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伊賀流上忍 百地丹波守の話 ③

 このお話も今回が最後となります。上の写真は、百地氏の菩提寺である青雲寺(伊賀市喰代)にある同氏の暮石。青雲寺は、永保寺と並び喰代の百地城(砦)に隣接し、いずれも無住の寺で、境内は静寂に満ちています。

 さて、みなさん「百地三太夫(ももちさんだゆう)」という名前をご存知でしょうか。百地丹波守と同一人物であるとの説もありますが、江戸時代に読本に登場する武士であり、忍者とする物語上の人物とする説もありまして、本当のところはよくわかりません。さらに「石川五右衛門(いしかわごえもん)」はいかがでしょうか?このかたの方が有名かもしれません。あの「五右衛門風呂」の、その人です。

 この百地三太夫と石川五右衛門は、実は繋がりがあります(物語上の設定と思われますが)。石川五右衛門自体は実在していたとの文献が見つかっており、出生地もさまざまな諸説がありますが、この伊賀市にある石川という在所(伊賀市石川)もその一つです。五右衛門は安土桃山時代の盗賊で、豊臣秀吉の手勢に捕らえられ、文禄3年(1594年)京都三条河原で「釜茹で」の刑により煎り殺されました。

 百地三太夫とは、寛文年間に出版された「賊禁秘誠談」の中で、孤児であった五右衛門を育て、忍術を授け、後に五右衛門は三太夫の妾(めかけ)と妻を殺害、大金を奪って出奔したと綴られています。さらにさらに、大正時代の立川文庫では、三太夫は霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)の師にまで、盛り上がりを見せます。

 本当のところはよくわからない内容ですが、伊賀市の隣名張市に百地丹波守の屋敷として「百地三太夫屋敷」も存在しており、伊賀流忍者の如く、ミステリアスです。

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