自宅と相思相愛でいよう。その優しさは自分には優しくない。
個人的な話で、このことを語ると冷たい人だと思われるような気がしていたのでそのままにしていたことがあります。
(スレッズでは呟いたけれど💦)
春休みに物の多い実家に娘と2人で帰省した時、何だかすごく無気力になるような感じがしました。
目に見えるたくさんの物たちを見えない物として過ごしているような気持ち。
「ここはもうわたしが住んでいる場所ではないから」と余計な口出しはせずにいようと思い、片づけのことは口出ししなかったのですが、何だか無気力、そして身体がだるい感じがずっとしてました。
自宅に帰ってきたらやっぱり自宅はいいなって思って、すごく落ち着きました。
いつも私が掃除していたキッチンの排水口がわたしがいない間に汚れていて、何だか家に「待たせたね」って気持ちになりました。
自宅と自分が相思相愛のような気持ちになりました。
家は手をかけた分、家もそこに住む人たちを心地よい気持ちにさせてくれるってことに改めて気づきます。
これは家を長期で留守にした度に思うことでもあります。
それでもなんとなく数日は身体と心のだるさを引きずっていました。体調は何もなかったんですけどね。
でも物の多い実家に暫くいたお陰なのか片づけ欲が出て、実家から帰ってきてからは自宅の中を見直してみました。
そしたらモヤモヤするところが何箇所かあったんです。
姉にもらったもので、姪っ子が昔着ていて、娘にとお下がりでもらった服が何着かありました。
実はあまり気に入ってなかったんですが、せっかくもらったし、必要になるかもしれないと思って取っておいていたんです。
でも実は見るたびに少しモヤモヤしていたんです。
もう一つは母からもらった物。
使っていないのに貰ったものだからと残していました。
その見るとモヤモヤすると思うものをリサイクルショップに売りに行くと決意して、売れて、物がなくなった時にすごく心が軽くなったんです。
何だ、もっと早く手放しておけば良かったって思いました。
「今までごめん」て、自分に謝りたくなったような気持ち。
「人から貰ったものでも、好きでなければ手放してもいい」
本当にこれに尽きるな〜って思います。
簡単に手放してるわけじゃなくて、それまですごく悩みます。
でも片づけを繰り返していると、これがどんどん得意になっていって、物の取捨選択が早くなっていって、それが苦手な人にとっては「冷たい」と思うかもしれないなと思います。
でもわたしが思ったのは「好みじゃないのに我慢したり、テンション下がることして自分に悪いことしていたな」ということです。
それを持っている間、ずーっとモヤモヤを自分にさせていたわけなので。
人からどう思われるかの罪悪感のために自分を心地よくさせないことに対しては罪悪感はないの?かなと。
これです。
物に感情を支配されちゃうのはだめだなって。
物には常に自分が操縦者でいる。
物に支配されずに、自分が心地良くなるために物を感謝して使えるのが1番。
優しさで必要のないものを取っておく。
でもその優しさは本当に優しいのでしょうか?
自分を疲れさせたり、モヤモヤさせたり、そういうのは自分には優しくできていないのかもと思います。
自分にも言い聞かせています。
自分が選んで、残してきたもので自分を心地よくさせて過ごしていくのって自分にしかできないこと。
だから自宅の片づけは自分にしかできないこと。
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