公文書
あなたはえっちな人だ。
私という人間の、思考の素肌がチラ見えしているところを、さもどうということもない顔で漁っている。
「noteに投稿している時点で、お前も露出狂だろう。春にはそういう奴が増えるってよく言うものな。」と、言っていることだろう。
じゃあ、えっちってことで良しとしよう。
えっちって言った人がえっちなんですけどね。
そもそも、中学の頃、「公開日記」を書くのがたまらなく好きだった。
私の中学では、自宅学習ノートに勉強の形跡を残し、それを毎日担任に提出する宿題があった。そのノートは、「その日一日どう過ごしたか、どう感じたか」をざっくりざくざく書きやがれというおまけ付きで、私は学習そっちのけで日記部分を書き続けた。
「理科の先生はやたら声がデカくて、眼圧が異常」だとか、
「今回の席替えは1班は平穏な人間が集まっているだが、4班はAくんとBくんの二人の厄介者が化学反応を起こして、さらに凶悪な環境になるので注意されたし」だとか、
「社会の授業で秋葉原をアキバハラと言い間違えてしまったが、俗称ではアキバというはずだ、と考えたら癪に障った」だとか。
それはそれは好き勝手に書いて、毎朝担任がどんな顔をして読むだろうとわくわくしながら提出していた。やたらと担任はそれを気に入って、別のクラスの担任にも私の日記を公開していたようだ。読者が増えたのは悪い気がしなかった。
といった経緯があるが故に、日記を他人の目にさらすことには抵抗が無いどころか、快感がある。えっちな気分になる。
"中学で担任に自慰行為を覚えさせられて"しまったわけだ。
今後、これを「公開日記」として、いや、更に広く「公文書」として定義させて頂くとしよう。