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【所信表明】書くことを学び直すことにした
僕は、2月から始まるMarbleスクールに5期生として参加することを決めた。
Marbleスクールは、「書く」ことを起点にインタビューや編集、広報のスキルを混ぜ合わせて持続的なフリーランスライフを実現することを目的にしたもので、コミュニティに参加しながら自分らしく「書くこと」を仕事にすることを目指すスクールである。
参加を申し込みしたところ、「スクールへの意気込みや目標をテーマに記事を書く」という事前課題をいただいたので、さっそく投稿ボタンをタップした。
書くことが得意だと言われて育った、僕にとっての「書くこと」
僕の人生と「書くこと」
小学生の頃、僕はよく「字が綺麗だね」と褒められた。
読書感想文やら主張発表やらで文章を書かされる課題の成績がよかった記憶があるので、多分、文章についても褒められていたのではないかと思う。
中学、高校と上がるにつれ字は多少適当に書くようになってきたため、字は「綺麗」ではなく「個性的」と呼ばれるようになった。
文章についてはあいかわらずで、中学の頃は読書感想文で田舎の学校の代表として地区とか県とか出品されて佳作とかをいただいた記憶がある。
文章を書くとき、読書感想文や主張発表にはテーマが設定されていて、なんとなくこういうことを書くのがいいんだろうとテーマの裏にある「趣旨」を読み解くのは得意だったが、僕は捻くれていたので想定されているであろう趣旨にまっすぐに応える内容ではなく、テーマから連想される中で自分にとって面白い角度を見つけて文章にしていた気がする。
高校1年生のころ、1月の期末か何かの国語のテストで300字程度の文章を書く問題があり、「1年の目標」や当時の「ニュースに対して思うこと」などのテーマがある中、「辰年について何か書け」というよくわからないテーマが目に止まり「ドラゴンと龍の違いに見る西洋と東洋の思想」みたいなことを書いたら満点と国語担当の若手女性な副担任からの「そのテーマ選んだの320人で君だけや」という大爆笑をいただいたのは、僕の「書くこと」の思い出の中で忘れられないエピソードのひとつである。
大学では文系だったのでレポートはたくさん書いたが、書くことについて記憶に残っていることは特にない。
就活では印刷会社の編集部の内定をいただいたが、お断りをした。
別な印刷会社の営業として採用をいただいたが、適応障害気味ですぐに退職した。
その後、地元の役場に就職して4年目からの3年間は広報業務を担当させていただき、広報紙を作ったりWebサイトやSNSを運用したり、地域メディアに関わったりした。
言わずもがな、文章を書くのが仕事のメインとなる業務であり、田舎の役場という環境とはいえ「広報実務を3年間経験した」のは事実である。
ひとり広報であったのでた苦労はたくさんしたが、企画から発行・投稿までを通して経験できたこと、そして何より楽しく働く経験ができたことは、自分の中で財産となっていくと信じている。
現在は旅行会社で地域誘客コンサルの仕事をしながら、副業ライフコーチとして、それぞれ情報発信の活動の中で「書くこと」に取り組んでいる。
ちなみに2月からは正社員から業務委託に契約の形を変え、フリーランスとして挑戦していく予定をしている。
僕にとってのライター像
ところで僕は、ライティングの基本を学んできたわけではない。
「書くこと」は体系化された技術であるという感覚があり、特に「ライティング」という言い方にスキル味を感じる。
僕が自分にライティングスキルがあると言いにくい理由を考えると、体系の全体像を把握できていないこと、どんな要因によって構造化されているか理解していないこと、そして文章の校正を頼まれたときに感覚的な違和感しか根拠にできるものがない気がすることなどが思い浮かぶ。
さらに「Webライティング」「SEOライティング」という呼び方をされているスキルがあり、その違いが言語化できないことも「ライティング」をわかっていないと考える要因なのかもしれない。
昨今はAIがかなり普及しており、ライターという職業の存続が危ぶまれているという話をよく聞くが、僕はライターの意義はAIに取って代わられるものではないと勝手に考えている。
ライターにもいろいろな種類があるようだが、AIに取って代わられる部分、例えばリサーチとか文字起こしとか、感情を使わない作業の部分はさっさと取って代われて仕舞えばいい。
ライターの妙義は、物事を切り取る観点やテキストに落とし込む感性にある。
AIは作業はできるが「始めること」や「選ぶこと」はできない。
また、AIがどれほど優秀になっても人の想いを感じることはできない。
情報を伝えるだけではない、ひとの活動としての「書くこと」ができさえすれば、ライターとしての仕事はなくならないと信じたい。
とまあ偉そうなことを書いているが「書くこと」の実績はまだまだなので、書くことを生業のひとつにしていくスタートダッシュを切るためにも、Marbleスクールのお力を借りることを決めた。
30歳を前に「書くこと」を学び直すことにした
6月に30歳となる節目の年を迎えたこのタイミングで、なぜ改めて書くことを学び直そうと考えたのか。
フィードバックがいただける環境で「書くこと」を得意から武器に昇華させたい
これまでありがたいことに「書くこと」で褒められる経験を積み重ねてきた。
しかしそのお褒めの言葉は、なんとなく感覚的なフィードバックが多かったのではないかと感じている。
あれ、ライティングをされている方にお褒めいただいたこともある気もしてきた、、、
だが、そう、お褒めいただいても「読みやすいね」や「書いてるのいいね」と中身に触れてもらえることは少なく、指摘的なフィードバックや読んで想ったことのフィードバックをいただくことはあまりない気がする。
そこで、「ライティング」をライフワークにしている方々から指摘を含んだフィードバックをいただくことで、学びも多く、また自分の個性を自分に気づくができるのではないかと思う。
フィードバックをいただける環境で書くことに挑戦することで、ライティングを「なんとなく得意かも」から「自分の武器」に昇華する儀式にしたい。
「書くこと」に取り組む仲間が欲しい
これまで学校や仕事の中でいろいろなコミュニティに参加してきたが、個人的に取り組んでいることでコミュニティに所属したことはない。
これまでも数人の「ライターさん」と出会い仲良くさせていただいているが、知り合った当時は自分が「ライターさん」として活動しているわけではなく、「ライター仲間」と呼ぶにはちょっとおこがましいと思っている節がある。
これからライターとしての活動をしていこうと考えたとき、同じ「ライター」としてチャレンジする仲間がいたら、お互いに交流して情報交換したりモチベーションを保つことができると思う。
ライターの仲間入りをすることを機に、ライターが集まるスクールで仲間が得られたらと思う。
改めて書くことのイロハを学ぶことにする
これまで書く仕事もそれなりにしてきたが、特にライティングについて学ぶことはなく、小中学生の頃に読んだり書いたりした経験と感覚でこなしてきた。
そのため自分で書いた文章を後から読んで違和感を感じたり、もっとこうしたらよかったと思うことは度々ある。
ライティングのスクールに参加することを機に、文章のイロハを改めて学び直そうと思う。
学ぶことでミスがなくなるとか、目に見えて文章のクオリティが上がるとかはあまり期待していないが、改めて基礎を学び直すことで書くスキルの焼き直しがしたい。
Marbleスクールでの目標
Marbleスクールではライティングに合わせてインタビュー、編集、広報のスキルを学ぶことができる。
インタビュー、編集、広報はどれも自治体広報を担当した3年間で経験があるが、フリーランスとして仕事を受けている人の話が聞けて、同じように書くことを起点にしたいと望む仲間と活動できるのはとてもありがたい。
最後には課題があるそうなので、インタビュー記事に挑戦したい。
Marbleスクール在学期間中にやりたいこと
ここまで書くことにフォーカスを当ててきたが、ライターとしての活動をしていきたい気持ちもありながら、ライフコーチとしての活動を主軸としていきたいと考えている。
そのため、Marbleスクールの在学期間を通してライフコーチの活動にライティングやインタビュー・編集・広報のスキルをどう活かしていくかを考えていきたい。
面談の際にも話させてもらったが、僕はライフコーチとしての活動を通して「ローカル」をよりユニークにしていきたい。
僕は「ローカル」という言葉に含まれる「特有」という意味に価値を感じており、僕の話すローカルには「地域」という観点のほかにモノづくりや文化・スポーツなどの「業界」が含まれる。
その狭い世界でこだわりを持って活動する人の個性をライフコーチの活動でサポートさせていただくことで、よりユニークで魅力的な存在となっていただいた結果、地方や地域、業界が盛り上がっていくというような考えで取り組んでいきたいと考えている。
また、僕はコーチングのテーマを「ごきげん」と定めている。
ごきげんな状態は揺らがず囚われない自然な心な状態であり、余裕があって行動の質も高く、心身ともに健康的で、日々挑戦できるような感じである。
僕はごきげんをこのように定義しているほか、その重要な要素として「愉しむ心」と「活きようとする心」があると考えており、このふたつの心があればブレーキを外せば自然と前に転がる、車でいうドライブの状態として「自燃」をキーワードにしている。
ところで、人に「自分のごきげんなときってどんな感じか」と聞いてみると、人によってその感覚がそれぞれあり、聞くたびに違う表現が出てくるのでとても興味深い。
そこで、ローカルな世界でごきげんに活動されている方の「ごきげん」と「こだわり」をインタビューする企画をしたいと考えている。
自分の活動と掛け合わせて記事を作り、ついでに日本各地に繋がりができたらありがたいと思ったりもする。
温泉や神社が中心となるような地域で挑戦する若い後継みたいな方の話とか聞いてみたい。
ということで、Marbleスクールの目標は自分のメディアを企画して、インタビュー記事をいくつか書き進めることとする。
スクールには卒業制作があるそうで、もし細かい設定が自分でできそうなのであればその1本を提出したいと思う。
まとめ
そんなわけでMarbleスクールでは、ライティングスキルの焼き直しと新しい人脈作り、そして自分の事業をさらに一歩踏み出せるように取り組みたい。
最後に、僕は乗り気で新しいことを始めると前のめりになって気付かないうちにエネルギーを噴かしていることがあり、今回もその気を感じている。
行動量は多くなり前に進めるような気がしているが、しばらくしてガス欠にならないよう気をつけねばと思う。
にしても、文字数がここまで伸びたのは久しぶりだ。
熱がこもっている証拠である。
あらためて「ごきげん」は「自然」な状態であり、けっしてポジティブなことがよいわけではないと自らに釘を刺して、Marbleスクールに参加する所信表明とする。