起業5年目の窮地|委託契約の全滅
起業して5年目を迎えた2015年夏。私は娘を連れて自分の実家に帰りました。元女房(以下「Cさんと略」)との別居が原因です。
この環境の激変は、丸4年かけて築いた委託契約を全滅させ、私を窮地に追い込みました。
異常な子育て
ある日突然、Cさんは、小学生の娘の子育てを放棄して保険の外交員をはじめたのです。
私は、できるだけ打合せを減らし、自宅で娘の面倒を見はじめました。そして、はじめて気づいたのが異常な子育て環境です。
娘は小学4年生まで、母親の都合で友達と遊ばせてもらえず、学校と自宅の往復だけの生活をしていました。ほとんど家で過ごしているのに、TVも観せてもらえない。雑誌も漫画も買ってもらえない。お小遣いは0円で自分で買い物もしたことがない。家ではピアノの練習だけをさせられ、勉強もできない状態だったのです。
友達できたよ
娘はピアノの練習が嫌いでした。母親は演奏でミスすると掌を棒で叩いていたそうです。好きでもないピアノのレッスンを5年間も強制されていた事実に驚愕した私は、娘と話し合い、ピアノのレッスンを辞めさせ、塾に通わせました。
塾通いをはじめた娘は「お父さん。友達できたよ。」と、他の小学校に通う友達まででき、毎日、楽しそうに暮らしはじめたのです。
お父さん助けて!
ある日、私は打合せを終え、自宅の最寄り駅から家路を急いでいました。すると、スマホの呼び出し音が鳴ったのです。
「お父さん助けて!」
相手は娘でした。
私が留守中に、娘はCさんに、ピアノのレッスンを辞めたことで、怒鳴られ叩かれ、電話で助けを呼んだのです。
逃げろ!
私は電話で娘に「外に逃げろ! お父さん駅から家に向かってるから!」と叫び、家まで走りました。
逃げ出した娘は自宅近くのコンビニ前で私の帰りを待っていたので、無事に見つけて一緒に帰りました。そして、家に帰った私は、Cさんを怒鳴りつけ、二度と暴力を振るわないように約束させました。
別居、そして窮地へ
限界を感じた私は、娘を連れて自分の親元で暮らすことにしました。ずっと、自分に都合の良い子育てをしてきたことがバレたCさんは、あっさり別居を承諾。
転校手続きを終え、父と娘は、お婆ちゃんのいる千葉県の奥地に引っ越しました。
娘にとっては小学6年生の夏休みに突然の転校となり、折角できた友達ともお別れ。想像できないくらい辛かったことでしょう。
全ての委託契約が打ち切りに
ECコンサル企業、編集プロダクションと、主だった委託契約先に事情を説明し、私と娘の田舎暮らしがはじまりました。
と同時に、全ての委託契約が打ち切りになったのです。
家庭の複雑な事情と、東京まで片道2時間かかる田舎に引っ越したことが原因。企業研修の講師は、私が引っ越し後、残すところ2日間・1回の研修で、契約満了でしたので、更新しませんでした。
娘がいる
主な収入源を失った私は途方に暮れました。
それでも、娘はCさんから逃れることができ、自由の身です。私の留守中に暴力を振るわれることもありません。
『娘がいる』
何もかも壊れたのではなく、遅すぎましたが、起業したから異常な子育てに気づき、娘を助けることができました。
娘の未来を守れるように
落ち込んでいても何も解決しません。私は、田舎でも受けられる仕事を探しはじめました。
会社員時代も、起業してからも、ひたすら仕事だけをしてきた自分自身の生き方も改めて、娘の面倒をお婆ちゃんと一緒に見ながら働く。
目の前でお婆ちゃんとTVを観て笑う、娘の未来を守れるように “どんなことをしても、仕事をして、お金を稼ぐ” という初心に戻って行動を開始したのです。