【雑記】考えるのってめんどくさい。
こんにちは。
きーちです。
noteで書くのがスランプ気味です。
文章を書くことは習慣化しましたが、次の目的がないまま迷走している感覚です。
おかげさまで、3か月もnoteを更新することができました。
これは育児家事の合間に空き時間を作ってくれた妻のおかげでもあり、読んでいただいた方、スキをつけていただいた方のおかげだと思います。
本当にありがとうございます。
「書けない」という感覚、noteを続けて書いている人だと少なからずぶち当たる壁なのかもしれません。
最初に書いた自分のnoteにはこう書いていました。
noteを始めようと思った理由は以下の2つです。
1 自分が経験したことや感じたことが誰かの役にたったらうれしい。
2 ここから何か面白いことが生まれるかもしれない。
でも、最近思ったんです。
考えるのってめんどくさいなと。
考えないで生きるのって、なんて楽なんだろうと。
そして、最初のnoteに描いたことにももやもやしてきました。
誰かの役に立つって誰の?
役に立つってどうやって?
面白いことって何?
全部抽象的すぎるのでしょうね。
書くからには何かしら考えているわけで、文章にするとそれが可視化される。
その可視化された文章は理路整然としているわけではなく、それが今の自分なんだけれど、それをここに書いて発信する気持ちにならない。
それって、人の目を気にしすぎているだけなのかもなと思いました。
いくら自分のことをよく見せようとしたって、結局は見抜かれてしまうわけですから、本音の文章のほうが読んでいる人には人間性が伝わると思っています。
その人らしい文章を読むのが好きなので、自分も着飾らずに書いていきたいと思いました。
書けないのは事実なので、今日は書けないとだけ書いておきます。
気持ちがのってきたら、自分の好きなことや興味のあることを文字にしていきます。
でも、しばらくは考えるのがめんどくさいウィークに入っていそうなので、そんなときは無理せず、流れに任せてやっていきたいと思います。
取り急ぎ、ここまで書いた自分をほめてやりたいと思います。
こんな文章でも目を通していただいて本当にありがとうございます。
そんな皆さんにもいいことがありますように。
今日は雑記として書けないことについて書きました。
それではまた。
きーち