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鳥肌が立つ文章。
noteに出会うまで、
自分の文章を継続的に発表する場はなかった。
10年前にFacebookが流行したときも、インスタグラムが流行したときも、自分から何かを投稿する、というタイプではなく、傍観者的な立ち位置にいた。
mixiはやったことがなくて、大学に入学したとき、私以外の新入生がなぜか入学前から知り合いの様子で談笑しており「あれ? なぜだ?」と疑問を抱いた。
のちにそれは、
mixiの賜物と知り、愕然とした。
小学生のころ、文章が得意か不得意かと聞かれれば、おそらく得意と答えていたと思う。
作文の授業では、友だちが「書くことねーよ」と言いながらA4用紙1枚をやっと埋める中、私は13枚書いていた。
書くことが多すぎて、
すぐにA4用紙が文字で埋まる。
授業中、全員が黙々と書く中、教卓の上に置かれた作文用紙を取りに行く私を見て、先生は「またダーキか、書きすぎだ」と苦笑いしていたものだ。
いま「文章が得意」と書いたが、厳密にいうと得意ではなく、単純に好きだったのだと思う。
書いた作文を誰かに見せることもないし、
誰かに文章を褒められるということもなかった。
振り返ってみると、
本を読むことは好きだったかと思う。
父も母も熱心な読書家ではないから、自宅に本棚がある家庭ではなかった。もちろん、数冊はあったけれど。
小さなころ、母がすすめてきた本は『ソフィーの世界』という本で、それこそハリー・ポッターくらいの厚みがある本だった。
読み進めてはみたが、
10ページくらいで挫折したことを覚えている。
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小学校4年生のころ、
好きな女の子が読書家であると知った。
「好きな本は?」
「最近は『妖精のキャラバン』かな」
と答えるので、私も急ぎ買った。
おこづかいで買って読んでみたけれど、これも内容がよくわからなくて、結局最後まで読むことはなかった。
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文章が好きかもしれない、と気づいたのは、学校の図書室で『ズッコケ3人組』をすべて読破したときと『なん者ひなた丸』シリーズをすべて読破したときだった。
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小難しい本よりも、空想ファンタジーの方がはるかに読みやすい。特に『なん者ひなた丸』シリーズは小学校の登下校の道で、歩きながら読んだ。
…
大学生になって、私はとにかくモラトリアムをこじらせていた。自分が将来なすべきことはなんなのだろう、何をすれば自分の存在を世の中に知ってもらえるだろう。
さらに言えば、単位取得のためだとか、素晴らしい企業に就職するために授業を受ける学生と一線を画したかった。トガッていたわけであるね。
20歳の秋、
高校時代の元カノとみなとみらいで会った。
「懐かしいね」とただ話すだけ。お互いの近況を話した。私が大学にちゃんと通っていないということ、自分の得意なことを活かして世の中に貢献したい、ということを山下公園で話した。
そんなことを伝えると、元カノからは、
「イトーくんは今、モラトリアムなんだね」
と笑っていたので少しバカにされたような気がした。そもそも私は「モラトリアム」という言葉の意味がよくわからなかった。デモクラシーとの区別がついていなかった。
大学在学中に
コピーライターという仕事があることを知った。
「これぞまさに求めていたやつ!」
と思って、宣伝会議主催のコピーライター養成講座に申し込んだ。バイト代の16万円を払って通った。
学びになったかと言われれば、もちろん学びにはなったけれど、当時の私は元カノが言うところのモラトリアムだから、ひねくれていて熱心な生徒ではなかった。
学生のうちに、アルバイトで札幌市内の広告制作会社で働いた。期間は約3ヶ月くらい。
札幌の観光ポータルサイトの文章を書いたり、お店に取材に行ってインタビューしたり、何かしらのキャッチコピーを考えたりした。
決してプロレベルではない。たった3ヶ月だったが、仕事とはこういうものなのか、と学んだ。
ちなみにいまもその観光ポータルサイトは残っていて、過去の私が書いた文章も読むことができる。
先輩コピーライターの男性は、
当時30代中盤で、やさしく教えてくれた。
文章が好きだったから、思い浮かぶままにあることないこと書いたけれど、よくダメ出しされた。ダメ出しされても、何がダメなのかよくわからなかった。
やがて広告制作というよりは、各種制作物の文字校正などのチェック作業に携わることが多くなり、結局インターンは3ヶ月で辞めた。
そこからはとにかく、自分で何かを表現してみたい欲に駆られていた。
webサイト作成の知識はないけれど、HTMLとCSSを勉強して、自分のポータルサイトを作ろうともした。作ってはみるんだけど、技術が足りなくて全然美しくない。
はてなブログみたいなブログサイトを知って、そこでやろうとも思ったけれど、いまいち勝手がわからない。アナリティクス的な何かの入れ方がわからなかったのだ。不要なのに。
…
大学の授業をまともに受けていなかった私だが、同級生の就活のES作成などをボランティアでよく代行した。
「あいつに書いてもらうとESがおもしろいように通るぞ」という噂が広まったわけだ。
大学の同級生が受けている授業で、
エッセイを書く宿題があった。
エッセイを書いたことはなかったが、友人に依頼されて、書いてみたことがある。テーマは私が通っていた小樽商科大学にちなんで「小樽」をテーマとし、小樽が主題ならばなんでもいいというもの。
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小樽は坂の街である。
長崎、神戸を思い浮かべてもらえばいい。
それぞれの坂には名前がついており、我が小樽商科大学へ続く坂の名前は「地獄坂」であった。坂の勾配が10%ほどの急な坂である。その急勾配を「地獄」と表現している坂。
友人から依頼された私は、1000文字くらいで地獄坂についてのエッセイを書いた。
内容としては、
「地獄坂という名前がついているが、全国各地にはもっと急な坂がある。小樽に来て地獄坂を登ってみるといい。きっと地獄とは感じないから」
的なことを伝えるエッセイだったが、友人にそのエッセイを渡しただけ。特に文章に対する評価は聞かされなかった。
大学時代に付き合っていた彼女に、
このエッセイを見せてみたことがあった。
彼女は私のこのnoteによく出てくる元カノで、ティッシュ配りのアルバイトを誰よりも一生懸命にやるような女の子。
【関連】元カノはなぜ一生懸命ティッシュを?
彼女は私より4歳下だったが熱心な読書家で、夏目漱石、森鴎外、太宰治、川端康成、三島由紀夫、ヘミングウェイ、シェイクスピア、ドストエフスキー、カフカを好んで読んでいた。
あまりに本が好きだったので、
誕生日プレゼントには本を贈りあった。
私がボランティアというか、趣味というかで書いた「地獄坂のエッセイ」を、彼女がどのように評価するのか知りたくて「感想を聞かせてほしい」と見せてみた。
彼女が黙ってエッセイを読む。
……
…
感想は「いいんじゃない?」だけだった。
なんだ、そんなものかぁ、と拍子抜けだった。
お互いを全肯定する間柄だったから、もっと褒めてくれるかと思ったが、そううまくはいかない。
この彼女とは3年以上付き合ったが、
やがてフラれた。
私と彼女の間柄が険悪になったころ「この際、言いたいことを言い合おう」ということで、いろいろと話し合った。その中で彼女にこう言われた。
「ダーキくんさ、むかし、地獄坂のエッセイみせてくれたじゃん」
「うん」
「あれ読んだとき、あたし、そっけなかったでしょ」
「あぁ、もっと褒めてくれると思ったよ」
「あれさ、正直言うと……」
「うん」
「読んで鳥肌たったんだよね。こんな文章書けるんだ、と思って」
「え、そうだったの!?」
「うん。すっごく嫉妬したんだ。あたしには書けないって」
小さなころから文章が得意だとは言わないが、少なくとも「好きだ」とは言える。だれに見られることもないから、褒められることもなかった。
はじめて褒めてくれたのはこの人。
なにが言いたいかというと、noteという存在やSNSという存在があの頃からあれば。私がきちんと活用できる人間であれば。
もっとたくさんの文章を書いてこれたはず。
もっと私を投影して残せたはず。
それができなかったのが残念であり、いまこの時代にこういう場所がある若者がうらやましい。
あのとき彼女が絶賛してくれたから、
いまこうして書けているきらいすらある。
残念ながら、現在でも鳥肌が立つような文章は書けていない。なにを目指しているんだろう。
…
地獄坂のエッセイを褒めてもらったとき、私はとてもうれしかった。このnoteにおいても、すばらしい文章にふれる機会が多くある。
文章を書くことはすばらしいことだと思う。
誰のどんな言葉がきっかけになるかわからない。
これを通して言いたい1番のことが何かというと、
「良いものをもっと褒め合おう」
ということかもしれない。
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<あとがき>
いつもお読みいただきありがとうございます。noteを発見できてよかったです。これがなければ、いまだに私は鬱々として、なぞの表現欲に悶々とする日々を送っていたに違いありません。コメントくださる方々もありがとうございます。本当にうれしく思います。今日も最後までありがとうございました。
【関連】もっと褒めよう、と書いた記事はこれ