゃん
佳子 トイレ?
ちづ子 うん
佳子 いいよ、私も行きたかったし
と、二人出ていく
彼、取り残されると、段ボール机に向かい、何やら勉強を始めた。
石橋、眺めている
彼 気になりますか
石橋 え、あ、うん。毎回?
彼 はい。絶対トイレは二人で行きます。
石橋 それは、どうして?
彼 トイレは、ほかのクラスの人たちと共有なんです。たまに、授業中でもほかのクラスの人と出くわすことがあったみたいなので
石橋 出くわすと、なんか言われるの
彼 あ、はい。ちづ子さんとか、ひどいです。最悪なこと言われてます。
石橋 君は、大丈夫なの?
彼 あ、僕は、無視されるようになったので
石橋 どうして
彼 あの、僕のせいで、親、呼び出されたりした子がいるみたいで。
反対側に友宏
友宏 そこからは、少しの間彼に対するいじめは無くなってたみたいなんですけどね。
石橋 完全には無くならなかったんですか
友宏 いや、ひどくなったみたいです。
石橋 それは、いじめをとがめられた腹いせに、という事ですか
友宏 はい。そうだったみたいです。
と、友宏去る。
ちづ子、保健室へ戻ってきた。
「佳子ちゃん、体調悪いみたい」
と、ちづ子、彼に言ったようだ。
二人は去る。
石橋 二回目に友宏さんに会ったときには、憔悴が目に見えるようで、正直、いたたまれなかった。あまりしつこく伺うのもと遠慮していたが、友宏さんも話せなかったことが何か心残りであったらしく、細川の中学生当時のことを、細川がいた保健室のことを、話してくれた。そして、ある一冊の週刊誌を、僕に見せてくれた。
佳子舞台端へ登場。
作業服のファスナーを開け、首元や体の汗を拭いている。
石橋 (週刊誌を広げ)少女Aが大渕、少女Bが細川のことだろう。人間が言葉を持たなければ、いったいどれだけの人は傷つかずに済んだだろう。
石橋去る。
都会の喧騒。
工事の音。
大型車の次々に往来する音。
戸口自宅。
ガチャリ、と金属製のドアが開き、戸口入ってくる。
上着を一枚脱ぐと、タンクトップになる。
水を飲む。
工事の音がけたたましく響いている。
戸口 ・・・。
戸口、手のひらサイズの無線機からイヤホンを延ばし、音に聞き入る。
佳子、洗面所から出ていく。
盗聴器から、バタリと扉の閉まる音。
足音。
椅子を引き、座る。
小さく咳をする。
ノイズに交じって、佳子の一挙手一投足が聞こえてくる。
戸口 ・・・。
戸口、ペットボトルをあけ、水を一気に飲む。
声(佳子) お仕事、お疲れさま
キンコン、と甲高いチャイムが鳴る
戸口 はい
と、ぶっきらぼうに返事をすると、出ていく。
音楽
保健室。
彼と佳子がいる。ちづ子はいない。
彼、何か一生懸命に読んでいる
佳子 数学の勉強はやめたの
彼 ・・あの、これ、まだちづ子さんには言わないでほしいんですど
佳子 なに
彼 僕、進学させてもらえないみたいなんです
佳子 何それ
彼 いやその、僕の学力って、もう上がらないみたいで、一応、その、低いレベルの高校だったら入れるみたいなんですけど、でも、あんまり意味がないから
佳子 意味ないって、誰が言ったの
彼 お父さんと、お母さんと、あの、おじさん、あの、おじさんが会社を持っていて、そこに入れてもらえるみたいなので
佳子 ふうん。
彼 せっかくちづ子さんに勉強教えてもらったんですけど
佳子 ちづ子には早く言った方がいいよ。
彼 はい。
佳子 おまえ、三谷高校行って、どうしようと思ってたの
彼 はい、僕は学校の先生になろうと思ってました
佳子 先生
彼 はい
佳子 いい夢だね
彼、また本に目を落とす。
佳子、立ち上がって窓越しに外を見た。
彼 天気、全然よくならないですね
佳子 そうだね。
彼 せっかくの修学旅行なのに
佳子 向こうは晴れてるかもよ
彼 だといいですけど
佳子 ちづ子、どうやって寝るんだろうね
彼 え
佳子 だって、相部屋らしいから
彼 そうですね、
佳子 変な子と一緒じゃないといいけど
彼 もしかしたら、寝れないかもしれないですね。
佳子 そうだね。
彼 ちづ子さん、佳子さんみたいに、行かないのかと思ってました。
佳子 なんかね、前のクラスの友達に誘われたんだって、
彼 そうなんですか
佳子 友達というか、元友達だけど。
彼 その人たちも、ちづ子さんいじめてた人ですか
佳子 そう。
彼 ・・・。
佳子 でも、ちづ子は許そうと思ってるんじゃない
彼 ・・・、そうなんですか
佳子 傷ついて帰ってくるかもね。
彼 僕、慰めます
佳子 慰めるの
彼 はい
佳子 どうやって
彼 こう、背中を、なでてあげます
佳子 通報されたらどうするの
彼 ええ、
佳子 ・・先生になったらいいのに
彼 なれないんです
佳子 そうなの?
彼 ・・・僕は、なれると思ってます。
佳子 私もそう思うよ。
彼 ほんとに
佳子 うん。いい先生になれると思う。
彼 ・・へへ、うひ、うひひ
佳子 ふふふ
と、笑いあう二人
佳子 ふふふ、、ははは。あー。気持ち悪い。
音楽
事務所
ちづ子 それまでは、その子たちは、私のことを避けてたんですけど、修学旅行前になって、突然、話しかけられて、「ちづちゃん、修学旅行行かないって本当?」って
奥田 はい
ちづ子 私がうんって言ったら、「寂しいじゃん」って、「来なよ」って言ってくれて、私すごくうれしくて。また友達になってくれるんだって。その子たちの班に入れてもらって、私、修学旅行行くことにしたんです。
奥田、聞いている。
ちづ子 それで、初日にいきなり自由行動があったので、京都の町をみんなで回って、小学校の時に戻ったみたいで、本当に楽しかったんです。それで、市内の旅館に泊まって、夜遅くまでトランプやったり、夜更かしして遊んでたんです。そしたら、ある子に突然「ちづ子、大人の人とエッチしたことあるって、本当?」って聞かれたんです。私は、もちろんそんな経験はなかったし、笑って聞き流せばよかったんですけど、でも、答えに詰まってる間に、みんな急に静かになって、私のところに集まってきて、興味津々な顔で私のこと見てるんです。
奥田 ・・・。
ちづ子 わたし、その時に気が付いたんです、「あ、この子たちは私とお父さんの噂が本当か聞きたくて私を修学旅行に誘ったんだ」って。
奥田 そんな
ちづ子 そうなんです。本当に。悪気はないんです。ただ、そのいろんなことを受け入れられる年になったから、嫌悪感より好奇心のほうが強くなって、誰からともなく提案したんだと思うんです。彼女たちの表情から、そんなことがありありと見えたんです。
奥田 ・・・。
ちづ子 ・・・私、嘘つきました。「本当だよ」って言ったんです。そしたらみんな表情がぱあっと明るくなって、いろんな事を身を乗り出して聞くんです。何か聞かれるたびに、私は、一番盛り上がるようにウソの話を作って答えたんです。「痛かった?」って聞かれたら「最初は痛かったけど、だんだん気持ちよくなった」って
ちづ子、歯を食いしばって涙を溜めている。
ちづ子 「相手の人は、優しかった?」って聞かれたら、「すごく優しくて、キスが上手だった」って、「その相手の人って、実はお父さんなんでしょって」聞かれたら、「そうだよ」って。それで、
奥田 ・・・はい。
ちづ子 そしたら、学校中に、その話が広まって、家に、児童相談所の職員の人が、来たんです。私は、とんでもないことしてしまったと思って、一生懸命職員の人にお話をしたんです。そしたら、ちゃんとわかってもらえて、それは、なんとかなったんですけど、
彼、横に立っていた。
彼 スーツの大人たちが、ちづ子さんの家に入っていくところを見たって話が広がったんです。あの噂、やっぱり本当だったんだねって。もう、どうにもならなかったんです。ちづ子さんは、もう、見世物でした。
奥田、いなくなる
ちづ子 私がバカだったから、お父さんはひどい目にあって、彼は、死んじゃって、私は、本当に生きている価値のない人間なんです。彼には、夢があったのに、私のせいで、台無しにしちゃって、私は、本当に、どうしていいかわかりません。私も彼と同じように、今すぐここから飛び降りて、死んでしまえばいいのに、彼と佳子ちゃんがそれをさせてくれないんです、あの時、
があん、と、隣のラウドスピーカーから大きな大きなチャイムが鳴る
ちづ子、驚いて身をかがめる
屋上、風が吹いている
彼と佳子がいる。
ちづ子、走り去る。
佳子 ・・・。
彼 あの、佳子さん。
佳子 ・・・なに、
彼 イライラ、しますね
佳子 ・・うん。
彼 あの、僕、おしっこ、いってきます。
佳子 そこでしたら
彼 あ、そうします
彼、後ろを向く
佳子 進路、結局どうなったの
彼 あ、変わってないです。就職します。
佳子 そっか
彼 佳子さんは、どうするんですか
佳子 私も、就職だよ
彼 どうしてですか
佳子 勉強、できないから
彼 全部ゼロ点でも受かる高校知ってますよ
佳子 私も
彼 そうですか
再び事務所
佳子の机の上に一冊の週刊誌。
彼 なあにそれ
戸口、自宅でその様子をじっと聞いている。
佳子 誰が置いて行ったんだろう。
彼 あのひとじゃない、
佳子 誰
彼 あの、泥棒の人
佳子 そうかもね
彼 それ、あの時のやつ?
佳子 うん、お前が死んだときの
彼 こんなこと、あるんだね
佳子 ね
彼 あのひと、殺してあげようか
佳子 だめだよ
彼 どうして
佳子 人はね、殺したらダメなの
彼 どうして
佳子 ダメなものは、だめ、理由はないの。
彼 あいつ、どこからあんなもの手に入れたんだろうね
佳子 さあ、まめな性格みたいだから、頑張ったんじゃない
彼 ふうん。
佳子 おまえ、ちづ子を守ろうとして、死んだんでしょ
彼、首をひねる。
佳子 ちづ子のうわさ話なんか、かき消してやろうと思ったんでしょ、自分の命台無しにして
彼、今度は反対側に首をひねる
佳子 そういうのを大ばか者っていうんだよ。
彼 佳子さん、僕を今でも覚えていてくれて、ありがと
と、佳子、彼に向かって腕いっぱい使って「しっし」をする。
彼、ゆっくりとした足取りで舞台から降りる。
ちづ子、いた。
ちづ子 社長さん、もう帰ったよ
佳子 そっか
ちづ子 帰ろうかと思ったんだけど、いて良いよって
佳子 そっか。
と、自分のデスクにつく佳子
佳子 ごめんね、だいぶ待たせて
ちづ子 いや、私こそ、居座っちゃって
佳子 ・・コーヒー飲む?
ちづ子 大丈夫、ありがとう。
佳子 いいのに
ちづ子 いや、居座っといてなんなんだけどさ、明日、朝帰らなきゃいけないから
佳子 どこに
ちづ子 実家、
佳子 そうなんだ。
ちづ子 うん。
佳子 お父さん元気
ちづ子 うん、元気だよ。
佳子 そっか。
佳子、コーヒーを一口飲んだ。
ちづ子 佳子ちゃん、ずっとこの会社にいるの
佳子 うん。私、こう見えて社長と仲いいんだよ。
ちづ子 奥田さん?
佳子 うん。
ちづ子 あのひと、いい人だね
佳子 うん。
ちづ子 佳子ちゃん、お墓参り、行く?
佳子 うん。明後日にしようかなと思ってるけど。家族と出くわすし。
ちづ子 そうだね。
佳子 ちづ子は?
ちづ子 私も、
佳子 実家、連れてくの?彼氏
ちづ子 うん。
佳子 初めて?
ちづ子 うん、実は。
佳子 そうなんだ。
ちづ子、舞台を降りる。
屋上。
佳子 ちづ子、死ぬつもりだったのかな
彼 そうかもしれないですね、
佳子 ・・・私も、死んじゃいたいなって、思うこと、あるんだ。
彼 ・・・。
佳子 もしかしたら、ちづ子と友達になったのは、一緒に、死ぬためだったのかなって、最近、よく思うんだ。
彼 ・・・。
佳子 先、教室戻ってるね。
佳子、舞台を降りる。
彼 ・・それは、馬鹿ですよ
音楽。
彼 佳子さんは、むちゃくちゃ優しいだけです。ちづ子さんの分まで自分のことみたいに背負い込んで、死にたいって気持ちまで一緒になってるんです。
風が吹いている。
彼 僕は、ちづ子さんの事、大好きですけど、佳子さんの事も、大好きです。
舞台両端に佳子とちづ子。
ちづ子 佳子ちゃん、ずっと怒ってた、私の事
佳子 怒る?
ちづ子 だって、私は逃げてばっかりだったから
佳子 そうかな
ちづ子 そうだよ。ただただ、みんなが感じてる幸せをわたしも感じたくて、みんなに合わせて進学して、就職して、婚約して、
佳子 ・・・、
ちづ子 だから、この間、駅で佳子ちゃん見つけた時に、はっと思って
佳子 何が
ちづ子 その、佳子ちゃんは、彼のこと、彼が死んじゃったこと、今でも自分の責任にして、背負って生きてるんだなって。私なんか、彼氏に慰めてもらって、それで気分は軽くなって、ただそれだけで全部解決した気になって
佳子 ・・・。
彼 ちづ子さんは、それでいいと思うんです。背伸びせずに、そのまま、ありのままで生きていれば。
佳子 ねえ、ちづ、私、ちづ子のこと許せなかったんだ。
ちづ子 ・・・、
佳子 あいつはちづ子のために死んだんだろうなって、無理やり、自分の中で結論付けてたから、
ちづ子 ・・・。
佳子 ちづ子はいつまでも変わらないんだって、あいつが死んでも死ななくても、ずっと弱いままなんだなって、
ちづ子 うん。
佳子 でも、ちづ子、変わったよ。
ちづ子 変わった?
佳子 うん。彼氏と一緒にいるところ、ちょっとしか見てないけど、なんか、ちづも大人になったんだなって思った。
ちづ子 そんなことないよ。
佳子 ちづはあの人と世の中一生懸命生きていこうって決めたんでしょ。それは逃げてる事じゃないと思うけど。
佳子、彼のことを見た。
ちづ子も見る。
ちづ子 ・・・どうして死んだんだろうね
佳子 さあ。
ちづ子 佳子ちゃん、いつから働いてるの
佳子 高校一応行って、通信制だったから、働きながら、高校通って。今の会社に来たのは卒業してからかな。
ちづ子 ずっと働いてたんだ
佳子 私、勉強できないから
ちづ子 偉いと思う。
佳子 私こそ、家庭から逃げてただけだけどね。
ちづ子 そんなことないよ
佳子 そう?
ちづ子 うん。そんなことない。
音楽。
ちづ子 ねえ、覚えてる?
佳子 なに
ちづ子 ディズニーランド行ったとき、パレードが始まったとたんトイレ行っちゃって
佳子 ふふ
ちづ子 全部終わってからやっと帰ってきたよね
佳子 あいつ、私がレストランで沢山注文したから、無理して全部食べたんだよね
ちづ子 そうだったの
佳子 うん。おなか弱いから、それでダメになっちゃったんじゃない
二人、笑い合う。
彼 僕は、今までダメだったすべての僕を殺すんです。そしたら、僕はなんにでもなれるんです。僕は実はダメじゃなかったんです。顔もカッコよかったし、勉強もできたし、ちづ子さんは僕に惚れていて、僕はあのアーケードの喫茶店にちづ子さんを呼び出して告白するんです、ちづ子さんは泣いて喜んで、僕たちは付き合うことになるんです、人並みにデートもして、キスも、して、学校を卒業したら、結婚もするんです。結婚式に来た佳子さんはびっくりするくらいきれいな大人の人になっていて、きれいなドレスをちづ子さんに見せびらかすんです。僕たちは本当に理想の二人だねっていろんな人に言ってもらえるんです。
彼、振り返る。
また後ろを向き
彼 死んだら、全部本当になるんです。佳子さん、ちづ子さん、またね。
と、飛んだ。
ガン、とひもの引っかかる音
佳子 私は、その紐を引っ張ろうとしました、でも、それは、彼の首につながっていて、引っ張れば、彼の首の骨が折れるかもしれなくて、どうしていいかわからず、とにかく、周りに聞こえるように大声で助けを呼ぼうとしました。でも、どういうわけか、のどが詰まって、声が出ないんです。結局、声が出るようになったのは彼が死んでから一年がたった後でした。
音楽
奥田 私が、この会社を人から引き継いだ時、ああ、運がよかったなと心底思いました。それから、事務員が何人か入っては辞めを繰り返して、今やっと、大渕さんという、力強い味方を得ました。彼女は現場にも出れば、事務もそつなくこなしてくれる、この会社にとって欠かせない、大事な従業員なのです。しかし、そんな彼女は何か一物を抱えているらしく、常に何かにあらがうような表情を見せていました。毎日彼女と同じ事務所で仕事をしていると、そのうちに、だんだんと会話が増えていきました。大半は私の愚痴に終始していたけど、あるとき、気になってついに彼女の身の上のことを聞いてみたことがありました。長くなりますけど、と、ぽつぽつ語り始めた彼女の一言一言に、私は驚きを隠せませんでした。
煌々と焚かれるフラッシュ。
佳子、微動だにせず
奥田 当時、このセンセーショナルな死に方をした彼を、世間は舐めるように見つめていました。私も、その当時のことには覚えがありました。
佳子 週刊誌には、本当にいろいろなことをかかれました。中には私がクラスメイトの女の子を売春させていた、なんて出鱈目なものもあって
シャッター音
佳子 大真面目に、爆弾を作って出版社に飛び込んでやろうかと思いました。
舞台両端に石橋、友宏
友宏 当時、佳子さんは何もしゃべらなかったみたいなので、ちづ子のうわさ話と、彼の死をマスコミが勝手につなぎ合わせたものだと思うんです。
石橋 これ、最悪ですね
友宏 ええ、最悪です。
石橋 明日から、大渕佳子の取り調べが始まるんです。
友宏 あ、そうなんですか
石橋 はい
友宏 え、言っていいんですか、そういうの。
石橋 あ、ダメでした。ヒミツにしといてください。
友宏 あの、秘密にするんで、佳子さんの事、聞いてもいいですか
石橋 ダメです。
友宏 あの、佳子さんは今どこに勤めてらっしゃるんですか
石橋 板橋にある清掃会社に。たいていは駅の構内の清掃を担当しているみたいです。同僚からの評判はなかなかいいみたいです。物静かで、仕事は丁寧にこなすタイプみたいですね。あまり人との付き合いはないみたいですけど、愛想も悪くなく、なかなか好かれてるみたいです。今は独身で、会社近くのアパートに一人で暮らしてるみたいですね。
友宏 はあ、そうなんですか
石橋 口が滑りすぎたので、本当にヒミツでお願いしますね。
友宏 すみません、本当に。
石橋 いえいえ。
友宏 あの、こんなこと聞いてあれなんですけど
石橋 はい
友宏 ちづ子の同級生の男の子、どうして死んだんだと思いますか
石橋 それは、なんとも
友宏 すみません、変な事聞いて。
石橋 ・・余計なことかもしれませんけど
友宏 はい
石橋 そのことは、あまり深く考えない方が
友宏 え
石橋 答え、出ませんから。
友宏 そうですね。ありがとうございます。
石橋 ああ、いえいえ。とにかく、細川さんのためにも、一生懸命頑張りますので
友宏 すみません、ありがとうございます。
石橋 あ、あの、今言ったの、ホントにヒミツでお願いします。僕、首飛んじゃうと思うので
友宏 はい、わかりました。
事務所
奥田 戸口君
戸口 はい
奥田 戸口最近残業多いけど、大丈夫
戸口 大丈夫ですよ、え
奥田 え
戸口 ああ、仕事遅いんで、すみません
奥田 いやいや、そんなことないでしょ
戸口 いやいや僕遅いですよ
奥田 そうかな・・・。
戸口 なんかね、サンヨービルの事務所が最近書式変わったんですよ
奥田 え、報告書?
戸口 はい
奥田 あ、なんか言ってたっけ
戸口 そうなんですよ、なんか、テナントごとの入退室記録つけなきゃいけなくなって、
奥田 ウソ
戸口 まじっす。めっちゃめんどくさいですよ
奥田 どうしてんの
戸口 いや、らち開かないんで、なんか、エクセルですんなり打刻できるようにやってんすけどね
奥田 そんなんできるの
戸口 できないっすよ。調べながらやってるっす。
奥田 えらいな
戸口 もっと褒めてください。
奥田 えらいよ
と、奥田席を立つ
戸口 社長
奥田 はい
戸口 大渕さんって、この会社長いんですよね
奥田 いや、うん、言っても5年目だけどね
戸口 そうなんですか
奥田 うん、なんで
戸口 社長と大渕さん、なんか最近親しげな感じだから
奥田 そうか
戸口 そうですよ。
奥田 変なこと言うなよ、
戸口 いや別に、まあ、あれですよ、こないだ、だいぶ遅くまで会社に残って、二人で何やってたのかなって、まあ気になってるだけですけど
奥田 おまえほんとに止めろよ、怖いよ
戸口 なんか羨ましいなって。大渕さんなぞ多き女じゃないですか。
奥田 男のおばさんだな
戸口 ねえ、大渕さんって、なんか訳ありなんですよね、出なきゃあんな人がこんな清掃会社に来ないでしょ
奥田 怒るぞ
戸口 ・・・。
戸口、盗聴器になって事務所に潜む。
入れ替わりに佳子入ってくる。
佳子 社長、戸口君、首にした方がいいですよ
奥田 俺も今そうしようか迷ってたとこだよ
佳子 そうじゃなくて
奥田 え
佳子 あのひと、だいぶ盗んでるみたいなので、会社のお金
奥田 うそ
佳子 気づかなかったんですか
奥田 え、うん
ジジ、とノイズが聞こえてくる。
戸口、怒りに任せて椅子を蹴飛ばした。
三人消える。
友宏のマンション
友宏、ネクタイを結びながら登場
友宏 ど、どうしたの
ちづ子 えっ
友宏 いや、これ
ちづ子 ああ、なんかね、このままでいいのかなって、私
友宏 何の話・・?
ちづ子 友君ごめん、結婚、延期してくれない?
友宏 えっ
ちづ子 ごめん、お父さんには連絡入れとくから
友宏 いや、何言ってんの
ちづ子 ちょっと、出かけてくる
友宏 いや、もう出ないと、いや、じゃなくて、延期って何
ちづ子 ごめん!
と、飛び出していくちづ子
友宏 ちづ子!
事務所
佳子と戸口、対峙している。
佳子 ・・・太った?
戸口、もこもこの服を着ている。
戸口 ・・いいえ。
友宏、電話をしている
友宏 もしもし、あ、細川さんですか、あの、岩永です。先日お電話した、はい、あの、今日のことなんですけど、ちづ子さんから何か連絡来てないですか、・・・そうなんです、あの、突然家を飛び出してしまって。今見失ってしまって、・・・はい、・・・はい、大渕さん、知ってます。はい、わかりました、とにかく向かってみます。
佳子 現場行ってくるから、あとお願いしますね
戸口 ちょっと待ってもらっていいですか。
佳子 なに
戸口 僕のこと、社長にチクったでしょ
佳子 何を
戸口 ばらしますよ、佳子さんの事
佳子 何を
戸口 あの週刊誌、読みました?
佳子 捨てました
戸口 大渕さん、あれほんとですか、同級生を売春させていたって
彼、ひょっこり現れる
彼 殺そうかなこいつ
佳子 ダメ
戸口 僕、何でも知ってますので、
佳子 そうなんだ
戸口 強がってもダメです。
佳子 もう出ないといけないから
と、戸口、何かを落とした。
ゴト、と音がする。
彼 なんだあれ
佳子 トンカチかな
戸口 あ、いけね
と、拾う
戸口 とにかく、待ってもらっていいですか
佳子 やだ
戸口 殺しますよ
彼 最悪だ
と、ちづ子入ってくる
ちづ子 私たち、全然うまくいかないね
石橋、いた。
石橋 それから
ちづ子 椅子の上に包丁が見えたので、とっさに手に取ってぎゅっと握りしめました。佳子ちゃんがすごい剣幕で何かを言ってたような気がするんですが、正直、あんまり覚えてません。
と、友宏入ってくる。
ちづ子 そしたら、なぜか彼氏が入ってきたので、いよいよ混乱してしまって、私はただおろおろしてたんですけど。何を思ったかその戸口って人が
戸口 困ったな、全員殺すしかないな
ちづ子 って言ったかと思ったら、次の瞬間佳子ちゃんの頭の上にトンカチを振り上げたので、わたし、大変だと思って
彼 大変だ!
石橋 刺したんですか?
ちづ子 はい、背中を・・・、
戸口 いった!!
奥田入ってくる
奥田 え、え、どうしたの
佳子、ちづ子、舞台を降りる
友宏 それから、僕たちはただあたふたしてたんです。どうすることもできず、ただただあたふたしてました。そしたら、
石橋 はい
友宏 犯人が、勝手に滑って転んだんです
石橋 岩永さん
友宏 はい
石橋 それを信じろと
友宏 でも、ほんとなんです
彼 あ、あぶない!
戸口 あっ、わっ
ぐさ、戸口死亡
奥田 ええ・・・、
石橋、戸口に手を合わせると戸口消える。
石橋 あ、コーヒーこぼれてますよ
奥田 あ、ほんとだ
石橋 え
奥田 え、これ僕のせいじゃないですよね
石橋 いや・・・、
奥田 あの、
石橋 ねえ・・・、
友宏 信じてもらえないかもしれないんですけど、そこの会社の社長さんが入ってこられて、コーヒーをこぼして、そしたら、滑って、転んで、ぐさって、
電話
石橋 はいもしもし、はい、盗聴器・・・。え、見つかったんですか。・・・当日の録音って、あ、ほんとに、あ、いえ、よかったです。
石橋去る
友宏 ちづ子、結婚延期してほしいって、なんだったの
ちづ子 あ、ごめん、その
友宏 うん
ちづ子 結婚したら、私、たぶん会社辞めるから
友宏 うん。
ちづ子 もうちょっと、私、逃げないで頑張ってみようかなって、思って、佳子ちゃんも、頑張ってるし
友宏 働くことが、逃げないことなの?
ちづ子 ううん、まあ、そう
友宏 ちづ子はただ、佳子さんに許してもらいたかっただけじゃないの?
ちづ子 ・・・、
友宏 まあ、ちづ子がそういうんだったら、別にいいよ、気のすむまで、僕も、もやもやしたまま結婚は嫌だし。
ちづ子 ごめんね
友宏 全然。
友宏去る
佳子 社長、何へこんでるんですか
奥田 え、いや、そ、そん
佳子 社長もしかして、責任感じてます?
奥田 いや、まあ、僕がコーヒーこぼしたから、
佳子 関係ないですよ。
奥田 うん・・、
佳子 迷惑かけて、すみません
奥田 いや、大渕さん関係ないよ
佳子 関係あります。
奥田 関係ないよ。
佳子 ・・・。胃がむかつくんですよね
奥田 飲んだの?昨日
佳子 はい、少し。
奥田 大渕さん、結構飲むほう?
佳子 いや
奥田 だよね
佳子 ・・・、殺されるかなって、思ったんで。
奥田 そういう日もあるんじゃない
プラットホーム
奥田去る
ちづ子 うん、今佳子ちゃんと一緒・・・うん、どうだろ、・・・・うん、わかった。帰る時間わかったら連絡するね。
佳子 大丈夫?
ちづ子 うん
佳子 いこっか。
ちづ子 うん。
電車内。
ちづ子 やっと二人で行けるね、お墓参り。
佳子 そうだね。
ちづ子 でも、今までよく出くわさなかったね。
佳子 だって、ちづは土日休みでしょ。
ちづ子 佳子ちゃんは?
佳子 私のとこは、社員もシフト制だから。たいてい土日は出勤だし。
ちづ子 ふうん。佳子ちゃん会社大丈夫なの?
佳子 二週間休みもらっちゃった
ちづ子 うそ
佳子 ほんと。社長がいいよって
ちづ子 いいな。私のところ上司おじさんばっかりだし。佳子ちゃんとこの社長、若いし、優しいし、いいね。
佳子 ・・うん。
ゴトゴトと揺れる電車。
彼、トンボに夢中になっている。そのうちにいなくなる。
佳子 社長がさ、お寿司おごってくれるんだって。
ちづ子 へえ、
佳子 私、ご飯行くときの服なんて持ってないんだけど
ちづ子 買えばいいじゃん
佳子 そっか
ちづ子 帰り、買いにいこっか
佳子 うん。
ちづ子 久しぶりだね、
佳子 ほんとだね。
車窓からは稲穂が見えている。
そこに彼の姿はもうなかった、
心地よい風が吹いていた。
おわり
..新倉庫
ちづ子 話すね
と、正座で向き合う二人
ちづ子 まず、あの、保健室登校をしていたという、ことを言いましたね
友宏 はい、意外でした。
ちづ子 で、その教室には、佳子ちゃんと私と、もう一人男の子がいて
友宏 それから、僕はずっと、ちづ子の話を聞いていた。洗った髪の毛が、ひんやりとして僕のほほにまとわりついていた。
友宏 お父さんと電話したよ
ちづ子 あ、ほんと
友宏 うん。
ちづ子 どうだった
友宏 電話した感じ、元気そうで、なんか、ちづから聞いてたイメージとは違うなというか
ちづ子 ああ、あれはね、中学の時だから
友宏 あ、そうあんだ
ちづ子 うん、今はだいぶ変わったよ、
友宏 そうなんだ
ちづ子 うん。なんて
友宏 まあ、わかりましたって。なんか、本当に緊張してたから、正直なにしゃべったかあんま覚えてなんだけど、
ちづ子 緊張しすぎだよ
友宏 いや、ほんとに、
ちづ子 そういうもんなのかな
友宏 たぶん、そうだよ
ちづ子 友君、コーヒー飲む?
友宏 大丈夫、もう歯磨いちゃったし
ちづ子 そっか
友宏 うん、ありがと
ちづ子 はい
と、動かないちづ子
友宏 どうしたの
ちづ子 うん?
友宏 いや、何かあるときの顔してるから
ちづ子 そう?
友宏 うん
ちづ子 何にもないよ
友宏 ・・・。
ちづ子 何かあるけど
友宏 やっぱり
ちづ子 いや、もう、大した話じゃないんだけどさ
友宏 なに
ちづ子 いや、佳子ちゃんと、もう何年も連絡とってないけど、式になったら、やっぱり呼びたいなって
友宏 ああ、佳子ちゃん
ちづ子 うん。
友宏 連絡、しづらい?
ちづ子 うん
友宏 なんでだろうね
ちづ子 まあ、うん、理由はあげればあるけど、なんか、なんだろうね、時間が解決してくれるかと思ったけど、うん、もう解決してるのかもしれないんだけど、なんか、こう、ね
友宏 はは、よくわかんない
ちづ子 うん、なんにも話してないもんね
友宏 そうなの
ちづ子 あ、そっか、ごめん
友宏 あの、こないだ、話してくれたこと以外に、なんか
ちづ子 うん。まだたくさん。
友宏 そうなんだ
ちづ子 結局、こないだは佳子ちゃんのことしか話せなかったから
友宏 うん
ちづ子 それも、なんかね、ほんとに少しだけしか
友宏 うん
ちづ子、机の上の二万円をじっと見ていた。
その様子をじっと見ている石橋。
石橋 見てたって無くならないですよ
捜査室
ちづ子 えっ
石橋 それ、証拠品。
ちづ子 ああ、ぼーっとしてました
石橋 大丈夫ですか。少し休みますか
ちづ子 休む?
石橋 休むんです
ちづ子 別に疲れてないですけど
石橋 ふつう疲れるんですけど。
ちづ子 そういうもんですか
石橋 はい。
ちづ子 あの、でも、私が殺したんで、それでおしまいなんで、別に、そんなに色々聞いても、一緒だと思うんですけど
石橋 正直、僕もそうしたいんですけど。仕事なので、一応手は抜けないんです。ひと、死んでますから
ちづ子 そうですか
石橋 ・・ちょっと他に聞きたいことあるんで、伺いますね
ちづ子 はい。
石橋 その、中学生のとき、保健室登校をされていた時のクラスメイトで、一人、男の子がいましたよね
ちづ子 はい、一個下の学年の男の子です
石橋 彼、何で何で亡くなったんですか、中学の時。
ちづ子 わかりません。
石橋 そうですか。彼とは、仲、よかったんですか。
ちづ子 彼と、佳子ちゃんと私の三人でいつも一緒にいましたから、とっても仲良しでした。
石橋 どこか、遊びに行ったり
ちづ子 はい。ディズニーランド、行ったことあります。
石橋 三人で
ちづ子 あ、あの時は、私の父が一緒でした
石橋 お父さん
ちづ子 はい。私の家、浦安まで近かったので、車で送っていってくれて
捜査室で二人向き合っている
石橋 はい、全く関係ない部署からで、ええ、いや、この方はまた別の、いや、とんでもないです。いや、昨日からなんですけど、はい。そういえば、名刺の件、庶務のかたに言われてましたけど、あ、そうなんですか、はい。二課です、はい、覚えてる限りで、ですけど、ええ、考えてなかったわけじゃないと思うんですけどね。いえ、とんでもないです、はい、いや、今朝から、はい、失礼します。
と、石橋、コーヒーを淹れる。淹れながら、
石橋 ただこの沈黙が耐えられなくなった。彼女は、黙っているようで何か必死に考えを巡らせているみたいで、その緊張感は、ひしひしと僕に伝わってきていた。・・苦しい、彼女の首筋にじんわりとにじむ汗が見える、目をそらす、窓を開けたい、この部屋には、窓がない
佳子 あの
パリン、石橋はマグカップを取り落としたようだ。
石橋 マグカップからどす黒いコーヒーが床に広がっていく
佳子 あの、ちづ子は、どうなりましたか
石橋 取り調べが始まって、何日も何日も彼女は黙っていて、ただ、僕がしゃべっているのを聞いているだけだった。一切の不平を漏らさない代わりに、彼女は一瞬の気のゆるみも許さなかった。
キンモクセイ「密室」
佳子 ・・あの・・・!
佳子 あ、ちづ子だ
彼 ほんとだ
と、ちづ子、佳子の机から包丁を抜き取る
戸口 別に、社長に訂正してくれればそれでいいんです。私の間違いでしたって
と、ちづ子包丁を持って戸口の背後に立つ
彼 なんだか大変だ
佳子 あの、やめといた方がいい
戸口 殺しますよ
と、戸口、トンカチを振り上げる
ちづ子、さらに距離を詰める
佳子 いや、ほんとに、あの、やめといた方が
戸口 大渕さんとは短い付き合いでしたけど、お世話になりました
と、友宏入ってくる
友宏 ちづ子!
戸口 ん?
ちづ子 えい!
と、包丁を背中に突き立てた
戸口 いった!
彼 やっちゃった
ちづ子 友君・・・
友宏 ちづ子、何してるの
奥田、入ってくる
佳子 あ、社長
奥田 え、何コレ
ちづ子 友君ごめん、私、やっぱり逃げてばっかりじゃダメだなって思って、ごめんね
全員、「?」
佳子 ちづ子、何しに来たの
ちづ子 いや、私は、その、もうちょっと頑張って、その、彼のこと、逃げないで立ち向かうつもりだよって、その
佳子 言いに来たの?
ちづ子 そのつもりだったんだけど
佳子 ・・・。
ちづ子 どうしてこうなっちゃうのかなあ
全員 ・・・。
戸口、むくりと起き上がる
戸口 くそ・・!
彼 あ!危ない!
戸口、コケる。
背中に包丁が深く刺さり、死亡。
佳子 私たち、全然うまくいかないね。
音楽
石橋登場、彼と戸口を残し、みな舞台から降りる。
石橋 防刃チョッキっていうのは、背中を守ってくれるものではないんですよ。意味がないから。
友宏 じゃあ
石橋 いや、細川さんが最初に刺した時には、おそらくごく浅いところまでしか入ってません。たぶんこけた時にきれいに心房まで到達して、それが死因になってます。
ちづ子 私、懲役何年ですか
石橋 わからないです。ただ、実刑はないような気がします。状況が状況なので。
ちづ子 でも、私、さしましたから。
石橋 岩永さん
友宏 はい
石橋 実は昨日、戸口の自宅から盗聴器が発見されまして。かなり入念に壊してあったんですけど、無事復旧しまして。
友宏 はい
石橋 この日のことも、あらかたわかりましたので
友宏 じゃあ、
石橋 たぶん、不起訴処分になると思います。
と、石橋、戸口に手を合わせる、
戸口、彼、いなくなる。
友宏 ちづ子、結婚延期してほしいって、なんだったの
ちづ子 あ、ごめん、その
友宏 うん
ちづ子 結婚したら、私、たぶん会社辞めるから
友宏 うん。
ちづ子 もうちょっと、私、逃げないで頑張ってみようかなって、思って、佳子ちゃんも、頑張ってるし
友宏 働くことが、逃げないことなの?
ちづ子 ううん、まあ、そう
友宏 ちづ子はただ、佳子さんに許してもらいたかっただけじゃないの?
ちづ子 ・・・、
友宏 まあ、ちづ子がそういうんだったら、別にいいよ、気のすむまで、僕も、もやもやしたまま結婚は嫌だし。
ちづ子 ごめんね
友宏 全然。
と、友宏去る。
佳子 どこまでも優しい人だね。
ちづ子 ほんとにね。
佳子 ちづ子、結局お墓参りいけてないよね
ちづ子 うん
佳子 いこっか。
ちづ子 会社は?
佳子 二週間休みもらっちゃった
ちづ子 うそ
佳子 ほんと。社長がいいよって
ちづ子 ・・どこまでも優しい人だね
奥田去る。
ちづ子 どうしてだろ
佳子 どうしてだろうね
石橋 よっぽど好きなんじゃないですか。
佳子 はは
石橋 お二人、愛されてますね
と、石橋去る。
電車の音。
ドア、開く。
二人、乗車。
佳子 あいつ、就職が決まってたんだよね。
ちづ子 え、そうなの
佳子 うん。親がね。
ちづ子 そうだったんだ。
佳子 ちづ子には早く言いなさいよって。わかりましたって。それで、死んじゃった。
ちづ子 就職、嫌だったのかな。
佳子 まあ、それだけじゃないだろうけどね。居場所がなくなっちゃうのが、辛すぎたのかなって。
ちづ子 よっぱど好きだったのかな、私たちが
佳子 愛されてるね、私たち。
ゴトゴトと揺れる電車。
佳子 社長がさ、お寿司おごってくれるんだって。
ちづ子 へえ、
佳子 私、ご飯行くときの服なんて持ってないんだけど
ちづ子 買えばいいじゃん
佳子 そっか
ちづ子 帰り、買いにいこっか
佳子 うん。
ちづ子 久しぶりだね、
佳子 ほんとだね。
車窓からは稲穂が見えている。
そこに彼の姿はもうなかった、
心地よい風が吹いていた。
おわり
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