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全てのクリエイターにリスペクト

良くも悪くも一晩寝ると忘れるたち。だから落ち込んだって次の日にはけろっとしている。ただ、悪いこともある。

日記に書くことがない!

ない!昨日だって何回かあったんだ!この話しよ〜って。でも朝に日記をつけているせいで忘れてしまうんだ!(たった8時間働くだけで自分はへとへとになってしまうので、夜は食事くらいしかできない)

なんだっけかなぁ。これからはメモでもつけようかなぁ。

今、この本を読んでいる。

ライトノベル……というか創作ってそういえば自由に作っていいんだったと思い出させせてくれる良い作品。
私は年々脳みそが固くなっているから。

ところで、長編を完成させるのはすごいなと思っている。自分は一般企業の総合職ながら、なかなか珍しいことに短編の物語を書く業務の比率が高い。それを6年もやっている。自分が長編を書くとなったらこうやるんだろうなぁというステップもぼんやりと想像できる。

つまり、リアリティを伴って本当にすごいと思っている。とりあえず当ててみてって分量じゃないのだ。10万文字。不安な中で熱量を伴って結末に持っていくそのエネルギーは想像できない。

小出しで作るのはねぇ、時間をかければなんとかなるんだ。リアクションが頻繁に返ってくるしPDCAサイクルも回るからやりがいもある。

そのスパンが極端に広いわけよ。いやアニメもゲームはもっとやん。そういう声が聞こえてくるが、集団で作るのはなんとかなるんだ。監督ないし中心人物が諦めなければスタッフの代わりはいるし、スタッフ同士でリアクションしあうし、会社には週5出勤とかいうシステムがあるからとりあえず完成はするんだよね。

絵でも漫画でも物書きでも立体でも、孤独に作るのはねぇ……いつでも諦めていい環境で完成させるエネルギーは計り知れない。すごい、全てのクリエイターに尊敬の念を。

ちなみにnoteは私をクリエイター扱いしてくれるが、私はクリエイターではない。クリエイターの定義は、やらずにはいられない人だから。ほっといたら誰に求められるでもなくやってしまう人をクリエイターと呼ぶのだ。

イラストレーターになりたくてイラストレーターになった人はいない。絵を描くのが好きで(もちろん好きな理由はなんでもいい。モテるからでも、なんでも)続けていたらいつの間にかなっているものです。

あとは必要に迫られてってタイプ。たとえばプログラムが書きたくてプログラムを覚える人なんかいないでしょ。売れそうなウェブサービスを思い付いてしまったばかりにプログラムを覚えざるをえなかった。そしたらいつの間にか敏腕プログラマになってしまっているんです。

クリエイター、手段を仕事にしている人ってそういう人たちです。

私が日記を書いているのは好きでやってんじゃなくて、あくまで文章を書く訓練でしかない。

それでもはじめは500文字書くのも大変だったなか、今は書くことがなくたって1000文字超えるまで成長した。

小出しにすると時間はかかるけど誰でもできちゃうんだよな。おすすめ。

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