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愛する人が、妻以外にもいる。
心から愛している人が、妻以外にもいる。
両親、2人の妹、そして弟である。
私は4人兄妹の長男だ。北海道札幌市の生まれで、育ちは人口2万人の田舎。社会に出て保険外交員として働く今、私は北海道から出ずに札幌市内に暮らしている。妻と。2人で。
私のひとつ年下の妹は、小さなころから病弱だった。小さな身体に大きな手術、その手術痕は今でも身体に残っている。
そのせいか、比較的外交的な性格の私とは対照的に、少しだけ内向的。漫画や小説の世界が好きな女の子で、私たち兄妹に対しては思ったことをズバッと言う。少し間の抜けたところがあるが、ゴアイキョウ。それは今でも変わらない。
小さな頃、田舎道を兄妹で歩くときは、私がいつも車道側を歩いた。車が来ると危ないから。
もしもこれを読んだ妹が「そんなことしてくれてないよ」と言ったとしても、私は覚えてる。
相手に好意的に思われたい、なんて考えず、車道側を歩いた。子ども心に兄の自覚があったんだろう。かっこいいでしょ。えへん。
…
大人になって、家族に何か悩みごとがあれば、みんなで相談しながら解決していく。それはきっと、どの家庭でも変わらない。が、なぜだか分からないが、私は家族の最後の砦としての役回りが多かった。
いよいよ誰にも解決できない、というタイミングで「あいつならどうにかしてくれる」とばかりに、相談事がやってくる。
時にただ話を聞くだけ、時に具体的な解決策を提示して導く、どうでもいいことで悩んでいたら、とにかく元気を出せ、とユーモアをもって笑わせる。そんなファニーでマッドなピエロの役回り。
かつて、その病弱な妹が結婚するかしないかの瀬戸際にいるときもそうだった。
【関連】妹カップルの別れ話を手紙で阻止する話
妹は20代中盤で結婚し、2人の子宝に恵まれた。私には姪っ子と甥っ子がいることになる。以前までは西日本に住んでいたが、念願叶って北海道に戻ってきた。
彼らは札幌市内に戸建て住宅を購入し、私の両親と2世帯住宅で暮らしている。義理の弟には「あざーっす!」と言った。
私は保険外交員だから、妹家族の全員の生命保険、医療保険を預かっている。あの当時、妹たちのこれからの生活を真顔で考え「これならば間違いない」という設計をしたことを覚えている。
2022年10月、この記事の執筆からさかのぼること4か月前、その妹からLINEがきた。
私、心療内科にかかることになったんだけど、医療保険って使える?
「心療内科」ときた。縁のない人間からすると、少し怖い。医療保険が使えるかどうかは重要だが、まず確認したかった。
それは精神的な何かで通うのかい?
すると返事が来た。
うん。7年くらい前にパニック発作起こして、今回もなったから病院きたら、重度の全般性不安障害だって言われた。
全般性不安障害。
妹曰く、産後鬱をしばらく放置した結果、北海道に戻ってきたことで緊張の糸がプツンと切れ、今は毎日泣いているらしい。家事も手につかないし、旦那さんも仕事を休んで介抱しているらしい。
買い物に行くことも難しい。
少しでも不安を感じると、発作的に泣き叫んでしまう、そんな状態にあるとのことだった。
状態としては限りなく躁うつ病に近い。
と、いうわけで妹宅へ飛んで行った。
保険が機能するかどうかは置いて、
とにかく妹の様子を見に行かねばならない。
義理の弟にも私の両親にも、どうすることもできないらしい。ならば私が行って、お話を聞く必要がある。最後の砦だからだ。万里の長城!
この病気は、周囲の人の理解が重要である。「うつは甘え、気合が足りない」という妄言が、最も患者を傷つけるらしい。
妹の家に行くと、姪っ子と甥っ子がドタドタやってきた。遅れて旦那さんが出てくる。少し疲れた顔で「お兄さん、すいません」と言う。
「ぜーんぜん大丈夫。妹は?」
「あ、まだ寝てます。お兄さんが来たら、
出てこれるかもって言ってました」
「おっけー☆」
ダイニングに通された。姪っ子と甥っ子が「ねぇねぇ!」とドタドタしている。私も一緒になってドタドタする。イスに座る。
妹は? どんな様子なんだろう?
と思ってしばらくすると、奥から妹が出てきた。
…
パジャマ姿でヨロヨロ歩いてくる。
髪の毛はボサボサだ。
正直、ナメていた。
少しだけ社会に触れた気になって、妹と似たような状況の人から話を聞くこともあった。みんな元気だから、きっと妹も同じだろう、なんやかんやいつも通りだろう、と思っていた。
愕然とした。
人はこんなに変わるものか。
漫画『HUNTER×HUNTER』で、変わり果てたカイトを見たときのゴンの気持ちが、痛いほどに分かった。
人はここまで変わるか。見る人が見たらショックだろうな。ゴン、頑張ったなぁ。妹の声はカボソク、私の顔を見るなり泣き出した。
てなわけで話を聞いた。4時間。
うんうん聞いた。何が不安なのか、誰にも話せないことはないか、聞いた。
途中、シクシク泣きながら話す妹、その隣に姪っ子がきてピトッと妹の身体に触れた。姪っ子はこの春から小学生になる。その姪っ子が言った。
ママを泣かせたらダメなんだよ。
ママはいま、ココロの風邪をひいてるんだから。
子どもの方が、全然やさしいね。
…
あれからも定期的に妹のところに行って、うんうん話を聞いて、最近の私の小噺をして笑わせて。
誰も敵じゃないし見捨てられないから安心しろ、と何度も言い聞かせて励まして、そんな生活を続けて、もう4か月になる。早いなぁ。
姪っ子や甥っ子に会えるから楽しい。
全然苦じゃない。
義理の弟からは「いつも、ありがとうございます」と言われる。両親からも「ありがとう」と言われる。
少し落ち込む父にも「俺という傑作がいるから万事OK」と強気に笑わせる。兄妹の誰も、子育てが間違っていたなんて思っていない。
妹の状態は快方に向かっている。亀が歩くように少しずつ。長く付き合っていくものだと思うけど、波を繰り返して良くなっていくよ。よくなると思っていれば、きっとよくなる。
…
何回目かに妹に会ったとき、
私のこのnoteの存在を話した。
「いいかい。俺は毎日、noteでエッセイを書いてる。18時までに必ず公開して、俺の日常を閉じ込めてる。だから読むんだ。そこなら毎日俺に会える」
「ヘンなの」
「いいから。そして〇〇(妹)もnoteで文章を書くんだ。自分の今の気分を閉じ込めてはいけない。愚痴でも気持ちでも、なんだっていい。とにかく吐き出すんだ」
「え、でもあたし、文章うまくないよ」
「そんなのは気にしなくていい。同じ状況の人たち、日本のどこかにいる人たちが、いつかきっと励ましてくれる。誰かのためになるかもしれないよ。とにかく書き続けてごらん」
「…うーん、分かった」
妹は、この私のnoteを読んでいる。
今日、この記事もきっと。
妹自身も定期的にnoteを書いている。
気分が乗らないときでも書いていて偉い。
文章も読みやすくなってきた。文章はいきなり上達するもんじゃないよ。少しずつ、少しずつだ。
先日、そんな妹に言われた。
「あたしのこと、noteで書いてほしい」
だから、こうして書いた。
妹よ、感想はコメント欄ではなく、LINEで教えてね。たまに私の記事のコメント欄に、やけになれなれしいコメントをしてくるアカウントがある。疑問に思っていた方がいるかもしれない。それは妹だ。私の大切な妹だ。
【関連】私の株をあげてくれる妹の記事2つ
おもしろい誤算があって。
私のnoteは、家族に知られてしまった。
妹がこのnoteの存在を両親に教えたらしい。だから実はいま、私の両親と、さらにおばあちゃんまで、これを読んでいるらしいのだ。
もう一人の妹は別の事情でこのnoteを知り、たまに読んでくれているらしい。遠くにいる弟にもnoteをやらせようと私は画策中だ。
さらに妹は、
友人のツッチー(仮名)にまでこのnoteの存在を話し、ツッチーは毎日18時の更新を楽しみにしてくれている。
ツッチーにこの前会った時には「あ!おにい!この前の記事めっちゃよかった!」と言ってくる始末である。ツッチーについては明日書こう。
で、
実を言うと、本当は「『19歳で私を出産したお母さんが書いてくれた作文』を、50歳を超えた母に読ませてみた」という企画をやりたかった。
おかげさまで、もうできないや。
まぁ、いっか!
そういうこともあるよね。
……
…
この記事を書き終わる今、やっぱり思う。
私には、
心から愛している人が、妻以外にもいる。
両親、2人の妹、そして弟である。
小さなころに車道側を歩いて、みんなの話を聞いて笑わせて。大丈夫、なんとかなると言ってきた。家族を損得なしに守りたいから。
だからこうして、毎日書く。
これは私の愛する家族にとって、
とっても大切なことなんだ、って信じてる。
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<あとがき>
音声配信では「モチベーションなんてない」と言いましたが、実はウソです。私なりの大いなるモチベーションでnoteを書いていますよ。ウソついちゃってごめんね。毎日投稿が続かないという方は「自分のため」ではなく「誰かのため」を意識すると続くかもしれません。今日もありがとうございました。
▶︎音声配信でモチベがないと語るのは53:40から!