12歳の文学賞と21歳の私

勢いで自己紹介を書いたあと、そもそもなんで私はnoteを抵抗なく始められたんだろう、とふと思いました。

理由は全くもって簡単で、単純に小さい頃からやっていたからでした。

2回目の投稿は、そんな私の昔話です。

私と物語

私の家の押し入れには、書いた記憶もないような自作の絵本が大量にあります。
母によると、私の最初の作品は、絵本『空飛ぶパンダ』です。
(※なんて斬新なんだと思って今Googleでさっと検索したところ、意外とパンダは空飛ばされることがあるみたいです。私だけじゃないですね。驕りました。)

小学校の「何でもいいから1日1ページ、ノートに何かやって提出しなさい」という宿題には、毎日連続ものの小説を書いていました。
読んだ本の中で面白い構成のものがあれば真似してみたり、ドラマの設定から引っ張ってきたり、書いてみて飽きたら打ち切りにしたり、無理やり終わらせたり。
とにかく書きたいものを書きたいように書いているノート、だいぶ黒歴史なのに何だか捨てられずに押し入れにしまってあります。

そういえば、友達と交代で順番に物語を進める物語ノート交換という遊びもしてました。設定は自分で考えて、状況が分かるように途中まで書いてから友達に渡し、次のシーンは友達に書いてきてもらって、またその続きを自分で書く…というちょっと変わった交換日記です。
とにかくメチャクチャで起承転結で言ったら起転転転転転転転転…転。読めたもんじゃありません。それでもその時はそれでよかったし、それが私がやりたいことでした。

12歳の文学賞

そんなこんなで、質より量で物語を作りまくっていた私は、ある日図書館で12歳の文学賞の受賞作を集めた作品集に出会います。
同じ世代の子達が、こんなに面白いお話を書くんだ!と衝撃で、私もやってみたい!!と思いました。

そして怖いもの知らずの私は、本当に作品を提出しました。(怖い)

タイトルは、『Bar三日月』
小学生がBarという今思い返しても何でこんな設定を考えたのかよくわからない、あまりにませすぎたタイトルですが、主人公もOLというこれまた小学生には馴染みがなさすぎるもので、周囲の大人に「えっ…?」って言われました。

ただこの『Bar三日月』、結局最終選考まで残るという好成績を残しました。佳作や奨励賞を取るまでには至らなかったので、大した経歴ではないですが、少なくとも豪華な審査員の方々に読んでいただけるレベルまでは行ったということで、それだけでも光栄でした。

でもこの12歳の文学賞以降、ほとんど小説を書けなくなっちゃいました。
成長して、知識もついて、自分である程度良し悪しの判断ができるようになると、満足できる物語なんて全く書けなくなりました。

小学生でBarとかいう意味のわからない知らない世界を想像だけで書いていた私は、自分の知っている世界しか文字に起こせなくなりました。

何度か、wordを開いて文章を書き始めてみたこともありました。始めた時は面白い設定だな、と思って書いてみるけど、なんだか二番煎じみたいで、私の頭の中だけにある世界なんか無くなってしまったんだなと思いました。

名前を考えて、友達に名前のイメージを聞いて、そこから設定を組み立てて物語を作ったり、ドラマを見てプロファイリングっていうワードかっこいい!!と思って何も知らないのに警察が主人公のお話を書いてみたり、あんなに自由だった私の物語は、いつの間にかとても窮屈になってしまっていました。

noteと現在の私

小説や物語を書くことができなくなったのが悔しくて、でも何かを生み出す人になりたくて、noteを始めたのにはそんな理由もあるかもしれません。

自己紹介で、小説もエッセーも昔話も日記も書くかも、と書いたと思いますが、それには少し私の希望も入っています。
昔みたいに何にもとらわれない自由な発想で書きたいしまた書けるようになりたい。素直に書きたいことを書く。そんな思いからあまりジャンルを定めずに始めようと思いました。

めちゃくちゃ自分本位ですが、皆んなにたくさんみてもらえるnoteよりは、自分が書いていて幸せなnoteにしたいなぁなんて思っています。

私の昔話にお付き合いいただきありがとうございました。「私が書きたいもの」の中に皆さんにとっても何か楽しいもの、刺激になるもの、少しの間心の中に残るものがあれば幸いです。

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