レターセットの魅力~パピルスのボックスから、鳩居堂の文箱まで
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、ぱんだが好きなものを語ります(注:笹ではありません)。
レターセットが大好き
私は、いままでずっと、箱に入ったレターセットが大好きで、一度見て、気に入ってしまうと、買わずにはいられません。
自分でも、これは一種の病気ではないか、と思う程の執着を感じるのです。
物が紙でできている消耗品のため、値の張る物でも、支払い可能の範囲にあるので、今まで困ったことはありませんが、これが、金の延べ棒とか、ダイヤモンドのティアラだったりしたら、さぞかし困ったことになっただろうな、と思います。
ああ、よかった。
清少納言も紙が大好き
皆様も古文の時間に習ったように、清少納言は、紙が大好きで、上質な紙を手に入れると、それだけで、寿命が延びたり、嫌なことを忘れたり、ストレスが消えたりするような人でした。
当時は紙が貴重品で、滅多に手に入らない、ということもあったのでしょう。
いつの世も、稀少なものは、あこがれの対象になりますよね。
紙そのものへの愛着もあったでしょうが、彼女の場合は、その紙の上に、何かを筆で「書く」という行為に、喜びや達成感、これこそ私がしたいことよ、という彼女ならではの自己同一感があったものと思われます。
これは、嫌なことがあった時に、心を慰めてくれるものとして、紙だけではなく、上等な筆もリストに挙げていることからわかります。
上質な紙と上等な筆さえあれば、生きて行ける――それは、とりもなおさず、書くことさえできれば、生きて行ける、ということに他なりません。
私が本当に好きなのは
ところが、私の場合は、レターセットで手紙を書くのが好きなのではなく、レターセットそのものが好きなのです。
いや、正確に言えば、おそろいの便箋と封筒というだけでは、執着の対象にはなりません。
箱に入っている状態の、便せんと封筒、もしくはカードやシール、一筆箋等が好きなのです。
手に入れて、自分のものにしたくなるのです。
突き詰めていくと、怖くなってきました。
もちろん、使うことは使うのですが、見ているだけでも、楽しく、心地良いのです。
私の場合、箱に入っているレターセットを見ていると、脳内から快感を感じる物質が出て来るのではないでしょうか。
この脳内物質(と仮に規定しておきます)のため、私は外出した折など、つい文具店に立ち寄り、レターボックスや文箱のセットを探してしまうのです。
銀座で私が食い入るように見るのは、和光やミキモトのウインドウではなく、鳩居堂のウインドウの中の、便箋と封筒、季節の葉書、ワンポイントシール、一筆箋、文香などを、色鮮やかに取り合わせ、文箱にあしらった、ギフトセットなのです。
ただ、レターセットやカードセットは、欧米の文化から来た物のせいか、日本国内で気に入った物を探すのは、なかなか難しく、その上値段も高いものです。
そのため、文箱のセットは鳩居堂で買うことが多いのですが、箱入りのレターセットは、ハワイのパピルス(アラモアナ店、インターナショナルマーケットプレイス店は、去年2月の時点で、閉店セールをしていました)で買ったものが殆どです。
シールも大好き
もう一つ、自分でも異様な執着だな、と感じるのは、シールに対してのものです。
プラザに行くと、必ずシールを探してしまうのです。
ミセス・グロスマンの、一枚いくらのシールではなく、十数枚がまとめて袋に入っている、シールのセットが気に入って、随分と買いました。
コレクションでもする気なのか、と自分に問いただしたくなるようでした。
使う訳ではないのです。やはり、見ているだけでいいのです。
こんな風に、自分の欲望を持て余しつつも、脳内物質が命じるままに、箱入りのレターセットを買い集めて来ました。
好きで好きでたまりません。
見ているだけで、心が満たされます。
まとめます。
箱に入ったレターセットが大好きな私。
クレイン社のレターセットは、落ち着いた柄が多いですね。
キャロル・ウィルソンのカードセットは、華やかな花柄が好きで、様々な種類のものを持っています。
パピルスのものでは、蓋付きの、四角い箱に、カードや封筒やシールなどが、きれいに詰め込まれたものが、好きです。
文箱では、足立真瑚画伯の描いた紫色の小菊の模様の桐箱と、八重桜の柄の葉書用の桐箱がお気に入りです