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そう思えるようになって、やっとみつけられた青春があった 2024.04.10


ちゃんとした大人になっちゃった!!!

今年もまた歳をとった自分を、そんなふうに思う。

やばい、やばい、大人だ!去年とはわけが違う。ちゃんと大人じゃん!!
もちろん、今までもちゃんとした大人だったけど、今年の年齢を考えると、その実感が去年よりもすごい。
地に足がついていないような生き方をして、ヘラヘラ、ふわふわ、楽をして、自分の好きなようにやって、綺麗めな服も靴も鞄も持っていなくて、キャラと勢いでやってきたけど、もう誤魔化しが利かない、ちゃんとした大人なんだ私は!

とは言いつつも、焦っているわけでも、後悔しているわけでもなくて、ただただ、じんわりと「大人だ……」という実感に包まれている。

10代の頃の私は、今の私を見て、どう思うだろうかと考えることが増えた。
結婚をして、子どもがいて、両親をおじいちゃんおばあちゃんにさせている……、そんな将来を夢見ていたんじゃないかと思う。
ごめんね、全然違うわあ~。
多分10代のあなたでは想像もつかない人生を送っていて、このまま生きていくことに絶望したりもするけど、好きな人たちにたくさん幸せにしてもらえてる、ハッピーな人生を送っている。

そんな今の私を、10代の私は、なんて思うのだろう。

2024年の誕生日を迎えるタイミングで、すごく大事な曲に出会った。

突然ですが、『青春』という言葉を見て、何を思い浮かべますか?
私にとって『青春』は、シーブリーズ!二人乗り!MATCH!クラスTシャツ!みたいな、高校生のキラキラした学生生活だ。
しかし、そんなものとは、ほど遠い高校時代を送っていた私にとって、『青春』は、別次元の話で、ピンとこない、他人ごとでしかなかった。


そんな私は、誕生日を迎える10日前に『あの頃、僕ら若すぎた青春』という曲を聴いた。

最初に聴いた時、心からいい曲だなあと思ったけれど、『青春』が他人ごとの私にとっては、やっぱり別次元の話のように感じた。

けれど、そんなふうに聴いていた曲が、ある瞬間を境に、まるですべて自分の物語のように感じて、世界がキラキラと色づいて見えることがある。
まだ三回しか会ったことがないのに、昔から知っている親友のような、私のこともあなたのことも、お互いのことを全部知っている、みたいな。

その感覚を、この曲のリリースイベントへ行った時に味わった。
初めてライブで、この曲を聴いた時に、涙が止まらなくなった。
リリース日に行われたこともあり、この曲を二回歌ってくれたんだけど、二回とも号泣し、終わりのサイン会でも号泣して、「ほんとにぃ、この曲がぁ、聞けてぇ、しあわせえええ」とまともに喋れないほどだった(笑)。
それぐらい、全部分かって、全部刺さった。
誕生日の一週間前に、そんな経験ができて本当によかったと思う。

どうしてあんな事で悩んでいたんだろうと
未来の僕が今を覗いて笑ってる想像はつかない
些細な事で泣いてたあの日 理由もわからず消えたい
今の僕もどっちも好きじゃない
だけど だけど 僕でいさせて

『あの頃、僕ら若すぎた青春』歌詞より引用

今の自分からしたら、10代の自分って、なんであんなことで悩んでいたんだろうって、本当に思う。でも、当時の私にとっては何よりも重大な大事件でしかなかった。

私が10代までを過した地元は、想像以上にド田舎で、保育園から高校卒業までお馴染みのメンバー、火事があると町内放送で住所が全部お知らせされる、徒歩40分の最寄り駅、20時に閉まるコンビニがある。
こんな田舎を出て行きたいとずっと思っていた。
今となっては何が嫌だったんだろうと思うけど、学校も全部が嫌で、さっさと卒業したくて、高校1年の時から大学に行くことを目標に高校生活を送っていた。
同級生と音楽の趣味もまったく合わなくて、家に帰るとずっとスペースシャワーTVを観て、椎名林檎の歌詞を透明な下敷きや机に書いたり、ロッキンオンジャパンを毎月買って、音楽ライターになることが夢だった。

『あの頃、僕ら若すぎた青春』を聴いた時、そんな10代の自分を思い出した。

そして、あれが私にとっての『青春』だったんだと気づかされた。

シーブリーズ!MATCH!クラスTシャツ!みたいなキラキラした青春ではないけれど、あれは私なりの青春だった。
そう気づいた時に、10代の自分がすごく愛おしく大事に思えた。


……でも、たしかによく考えてみたら、椎名林檎の歌詞を下敷きや机に書くなんて、鬱屈とした青春の極みでしかない。そういう規定路線をしっかりやっている当時の私、ちょっと可愛い。

この曲を聴いて感じたのはそれだけじゃない。
『あの頃、僕ら若すぎた青春』の歌詞は、ただ当時の青春を振り返るのではなくて、過去に青春を過ごした今の自分の視点で語っている。
その視点で語られていることが、今の私にすごく刺さった。

きっと 失う事の方が多いと気づいてきた頃
きっと 今あるものを大切にできるようになってく

きっと 自分の嫌いなところを少しわかってきた頃
きっと なりたい自分が少しだけわかりはじめてく

きっと 出来ない事の方が多いと知ってしまった頃
きっと やるべき事が少しずつ見えるようになってく

『あの頃、僕ら若すぎた青春』歌詞より引用

この歌詞以上に、自分の気持ちを説明できる言葉がないので、この歌詞を読んでくださいとしか言いようがない。

誕生日を迎えるにあたり、「ちゃんと大人だ!」と現実を見つめ始めた自分にとって、この歌詞の一言一句がわかりすぎてしまった。
他人ごとのように思っていたこの曲すべてが、今では自分の物語のように感じて、世界はきらきらと色づいている。そして、親友のように、いや戦友のように大事だ。
すごくいいタイミングでこの曲に出会えたと心から思う。

これからの私は出逢いもあるけど、多分きっと、失うことのほうが多い。
そんな未来を想像した時に、耐えられる自信はまったくないし、絶望しか浮かばない。
でも、いつかその未来が訪れた時、今の私は、未来の自分に「頑張れ!」と背中を叩いてあげたいし、優しく寄り添ってあげたい。

そんなことを2024年の誕生日だった。

そして、何の根拠もないけど、今年の私はめちゃくちゃ頑張らないといけないと、めちゃくちゃ思っている。
今年の頑張りが、これからの五年先ぐらいの自分を作っていく気がするし、多少の無理ができるのも今ぐらいなんじゃないかとなんとなく思う。
後悔だけは絶対にしたくない。
後悔するぐらいなら、無理してでも頑張る。
この気持ちで2024年を過ごしたいな。
そして、来年の私がこれを読んだ時、「恥ずかしいな〜」とか思いつつも、自分自身をちゃんと褒めてあげられるように。


さあ、私!!
今年も一年がんばろ~~!!
やるぞやるぞ~今年はやるぞ~~~!


最後に。もう一度MVを貼っておきます。
私の大好きで大切な人たちです。
この人たちは、『CD一万枚売りたいんじゃなく、一万人の人に聞いてもらいたい』を信念に、特典をつけずCDをリリースしています。
だから、一人でも多くの人に、この人たちの音楽を聴いてもらいたい。
すごいわがままを言うけど、誕生日プレゼントがわりに、聴いてもらえたら、私はそれだけで十分、すごく嬉しいです。

二丁目の魁カミングアウト『あの頃、僕ら若すぎた青春』