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なか休み十夜:つまりはこれ自体『城』ってこと ※真面目回

私はめちゃくちゃ寝つきが悪い。眠れたと思っても1時間後には起きてしまう。そうなると、そこからしばらく眠れないので、シンプルにしんどい。だから、うまく入眠できた時の幸せったらない。理想の寝方は気絶だ。
今思えば、昔から寝るのが下手な子どもだった。新しい家になるまでは、家族全員で一つのお部屋で寝ていた。二段ベッドの下で、家族全員のいびきや寝息を聞きながら、どうしようもない焦りや不安と戦っていたことをよく覚えている。一人だけ起きていることがとてつもなく怖かった。でも、そんな時は、こんな夜中でもお仕事している人がいるんだと言い聞かせるようにした。よく分からないけれど、テレビ局とか病院とか、私の知らないところで起きている人がいる。だから怖くないし一人じゃない。そんなことを考えているうちに、いつしか眠っていたのだと思う。
そうして月日が経ち、いつの間にか私は、“こんな夜中でも起きている”側の人間になっていた。

書きながら、眠れないことが怖い理由の一つを思い出した。本当に突然スピリチュアルな話になるけれど、昔は、人の声っぽいものをよく聴いていた。(とか言ってるの、すげー恥ずかしいんだけど!別にこういう話をして特別に思われたいとかじゃない!)。昔、祖父が機織りをしていて実家に工場があった。ガチャンガチャンと工場から聞こえるすごく大きな音に交じって人の話し声や怒鳴り声が聞こえた。もしかしたら、ただ単純に、工場の音がそう聞こえていただけかもしれない。そして眠れない夜は、布団の中でひそひそ話をずっと聞いていた。ただのいびきや寝息だったのかもしれない。そのひそひそ話がめちゃくちゃ怖かった。でも、子どもの頃は、ずっとそういうものだと思っていた。
あれはいつまで聞こえていたんだろう。全然思いだせない。

❖ 変身

今回は絶対カフカの『変身』の話をしたいと思っていた。
古典の海外文学って、どこの出版社で、いつ訳されたもので読むかにもよって、印象と読みやすさがすごく変わる。読書に慣れていなくて古典の海外文学を読んでみたい方には、ひとまず光文社古典新訳文庫をオススメする。でも、私はたしか『変身』は、岩波文庫で読んだと思うんだよなあ。

『変身』の冒頭はこんな一文ではじまる。

ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。

青空文庫『変身』より

この一文から分かるように、『変身』はそういう話なんです!毒虫と書いてあるけど、これはきっと多分Gのこと。もちろん会話も意思疎通もできない。なんて言ったって、Gなのだから。
けれど、グレゴール・ザムザとしての記憶も、人間としての常識もある。仕事に行かないといけない時間になって、不審に思った家族が声をかけにくる。どうにかしてやっとの思いで、グレゴールは部屋から出るのだけど、家族たちはその姿を見て叫び声をあげ、泣き出したりして、最終的には、父親にステッキで殴られ、部屋に追い返される。
……ここまで書いていて本当に辛くなってきた。
それからグレゴールは、“毒虫”としての生活を送るのだった。

『変身』はカフカの代表作であり、不条理文学の金字塔である。そう、不条理なんです!もうこれを不条理と言わなければ、何を不条理というのか!!
ラストは、とある結末を迎えた後、信じられないくらいの明るさと美しさと希望いっぱいで幕を閉じる。このとおりではないけど、なんというかスキップルンルン♪という感じなのだ。もうそれがまた、たまらなくつらい。
当時、私は大学生だった。悲しくてしんどくて、吐きそうになりながらも読み終わり、1時間くらい動けず、ただただ泣いていたように思う。そして、母に電話をかけて、「私が虫になっていたらどうする?」とたずねた。すると母は「あはははwwwそれは困るね~(爆笑)」と答えたんだった。
これを書くにあたり、ざっと本文に目を通したけれど、本当にいつまでたってもつらい。……なんで『変身』なんて紹介しようと思ったんだろう。
いや、私が言うまでもなく、めちゃくちゃ良い作品なの!だって何十年もたってこうやって思い出すくらいなんだから。でも本当に、絶望する。さまざまなことに生きる意味を見出せなくなる。死にたくなる。あと、これは読んだ当時から今も変わらないんだけど、多分きっと私は“毒虫”のような存在なんだとずっと思っている。

❖ 原石をみつける

ポップな話をしよう!そうだ、ポップな話だ!
私には尊敬している人がいる。その人に、私のnoteを読んでもらいたいと話をした。そう伝えた時、まるで告白のようにどきどきして、顔が真っ赤になって、緊張して恥ずかしくて、うまく話せなくなってしまった。それぐらい私にとって勇気のいることだったし、それぐらい尊敬している。
でもその人にはまだ「これを読んでください」と送っていない。だから、文章について信頼している友達に、どれを読んでもらったらいいか相談した。すると友達は「どれも変わらないよ。その人は、文章のうまさを見るんじゃなくて、そのなかにある原石を見抜くんだよ」と言った。そのとおりだと思った。
正直、文章の上手い下手なんてどうにでもなる。直せばいい。大事なのはそこではなくて、核となる部分――ものの見方や書いてあること――だと私は思っている。そこは、どれだけ直しても、どうにもならない。だから、私は自分の言葉で書いている人の文章が好きなんだけど。
「そういう理由で、どれでもいい」と友達は言う。私は「たしかにぃー」と答えたけれど、それでもよいものを読んでほしいと欲が出る。尊敬している人に少しでもよいと思われたい。
でも、そのためには、こんなふうにだらだら書かず、もうちょっと考えて、本腰をいれて書いたほうがいいんだと思う。ナムさんのやつみたいな。でも、あれは見せたくない気持ちがすごい。だって、あんなのチート使ってるから。じゃあ、どれですか?って話になるけど、きっと多分いつまでも納得しないし、うまくならないから書き続けているんだろう。

❖ ぐるぐるまわる

なんだか今日はずっと文章の話をしているなあ。さっき出てきた友達とは別の友達(フォロワーさん)に、「私は、小説や文章の創作物は、テーマや書きたいことを、それ自体には直接的に触れずに、周りをぐるぐる回っていくものだと勝手に考えている」という話をした(※言葉自体には加筆・修正している)。そのぐるぐる具合が上手いほど、私は良質なものだと捉えている。だからきっと私は、そこで生じた描かれない“余白”というものが好きなんだろう。その触れられていないテーマがどれだけ昇華できているのか、私にとって重要なんだと思う。
そのぐるぐるまわるものだと気づいたのは、カフカの『城』という作品のおかげだ。

ぶっちゃけ、私は『城』を読んだことはない。
だって、めちゃくちゃ長いの。信じられないくらいぶっといの。嘘でしょ?!って、そんな書くことある?っていつも思う!でも死ぬまでにいつか読んでみたい。とか言って、読まない気がするなあ。
『城』は、主人公が城にたどり着くまでを書いた作品だ。でも全然、城にたどりつけないっていう話だ。いろんなあらすじをざっと読んだけど、そういうことが描かれている“らしい”。もう一度言うけど、なんてったって、私これ読んだことありませんから!
でも、こんなに分厚くてさ、20章もあるんでしょ?それで城にたどりつけないんでしょ?よっぽどじゃん。よっぽどたどりつけないんじゃん。
どんな感じだろうと想像してみたら、城を中心として、ぐるぐるぐるぐる城の周りをまわっているイメージが浮かんだ。そして、なんで、カフカはこれを書こうと思ったんだろうと考えた。
そしたら、ぐるぐるまわっている主人公自身がカフカのように思えた。伝えたいことが城だとしたら、そこをカフカがぐるぐるまわっている。手を変え品を変え、そのものずばりを伝えるんじゃなくて、だからこんなに長い作品になってしまったのかもしれない。
この思考のスタートは『城』だったけど、でもこれって『城』だけじゃなくて、私がよいと感じる創作物はだいたいぜんぶそういうことだよなと思った。そこを昇華できているかどうか。
以前、詩人の友達が、趣味で短歌か俳句かやっている人の作品を読んだ時に、「見たまんまやなあ」と呟いた。それを聞いて、そういうことだよなあと思ったことをよく覚えている。

❖ ゆだねる

先ほどの友達(フォロワーさん)に、「読者にゆだねる」と話した。私は、全部言っちゃわないという美学があると信じている。そのぐるぐるまわる話にも付随すると思う。うーん、でもそれは日記やエッセイとかじゃなくて、小説とか詩歌とかの創作物かもしれないなあ。
ただ創作物に限らず、感想をもらった時、自分の意図していないところでの解釈はすごく新鮮でおもしろい。
例えば、私はすごくおいしいカレーを作ろうと思って、カレーを作ったんだけど、食べた人によっては、めちゃくちゃ美味しい!と喜んでくれる人もいれば、もっと辛口がよかったり、福神漬けはいらないという人もいる。隠し味にはりんごを入れたんだけど、「隠し味はチョコレートですね!」と思う人もいる。でも、あ~りんごだったんだけどな、どこでチョコと思ったんだろ~と考えるのも楽しかったりする。
世間に出したものだから、相手にゆだねるしかないし、その人が感じたことが正解だと私は思っている。それでもある程度はこちらが誘導したいけれど。
あと、私の言葉足らずな部分があるにも関わらず、分かっていてくれたら、すごく信頼しちゃうな。
そんな感じ。

❖ 全文読まなくてもいいから、これだけ絶対に聴け

は~~~いっぱい書いた!今日の私は真面目だな~。
書きたいことが多すぎると、相手のことを考えなくなる。最近その傾向が顕著に出てきている。どこかで軌道修正しないといけない、と思いつつ、溢れるものをそのまま書いてしまう。それがよくもありわるくもある。

カフカのことを考えていたら、筋肉少女帯が浮かんだ。そうだよね、だから私、筋少大好きだったんだな。……と思いつつ、戸川純(YAPOOS)ちゃんです

YAPOOS Men's Junan