受け止める器
自己表現
実は最近”自分を曝け出す”ことにふれる機会があった。
皆さんは、自分を表現してみようと思ったことはあるだろうか
私は小学生の頃に何回はあった気がする
(中学生の頃にミュージカルをしていたのだが、すでに自分の殻に閉じこもっていた)
ところが最近はというと、何を表現すれば良いかもわからない。
自分の得意なこと、苦手なことを挙げていけば自己表現になるのだろうか言語化することが自己表現なのだろうか
相手に分かるように伝えることが自己表現なのだろうか
思いの凄さ、受け止める器
自己表現にも色々ある
けれど、面白いもので一番存在を突きつかされるのは、『伝えたい!』
という思いがある時だ。(ありきたりだが)
どう思われるかも気にせず、恥を捨て
どんな反応が返ってくるかもわからない
それなのに一直線に飛び込んでくる。
自分の方向に飛び込んできたと思ったら最後、よければ相手は私の後ろにある壁にぶつかってしまうだろう。
動く分けにはいかず、私は相手と衝突する。
そんな勢いが、自分を曝け出している人にはある気がする。
思いを受け止めるには人間性を磨かなければいけない
自分の精神をまず安定させないといけない
そんなんことを時々聞く、けれど思いを受け止めることは簡単だ。
ただその衝撃から立ち直って歩き出し、頭突きを仕返しに行くまでの時間が変わるだけなのではないだろうか。
まとめ
相手に心があるならば、受け止める
相手がサイコパスだとしてもその衝撃に興味を持ってくれる
自分を曝け出す人は、人間には受け止める器が元々備わっていると思い、生きているのかもしれない。
自分を受け止めないのは、余程の理由があるのかもしれない。
ふとそう思った。