![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/125073971/rectangle_large_type_2_33f3bda1f79dc7a08625d12b486fe4f3.jpeg?width=1200)
半径3km、徒歩圏内の幸せ。
自分にとっての幸せとは。
決意の4月、昨年度を振り返り改めて目標を定めるこの季節に、「幸せ」について考えた人も少なくないだろう。
桜が散り始める4月上旬、お気に入りのノートを持ってカフェに行った。2023年どう生きていたら自分は幸せか、考えてみたりした。
思い立ったらすぐに海外にいける生活? ひたすらお気に入りに囲まれる生活?
正解は無いし選択肢はきっと、無限だ。
一人ひとり違う「幸せ」について考えていると、1人の顔が浮かんだ。
今日は私が尊敬してやまない「せっちゃん」に焦点を当てて、文字を綴りたい。
みんなのアイドル、せっちゃんの日課
私には、今年で78歳になる祖母がいる。
おばあちゃんなんて言葉が似合わないくらい
綺麗で上品かつ笑顔が素敵な、みんなのアイドル せっちゃんだ。
せっちゃんはみんなの太陽。とにかく明るいし本当によく笑う。
ミドルネームはゲラコ。(嘘)
直接会っても明るいけど、電話でも変わらず明るい。
東京で聞くせっちゃんの声は、なんだかすごく、元気が出る。
せっちゃんは
ひでおじいちゃんが旅立ってから
大好きな愛犬ちゃろと2人で暮らしている。
歩いて10分のところにママは住んでるし
ママの子供服のお店もある。
いつもちゃろのお散歩のフィナーレに
ママのお店に顔を出すのが日課になっている。
娘の顔を毎日見れる母と
母の元気を毎日分かる娘。
うん、すごく良いと思う。
私は、たわいもない話ができるその時間と距離に、いつも東京から嫉妬してしまう。
やっぱり、山形と東京は遠すぎる。
幸せの正解、とは
何年前だったかな、せっちゃんの免許返却に一緒についていったことがある。
だから今のせっちゃんは運転ができない。
故に、羽根をのばせる距離は、チャリか徒歩圏内になる。
私にはその徒歩圏内の世界が、すごく狭く窮屈に感じて、ちっぽけだなあとさえ思っていた。
可哀想だな、どうにかできないかな。そんなことを思ったことだってある。
いつか東京にせっちゃんとちゃろごと連れてきて一緒に暮らして、
毎日おいしすぎるせっちゃんのご飯を堪能できる日々を妄想して勝手に幸せになったことだってある。まだ現実にはなっていないけれど。
その狭い世界に生きてるせっちゃんを、
私の知ってる大きくて広い世界に連れ出すことが
幸せの正解だと、ずっと思っていた。
「テレビでこれやってだっけのよ。」そう言いながら
テレビごと動画に撮って、部屋にテレビがない私に情報を教えてくれるそのせっちゃんの手法は、ママとおそろいだ。さすが親子だなあと思う。
その動画に映る、見たことのない景色や美味しいものだらけの都会は、
きらびやかで、派手。麻痺してしまうほどに、刺激だらけだ。
私は、頑張って働いてお金を稼いで、大好きな家族に少しでも色濃い旅の思い出を。
そんなふうにずっと思っていたし、ママに相談したりもしていた。
だけど、14歳になったちゃろが足を痛めるようになってから、せっちゃんは遠出をするのを露骨に嫌がるようになった。
自分が旅行で楽しんでる間にちゃろになにかあったら。
そう思ったら楽しめないから、私以外で行っておいで。そんなふうにお誘いを拒むようになった。
「いつかハワイに行ってみっだいな。いつか孫ちゃんとディズニーにでも行ってみったいちゃ。」
生粋の山形弁で楽しそうに話してくれるせっちゃんのいつかは、一体いつになるのだろうか。
ママの後悔と、ひでおじいちゃんの満面の笑み
ひでおじいちゃんは生前
「ハウステンボスに行ってみたい」いつもそう言っていた。
あまりに口癖のように言うもんだから、誰も「なんで行ってみたいのか」聞くことはしなかった。
ひでおじいちゃんが天国に行った後、ママが泣き崩れながら「いつでも連れていけたのに、なんで連れていってあげられなかったんだろう。。」と言って後悔しているのを見て、
もう繰り返したくないなと思った。
いつかは、だいたい来ない。
なんで行ってみたかったのか、もうそれは聞くことはできないけれどせめて。そんな思いで
ママは女子4人(せっちゃんと私と妹)で長崎への旅を企画してくれた。
あたしか確か、ハウステンボスの花がとても綺麗な4月だった。
ひでおじいちゃんのちっこい遺影をせっちゃんが両手で大事そうに抱えて、チューリップ畑で5人で写真を撮ったあの時。ひでおじいちゃんの笑顔が、ひときわ嬉しそうに見えた。
この写真は、いつ見返しても泣きそうになってしまう。
半径3キロの幸せ
ちゃろの足が良くなったり悪くなったりする中で、
どうしたらせっちゃんを幸せにできるかな。
妹と真面目に会議をしたり、ママと膝を付き合わせて、考えたりなんかもした。
好奇心旺盛で広い世界、まだ見ぬ景色が大好物な私とママは
休みが合うとすぐに旅に出てしまうのだが
ある時、
みんながみんな、旅をすることがいちばんの幸せではないのかもしれないことに気がついた。
せっちゃんが、好きなもの、好きな空間、笑顔が増える瞬間。
それは、私が可哀想なくらいに狭いと思っていた半径3キロの中にあったのだ。
人の幸せの定義を勝手に決めつけてはいけない。
勝手に定義して、勘違いしてはいけないと思った。
せっちゃんは自分のふるまう料理を
おいしそうに食べて喜んでもらった時にいちばんの幸せを感じるらしい。
そして、娘や息子、孫たち家族の話をしている時に1番いい顔をする。
せっちゃんにとっての幸せは、どこにいるかより誰といるか。
大好きな人と居心地良い時間を過ごせるかどうか。それに尽きるのではないか。
そう気づいた時に私はもう、山形に帰省する飛行機のチケットを取っていた。
有給を使って、何も予定を入れないのは初めてだった。
ただ他愛もない話をしながら、せっちゃんと一緒にいよう。
料理を教えてもらいながら、一緒に作って、そして一緒に食べよう。
一回でも多く楽しそうに笑ってもらえたら、今回の帰省は100点だ。
せっちゃんと過ごした7日間
そして、せっちゃんの暮らしに密着する1週間が始まった。
まるで6年前の大学生の生活にタイムスリップしたかのようだった。
午前はママと朝散歩をして、YouTubeで推し活をしながら朝ごはんを一緒に食べる。
それからママの出発を子犬のように見送ってから、せっちゃんタイムが始まる。
お昼になって、とことことせっちゃんのお家に向かう。およそ10分くらいの距離。
山形の昼は、とても綺麗だ。空気が澄んでいるし、街の向こうにはいつだって山がある。
こんなに自然溢れる美しい場所に生まれ育って、当たり前に暮らしていたことのありがたみに気づいたのは、東京に行ってからだった。
環境が変わって初めて、ありがたみに気づけるのだろう。
当たり前にちゃんと、感謝できる自分でいたい。
せっちゃんちに到着したら必ず、笑顔のせっちゃんと眠たそうなちゃろがしっぽを振って出迎えてくれる。もうこの瞬間だけで十分すぎるほどの幸せが詰まっていると思う。
仏壇にお参りをして、じいちゃんに挨拶。
じいちゃんの写真は相変わらず満面の笑みだ。
それから、せっちゃんと最近あったことの話をする。
いとこが引越しをする話。別のいとこがTV取材を受けた話。
せっちゃんはとにかく
孫を愛し、孫に愛されている。
私が海外で買ってきたお土産を2人で開けて食べてみたり、
淹れたてのコーヒーをお気に入りのマグカップにいれてサーブしてくれる。
「お客さま
今日はどちらのマグカップになさいますか?」
カフェごっこをするときのせっちゃんの瞳は、いつもキラキラしていて可愛い。
そりゃあ、じいちゃんが惚れる理由もわかりきってしまう。
「今日は、どれにしようかな〜。こちらでお願いします」
お客さま(私)がそう伝えると
「かしこまりました。お待ちします〜。」
なんて、一丁前の接客付き。
私の周りにいるせっちゃんファン(私の友人たち)にも、一度訪れてほしいくらいだ。
豆から挽くコーヒーはやっぱり美味しいし、
マグカップのストーリーを一つ一つ丁寧に話してくれるせっちゃんはやっぱり愛おしい。
ちなみにあんまり世の中には知られていないのだけれど、
せっちゃんの生チョコは世界一美味しい。
早く商品化をした方がいいと、8年前から家族に言われ続けている。
生チョコを一緒に作るかも迷ったが、バレンタインでもらったのでこの日はチョコブラウニーにした。ブラウニーはママの大好物だ。
山形から東京に送られてくる愛溢れる段ボール(仕送り)の中にも
たまに、ブラウニーが入っている。それに気づくと私は思わずガッツポーズを取ってしまう。
くるみの食感と絶妙な甘さ、チョコレートの濃厚さは控えめに言って最高。
シンプルが故、珈琲にとても合う美味しさなので
いくら有名な東京のカフェに行っても、私はブラウニーは頼まない。
せっちゃんのブラウニーが圧倒的一位なのだから。
ただ、一緒に作ってみてこんなにも過程が大変だとは思ってもみなかった。
華奢な148センチの体じゃとてもじゃないくらい重すぎるブレンダーを逞しくかき混ぜるせっちゃん。私は15秒でリタイアしてしまった。(ヘタレ)
ココアパウダーもくるみも、バッドもヘラも完璧に家に用意されてるせっちゃん家はさすがだなと思った。お菓子作りや料理に対する本気度が違う。お嫁に行く前にぜひ、見習いたい。
私が料理を手伝うと、決まってせっちゃんは爆笑する。
というかキレる。
手際の良い人が、料理をあまり知らない人とやるとイライラするんだろう。
でも一生懸命やってもわからないものは分からない。(不器用)
そのイライラが可愛くて、もっと手伝い(いたずらし)たくなるのだ。
ブラウニーをオーブンにいれてハイタッチした後、夜ご飯を一緒に作った。
これもまた戦争。
「違う!ちがうちがうちがーう!!」
何回も怒られた。最高だった。
せっちゃんが楽しそうに怒るから、嬉しかった。
でも次回は、基本を勉強してから出陣すると約束した。
すると、仕事終わりのママが帰ってきた。そのあと3人(と1匹)で食卓を囲んだ。
幸せ以外のなにものでもない。
ガーリックチャーハン含め計7品をぱぱっと作ったせっちゃんを心から尊敬した。
かっこいい、私も周りの人の笑顔を生み出せるそんな素敵な女性になりたい。
出来上がったブラウニーはいつも自分の分はそっちのけで、家族や親戚に配りまくるせっちゃん。
無償の愛だらけで、この人の生き方はやっぱり素敵だと改めて思った。
31のパンジー
次の日は、せっちゃんがパンジーの苗を買いにいくと言っていたのでついていった。
生まれてこのかた28年、パンジーを買いに行くのは初めてで、なんだかすごくどきどきした。
信じられないほどの数のパンジーをカゴに入れて行くせっちゃん。「買いすぎじゃない?!」と言っても、「これでも全然足りないのよ〜」なんて全然聞く耳を持たない。
これを全部チャリで持って帰れるのだろうか、心配だった。
「ききちゃん、好きなの選んでけろ〜!」
そんなふうに役目をもらったのだから、張り切って肩をまわして気合を入れて、好きな色のパンジーを選んだ。
グラデーションやバランスも視野に入れつつ2人で選ぶのは予想以上に楽しかった。
山形弁を炸裂しながら、私たちはパンジー選抜を終えた。
いつも来てるからと得意げにポイントカードを差し出すせっちゃんも可愛かったし、
「いつもありがとうございます」と言いながらパンジーを入れるサイズの合う箱を一緒に探してくれた店員さんの笑顔も可愛かった。
世界っていうのは、可愛さと優しさで溢れているんだなあと思った。
2人で自転車にパンジー箱を4つ設置して仲良くおうちに帰った。記念に動画なんかも撮ったりした。いつもこれを1人でやっているせっちゃんはたくましいし、なんだか楽しそうだなと思った。
家に帰ってもちゃろは、こたつで寝ていた。
今どきは、猫だけじゃなく犬もこたつが大好きらしい。
そのあと、アクティブなせっちゃんはすぐにパンジーを植え始めていた。
ちゃろとラブラブしていた私は少し乗り遅れたが、それに気づいてすぐ参加した。
土を触ったのはいつぶりだろう。
今年の春で社会人7年目を迎えるけれど、おそらく社会人になって初めてだ。なんだか貴重だった。
「どの色をどの鉢に植えるか」「花壇には華やかな色合いがいいかな」
2人で作戦会議をしながら植えるのは本当に楽しかった。
時間に急かされることなく、好きなひとと好きなことをする。
なんとも尊く、平和な時間だった。
お花が好きなのは、ママも私もそうだけど
きっとせっちゃんからの遺伝なのだろうなあと思ったりなどした。
お花にまでやさしい人は、
人にも動物にもやさしい。好きだ。
ヘルシーで、やさしい生活
あまりに平和すぎる幸(さち)時間を経て
せっちゃんの毎日は、とても充実していることを知った。
むしろ、人と比べて落ち込んだり
満員電車で肩をすくめることのない
ヘルシーな生活。
好きな人(あるいは犬)と好きなことをして
好きなものをつくって食べる、やさしい生活。
せっちゃんの生き方は
あまりにも幸せが溢れていることを
一緒に過ごした1週間で、知ることができた。
日常の当たり前に隠れている幸せにちゃんと気づいて
感謝できているせっちゃんの生き方はとても美しかった。
幸せは、自分の心が決める。ていうけれどそのとおり。
その人の、その人らしい幸せを尊重して生きていけたら。そんなことを思った7日間だった。
移動距離は徒歩圏内、3キロに詰まったせっちゃんの幸せの一部に
ご一緒できる日が一年の中で増えたらいい。それこそが私の幸せだなあと
パンジーが枯れてしまう季節にまた
予定のない有給を取って、一緒に夏のお花を買いに行こう。