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幼なじみ
かつて、あいつの家があった場所、
今は更地になっている、その土地の前に、佇んでいる人の姿が目に入った。
誰だろう、近所の人だろうか。
あいつの家が取り壊されることになったと、母から聞いたのは、ひと月前。
それまでは、あいつとその家族が引っ越して行ったあと、親戚だと言う一家がやって来て、住んでいた。
その一家も、子供の結婚やら、転勤やらで、とうとうその家を出ることになり、年期の入っていた家は、取り壊されることになったらしい。
工事に取りかかったら、あっという間だったわよ、と母が言っていた。
きれいな、更地になっているわ、と。
本屋に行ったついでに、ぐるっと一回りして、見に来た。
十年前、俺たちが高校二年に上がる、その直前の春休みに、あいつとその家族は、北海道へと引っ越して行った。
おじさん――あいつのお父さんは北海道の出身で、いずれは札幌に戻りたい、という希望を持っていたらしい。
一人暮らしをしていたお祖父さんが倒れたのと、おじさんの長兄に当たる人が、手広くやっていた事業を手伝って欲しいと言ってきたのが、ほぼ同時だったそうだ。
お祖父さんは、その後持ち直したが、もともと持病のあった兄さんの方は、すっかり弟をあてにして、かなりの厚待遇で、おじさんを迎え入れたのだ。
そんな大人の事情に、あいつは従うことしかできなかったのだろう。
「俺、引っ越すことになったんだ」
ぽつりと言った。
「北海道だって。札幌。随分遠いよね」
かすかに笑った。
「この学校も好きだし、卒業するまで、遼一と一緒に通えると思っていたんだけど」
「しょうがないさ。お祖父さんと伯父さん、二人いっぺんに、具合が悪くなったんじゃ」
「母さんは寒いところへ行くのを嫌がってるんだ。俺も寒いの苦手」
「馴れるよ、住んでいれば、そのうち」
あきらめていたのは、俺の方だった。
穂高にもう会えなくなるなんて、考えられもしなかったが、それでも、しょうがない、ということだけはわかった。
自分がどうしたいのか、まったくわからなかった。
だって、どうすることが出来たんだ、あいつは、穂高は、俺の気持ちなんか知らない。
俺のことを、近所に住んでいる幼なじみで、幼稚園から高校まで、学校もずっと同じだった一番の親友、としか見ていない穂高に。
俺、おまえのことがずっと好きだった、
なんて、どうやって言えっていうんだ。
だから、俺はあいつが遠くへ引っ越していくのを、黙って見送った。
あれから十年が経った。
長い。
あれから穂高には、一度も会っていない。
年に一度、年賀状を出すだけ。
俺たちは、互いに高校を卒業し、大学受験をし、合格して、進学した。
俺は大学を卒業して、就職した。
今は本社勤めで一人暮らし、たまに実家に帰って来る。
今日がたまたまそんな日で、両親がそろって外出するというので、送り出し、ただ家の中でぼんやりしているのも気が利かないからと、外に出たところだった。
十年経てば、色々なことが起こる。
大学では、サークルに入り、友達も増えた。
さばさばした女友達もできたし、一時期は彼女と呼ぶ存在がいたこともある。
ゼミとバイトとで忙しくしていたら、早々に振られてしまったが。
27歳になった今は、仕事にも慣れ、必要な勉強を続ける傍ら、自分の興味や関心のあることを追究する時間も持てるようになった。
昔の、高校生の頃を思い出すことなんて、滅多になかった。
それが、ここへ、穂高が昔住んでいた家の近くへ来たことで、一気に過去へと引き戻されたのだった。
立っている人の後ろ姿を見ながら、俺は道を渡った。
その人に近付く。
「遼一」
予感はあった。
まさかとは思ったが、現実はその通りだった。
振り向いたその人は、俺の顔を見るなり、俺の名前を呼んだのだ。
「穂高、おまえ・・・」
「やっぱり遼一だった」
にこりと笑った途端、高校時代の、あの穂高の顔が目の前の人の顔に重なった。
「そんな気がしたんだ」
「本当に穂高なのか?」
「もちろん」
再び笑顔になった、その顔を見て、俺は安堵した。
ああ、たしかに穂高だ、と。
立ち話も何だから、俺の家に行こう、と誘って、二人で歩き出した。
「更地になったところを見に来たのか?」
「それはむしろ偶然でね、実は、教授のお供で、学会に来てるんだ」
穂高が大学院に進学したことは、年賀状に書いてあったので、知っていた。
社会学の分野で、博士課程に在籍中だということも。
「今日は、特に聞きたい発表もないし、高校までこの近くに住んでいたんですっていう話をしたら、教授が、じゃあ、今日は別行動にしよう、と言ってくれて。
明日には、帰るんだけどね」
胸が詰まった。
会えたと思ったら、もう別れが来る。
隣を歩いている穂高をちらりと見た。
「だから、今日、偶然にでも遼一に会えてよかった」
「もし会えなかったら、どうするつもりだったんだ」
「あはは、本当にそうなんだけど、それでもいいや、と思ってね。
会える時には会えるだろう、と思って」
そうだ、こういうやつだった、確かに。
おまえは確かに穂高だよ。
家に招き入れ、コーヒーを淹れた。
「おじさんやおばさんにも挨拶したかったんだけど」
「俺から言っとくよ、おまえが元気そうだったって」
「うん、ありがとう、よろしく、ちゃんと元気だよ」
再び、にこりと笑った。
高校の校舎へと続く、長い登り道のわきに咲いていた、ジャスミンの白い花と、むせかえるような芳香。
一瞬にして眼前に描き出されたその光景が、穂高の顔に重なる。
今は冬だって言うのに。
やっぱり、俺はおまえが、
今でも。
いい思い出のはずだったんだがな。
でも、会えてよかった。
ひとしきり、昔話と、お互いの近況報告をしたあと、
穂高は、もう帰る、と言った。
学会の会場である国立大学の近くに、宿を取っていると言う。
夕食は、教授やその友人の学者たちと一緒にするように誘われているため、一旦、宿の部屋に戻りたいのだと。
駅まで送ろうか、と言うと、子どもじゃないし、道もわかるから大丈夫、と断られた。
じゃあ、と言い、穂高の背中が見えなくなるまで見送ってから、玄関のドアを閉める。
力が脱けて、崩れ落ちるように、膝をついた。
何か、とんでもなく貴重なものを、手のひらから取りこぼしてしまったような気がした。
吐き気がする。
このままじゃ駄目だ。
ようやく立ち上がって、
もう間に合わないかもしれないと思いながら、玄関のドアを開けた。
そこに、穂高がいた。
門のすぐ脇にしゃがみ込んで、
さっきの俺みたいに。
三歩で飛んでいって、穂高の腕を取った。
驚いたように見開かれた目を、
ずっと見ていたかったが、
それよりも、その身体に触れたかった。
穂高の身体を起こして、玄関の内側に引きずり込んだ。
膝と膝とがぶつかり合う。
穂高が思わずのけぞらせた肩甲骨に腕を回して、俺は自分の胸へと引き戻した。
背中を抱き寄せる両腕と、首にまわされた二本の腕とが引き合い、お互いに、しっかりと抱きしめ合う。
わずかの間、見つめ合ってから、唇を重ねた。
何度も、繰り返し、見つめては、キスし合う。
時を経た今だからこそ、お互いを求め合う気持ちは、いっそう激しかった。
髪に触れ、背中を撫で、指を握る。
お互いの体を離すことができなかった。
口づけに没頭して、周りが見えなくなる。
背中にまわされた腕が熱い。
からめた指がほどけない・・・。
理性が戻ってきたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
真っ暗になっていた玄関に灯りをつけ、鍵をかけてから、二人で歩き出した。
「ごめん、箍が外れた」
「・・・うん、俺もだよ」
しばらく黙ったまま歩いてから、俺が隣をうかがうと、
穂高は前を見ながら、顔に微笑を浮かべていた。
見られていると気付いたらしく、俺の顔を見て、こらえきれないように、笑顔になった。
「いいんだよ、遼一、これで」
「うん、そうだな」
それ以上のことは、二人とも言わなかったが、言わなくても、お互いにわかっていた。
過去に戻ることはできないし、あれが未来につながることもない。
さっき、あったことは、あの時だけのこと。
そして、もう終わったことだ。
この瞬間から、長い間の別離を経て、再会した、友人同士に戻る。
駅に近付くにつれ、通行人の数が増え、
駅前の通りに入ると、俺たちは一気に、にぎやかな買物客の中に取り込まれた。
駅前はクリスマスのイルミネーションで飾られ、これから来る冬のお祭りを待ち焦がれる人々の高揚感を思わせた。
「なあ」
「なに」
「おまえ、何か、欲しいものない?
クリスマス・プレゼントに」
駅の改札の前で、俺は穂高に尋ねた。
穂高はしばらく考えてから、にこりと笑うと言った。
「だったら、手を握って」
「手か?」
「うん、握手して。さ、ほら」
俺は言われるままに、差し出された穂高の手を取った。
両手で、穂高の手を包む。
あ、いけない、これでは、まるで。
「忘れない」
さよならを告げるかのような握手。
俺の気持ちなどわかっていると言わんばかりに、穂高はささやいた。
「大丈夫、忘れない」
うなずく俺に、
「また、きっと、会える」
そう言い残して、あいつは駅のプラットホームへと消えていった。
そうだ、また、いつかきっと、俺たちは会うことができる。
そして、その日が来た時、
おまえの友人として、相応しい男になっていられるよう、俺は生きていくさ。
あいつが消えた方角を見遣ったあと、俺は家に向かって歩き出した。
<了>
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