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行き詰った時の特効薬は、とても地味。

夢を探して、これと決めたとたんにやりたくなくなる。
そんなことを何度も繰り返してきた。

なんでだろう。

何かを見つけるまでは、すでにそれがある人はそれだけやってればいいんだから楽だよな、と思っていたのに。

それしかなくなると、自分で決めたことへの責任感が重くのしかかる。

私はどうにもこうにも「責任感」というやつが苦手で仕方がない。


こうでなければならないリストは物心がついたときにはもう存在した。
そしてそれはどんどん増えていった。
電話に出たくないけど、もうダイヤルされて受話器は私の耳にあてがわれている、とか。
この人はこう言っているけど、実際のところはこうしてほしいわけで、私がそれをしなければ怒るとか。

責任感とは、避けられない重圧で私にとって強要されるものでしかなかった。先生とか、親とかあらがおうとすること自体が無駄であると気付いてから、どう受け流して自分を傷つけないように生きていくかで私は私を作っていった。だから、ルールは私にとってのレールであり、それに沿って生きてきた。

でも、レールがなくなって自分で自分の道を選べることになった時、問題は無限大になった。自由をポンともらっても、何をしたらいいかわからない、どうしたらいいと思う?なんて質問をまわりに聞いてももちろん答えは出ない。好きなようにすればいいという言葉が大嫌いになった。それは答えじゃないと思っていた。自分の抱えている本当の問題に気付いてなかった頃はそう思っていた。

だから、冒頭に書いた通り、どうしようもなく何かを求め、長い熟考の末に決断を下しても、今度はそれを避けることを繰り返した。

結局、私は自分が何がしたいのかわからないままだった。
何かを押し付けられることは嫌だ。だけど、無理やり自分で決めてもそれをコツコツと進める責任感を持てない。

何もしないことが、一番自分を辛い状況に置くことはわかっていても、負のスパイラルにはまるとなかなか抜け出せない。そんな時に、友人の活躍など目にしようものなら、私は価値がないと更に深みにずぶずぶはまってしまう。

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ちょうど、さっきまでもそんな感じだった。
何度も同様のサイクルを繰り返すうちに、私の中でこれをどうにかしていきたい気持ちはどんどん強くなっていった。

今まで外が提供していたレールに数十年寄りかかって生きてきたのは私の選択だ。それ以外にどうしろっていうの?と悲観的悲劇のヒロインだったころは選択肢などなかったと喚いた。でも、どうせ言ったってわかってくれないとあきらめて、私から言うことはないと心を閉ざしたのも私の選択だ。

つまり、自分で試して、失敗して、改善をしてという工程において、私はど素人。自分が何を好きで自分の機嫌がわるい時にどう扱えばいいのかということに真剣に向き合ってこなかったので、それもど素人。これを認めるのに、まだまだ時間はかかりそうだ。
でも、コツコツと何年も続けている人だってそれを何度も繰り替えしているからこその結果。みんな通る道を私は毛嫌いしてやらないとは、上達なんてするわけがない。

すぐ結果を求めてしまう癖、失敗を異常に怖がってそれならやらないと言い切ってしまう自分の弱さ、愚かさ、変なプライドの高さ。自分を居心地よくしようとする代わりに、精神的に切り刻む方が居心地がいいと思ってしまう自分。なかなか縁を切れない。

心が荒れる時はたいてい、洗い物がたまっていたり、家計簿につけていないレシートがたまる時でもある。どうしようもなく時間がかかってしまうが、一つ一つ片づけていくと少し気分が変わる。
すごく地味だけれど、することでスパイラルから抜け出せるのだから、特効薬と言っていいのかもしれない。

責任感をなにかポジティブな言葉に変換できる日はまだまだ遠い。
だから、きっとこれからも私は悩む。
でも、それでも少しずつ地味な行動を繰り返して試行錯誤することに慣れていけば、責任感と仲良くなれる気がする。

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