前置胎盤で怒涛の帝王切開@日赤広尾@コロナ禍2021
手術当日、緊張して早めに目が覚める。
産科の産前病棟の朝は静か過ぎるほど静か、。
今までちょっとした修羅場の経験はあったものの、人生初めての緊張感だった。お腹の中の子供が無事に生まれてくるかという緊張感。生まれたら突然母親としてやらなければいけない緊張感、絶対痛くなる傷痕。下半身麻酔で開腹手術。ひょっとしたら出血が多量になり最悪子宮摘出かも、さらに最悪私がICUかも(病院だからリスクについてはちゃんと伝えられる)死ぬ気は無いけど万が一の一死ぬかも(10万分の一位)
そして先生とも話したけど出血に関しては私自身の子宮がどれだけの速さで収縮し止血していくかな所もあり「やってみないと分からない」だった。
勿論ここは日本そして日赤広尾、白い巨塔である事間違い無しな上に部長クラスの先生に加えてざっと手術室には12人オーバーの人達がいた。
万全の体勢でやってくれる。
でも「やってみないと分からない」という言葉は2人分の命を預ける身としては心配尽きない言葉でもある。(誠心誠意正直に話してくれてるのだけど)
けど、そんな緊張感も味わう間もなく7時前には一本目の点滴が始まる。これは出血に備えた水分の点滴。前日に(なぜ前日にやるかは聞けない)20Gの針を刺したのだけど、それが私の血管が細く刺し方を失敗していたため、点滴するとすぐに私の腕はパンパンに浮腫み(輸液が漏れるとこうなる)手もビリビリしてきた。それを伝えると今度は別の所に刺す事になり看護師が刺すも失敗。
次は少し上の先生に。その人も上手くいかず更に上の先生に。。、と私の血管の細さも悪いのだけどこの時点で刺した跡が4カ所残りアザになり腕は残念な状態になっていく。
これからの手術の方が心配だったのに、その前に苦行になってしまった。。
「先生手背にしましょう」「そうね手背にして良いなら」ん。。しゅはい?漢字が思い浮かばなかったけど、どうやら手の甲に浮いてる血管。「ここは結構痛いですよ、ごめんなさい」で刺されて、かなり太め&長めの20ゲージが入った。
めっちゃ痛い、。でもお腹の子の事を考えると耐えるしか無い。
点滴の針だけで話が終わりそうだけど結果手に私は手術室でももう片方の手背にも20G入り(この時は皮下麻酔した)全10カ所手の甲から肘にかけて刺したのだった。。
両方の手背の20Gは抜く瞬間まで痛かった。。
本当に。。血管細くて苦労した友の会作りたい、、。
そして産後は5Bに行くと言う事で荷物をまとめるよう言われていると手術時間が11時20分になった事が告げられ夫に連絡(日赤は立ち合いのみ許可している)車椅子に乗り5階のエレベーターホールに、そこから4階の中央手術室のフロアに降りて一旦夫は待合室に私が先に入る。
中は広い中央の廊下を挟んでサイドに幾つかの手術室があり私は3の部屋になった、車椅子で向かい入り口で立ち名前の確認、何の手術をするか問われる。
それから色んな人が名札を見せて挨拶してくる。「麻酔科のこないだ診察でお会いした〇〇です、今日担当する新生児科の〇〇です」でも、全然頭に入ってこない、、前回の簡単な手術の時に部屋に入った時は映画みたいとドキドキしてニヤケそうになったけど今回は訳が違う。
どんどん手術の準備は進み台に登り服を脱がされて緊急輸血用と全身麻酔に急遽なった時用の穴を再度腕に開けて、今度は台で丸まって脊椎麻酔をする。
麻酔科の医師が濡らしたガーゼを胸から一筋ずつずらして確認していく「冷たいですか?」冷静になりたいけどもはや自分の感覚すら疑ってしまう、。
右手を見ると最後の胎盤についての診察をしてくれた先生が腕組みして立っている。
1人寡黙に数歩いたり。。「あの感じは結構きょうのオペが難しいから頭の中でシュミレーションしているのだろうか。。部長。。(婦人科部長)お願いします、、」と出来る限りの想像力を働かせる。
もう始まりますっていう所で夫が登場。
この時12時位。時間の感覚も分からなくかなってきた。
オペが開始される。痛くは無いけどレーザーカッターの切る感触や匂いはして想像より全然怖い。とにかくどうでも良い話でも良いから夫に話し続けて貰った。それが無いと怖さが凄かった。
夫の顔の後ろに時計があり、その時計の針を見る。手を握りたいけど両手の手背に20Gなのであまり動かせない。。
10分。。。まだ出てこないのか。何かあったのか、12分。。。10分位で早ければ出るのでは無いのか、、心配過ぎる時間。お腹は切られて引っ張られ目の前の管からは私のと思われる血がどんどん吸い出されていく。
15分辺りで先生が言う「あと2分位で赤ちゃん出ますよ」ここからは秒針を見つめた。夫も緊張しまくってもう話が続かない。私も緊張&恐怖で会話に話を返せない。
お腹切られて開けられて血を出しながら日常会話喋ることなんて無いしね。。
突然、今までで以上に引っ張ってお腹を押される感触がして子供の鳴き声が聞こえた。
すぐに新生児科の医師が引き受けて口の中に管を入れて羊水を出す。鳴き声が響いて子供の姿を見て私はめちゃくちゃ涙が出た。
卒業式でも泣かないのに、凄く泣いた。
涙がマスクに染み渡っていった。
ずっとお腹にいて蹴られて存在を感じていたけど心配じゃ無い日は無かった。姿が見えないから。私のお腹の皮膚3センチ先に居るのに会えてい中村かった子供が目の前の世界に存在して泣いていた。
「生きてる」それが一番嬉しかった、素直に。
呼吸している、声を出してる。
最低限の確認をしたらその小さな体を首の下の胸に置いてくれた。夫とそれを支えると温かくて重みがあった。
と、ここで一旦引き上げるのかと思いきや、その乗せたまま私のお腹の処置が始まった。
我が子は可愛い夫も感動している。
でも腹を切られて内臓を触られている。
何だろうある意味めちゃくちゃな状況、めちゃくちゃな感情。
そしてだんだん痛みを感じ始めるお腹。???麻酔切れて来てる?先生は冷静に「子宮の収縮する痛みでしょう」と。でも痛い。鈍く痛い。そしてここからが長い。もう出来たら我が子との感動の出会いで意識失いたいけど下半身麻酔のまま手術は続く。
また何か引っ張られ(おそらく子宮)胎盤を剥がされ縫われ、1番太い糸を皮膚に通す感覚も分かる。何これめっちゃ怖い。。過酷な時間だった、、
そして、、13時過ぎに手術は終わり「おめでとうございます」と色んな人が声かけてくれる。私は顔面蒼白で「あ、ありがとうございます」とか細い声で言うしか無い。偉い人から少しずつ現場を離れていく。まるでCMの撮影終わりみたいに、、
元気な夫は別部屋で助産師さんが新生児チェックしているのを、可愛い可愛いと写真を撮っていたようで男って何て楽なんだと羨ましく思った、。
私の出血は1440mlで想定内だけど、母子手帳に多量と記される。
生まれて来た子供は2402g、大体週数とおりだった。
続く。