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「やさしく歌って」が流れていた時代
昨日、アメリカの歌手ロバータ・フラックの訃報を聞いた。時の流れを感じる。彼女のヒット曲は「やさしく歌って」で、落合恵子さんが文化放送のディスクジョッキーだった頃だ。落合さんのメゾソプラノの声が、よくこの曲を紹介していた。それまで洋楽と言えば従姉が好んで聞いていたビートルズぐらいしか知らなかったが、セイヤングの番組で多くの洋楽を知った。
この歌を聞くと、当時の様子が鮮明に浮かんでくるから不思議だ。なぜか霧雨とそのなかで揺れていた新緑の柳の緑を思い出すから春だったのだろう。週末に出掛ける繁華街は吉祥寺で、駅の前にはヒッピー風の青年逹が手作りの品の数々を売っていた。その一人の青年から、針金を曲げてローマ字で名前を綴ったブローチを買ったこともあった。
フリスビーが流行り始めた頃で、団地の緑地で友達と遊んだ記憶もある。激動の60年代から時代が変わっていくのを少女なりに感じていたが、巷にはまだフォーク歌手たちがいて、新宿は長髪にジーンズの若者があふれていた。ファミレスが出来はじめて、ファーストフードの店も次々にできていた。「俺たちの」シリーズで中村雅俊が社会にミスフィットした青年像を演じていたのもこの時代だった。
調べたら、オリジナルは白人女性によって歌われていて、フォークソングのようなアレンジで売れなかったのが、ロバータ・フラックの歌で大ヒットになったらしい。そういえば、中学の頃フォークソング同好会というのがあって、歌っていた記憶があるが、アメリカではフォークはすでに下火になりつつあったのだろう。聞き比べてみると、ロバータの方が都会的だが、オリジナルのスピリットは表現されといると思う。
吉祥寺、高円寺,、国分寺、と寺のつく町にはフォーク歌手が集まると言われていたが、中央線沿線は、当時どこかアメリカのカウンターカルチャー、ユートピア思想の影響があった記憶がある。柔らかな新緑に包まれた東京郊外の春に、ロバータ・フラックが歌うこの曲 は、とてもよく似合っていた。