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三浦梅園とわたし③

さて、この辺りで、三浦梅園の研究をする学会、「梅園学会」と私との関わりについて、お話をしてみましょう。

「梅園学会」は今から48年前、1975年に誕生しました。
初代の会長は田口正治先生、梅園研究の大家です。

今、私の手許に、吉川弘文館発行の、『三浦梅園』という書物があります。
これは、『人物叢書』と題したシリーズの一冊で、その著者が田口正治博士なのです。

この本は、三浦梅園の人物を知る上でも、その思想学問を知る上でも、またとない良書です。
私はこの本をもとに、三浦梅園のことを学び始めました。
奥付には、「昭和57年3版発行」とありますから、私は1982年以降に、本書を手に入れたものと思われます。
その頃、私は大学の4年生、教育実習も終わり、卒業論文も見通しが立って、大学院の入試も済んでいたのでしょうね、その時分に、恩師のO先生から、梅園学会への入会を勧められたのではないかと思います。

ここで、O先生の話をちょっとさせて下さいね。
私が母校の女子大に入学したのは、1979年4月。
ところが、梅園学会の記録を調べてみると、翌年、1980年の4月に、梅園学会の事務局が、女子大学文理学部のO先生の研究室から、東京大学教養学部のO先生の研究室に移っているのです。

つまり、私が母校でO先生から直接講義を受けていたのは、たったの1年間だったのですね。
これは意外でした。
O先生とは、卒業後もたびたび電話で長話をしたり、読むべき本を指示されたり、長文の手紙のやり取りをしたりしていたので、もっと長い間、女子大に勤務されていたような気がしていたのです。
私が入学した翌年には、女子大を辞めて、東京大学の駒場校舎に移られていたとは。
それにしても、18歳から19歳までのたった1年、「陽明学」を習っただけの先生と、その後も交流が途切れなかったというのは、これはどうしてなのでしょうか?

ここに、三浦梅園が関わってくると思うのです。

1979年の第5回梅園学会は、私の母校の女子大で開催されています。
これは、梅園学会の事務局長を務めていたO先生の勤務先が、この年はまだ女子大だったからでしょう。
自分の勤めている大学ならば、会場の手配もし易かったからだと推測できます。
そしてO先生は、知人、友人初め、様々な人に梅園学会開催の告知をするついでに、女子大の正門前にある、行きつけのカレー屋さんでも、学生相手に宣伝をしたことでしょう。
私もそこのカレー屋さんにはよく行っていましたから、以下のような問答があったものと思われます。

(カラーンと扉の開く音。O先生がお店の中に入って来る)
「あ、O先生、こんにちは」
「先生、いらっしゃい。なんだい、猫子ぱんだちゃんはO先生のこと知ってるの?」(カレー屋のおじさんの声)
「はい。先生もここの常連さんなのですか?」
「そうですよ。僕、よくここに来るんです。そう言えば、大熊さんは僕の授業を取っていましたよね」
「はい。中国思想は、先生の『陽明学』にしました」
「陽明学は、女性には理解しやすいと思うんですよ。ところでですね、大熊さんは三浦梅園って知っていますか?」
「いえ、知りません」
「おかしいなぁ、共通一次試験を倫理社会で受けたのなら、教科書に出て来たはずですがね」
「あああ、申し訳ありません!私、すぐに覚えたことを忘れるんです!」
「まあ、それはともかく、三浦梅園というのは、江戸時代の哲学者ですよ。日本の思想家で真に独創的と言えるのは、彼くらいのものです」
「はい、すごい人なんですね」
「その通り。それで、今度大学で、梅園の学会が開かれるんですよ。誰でも参加できますから、大熊さんもぜひ出席して下さい」
「は、はい!」
「お友達にも宣伝して下さいね」
「・・・は、はい」

返事をしてしまった手前、私は梅園学会に出席したのでしょうね。
その後、先生が東京大学に助教授として移ってしまってからも、一度学会に参加すると、次の学会の案内が来るものですから、東京大学の教養学部(駒場)で学会が行われる年には、参加していたものと思われます。

そんな折に、先生は私が大学院に進学することをお知りになり、だったら賛助会員という、会費の安い学生用のコースもあるから、ぜひ梅園学会の会員にならないかとお勧めくださったのではないかと思うのです。

そして、三浦梅園のことを知るために、何よりの良書はこれだと、推薦してくださったのが、冒頭にご紹介した、田口正治博士著の『三浦梅園』であると、こういう訳なのです。

田口正治先生は、1978年に亡くなりました。
その後、梅園学会の会長は、代表委員と名前を変え、1989年から今に至るまでは、O先生が代表委員を務めています。

初めてお会いした時、まだ38歳だったO先生も、今や82歳です。
先生も私も同じ愛知県出身者。
関東地方で、数少ないドラゴンズ仲間として、固い絆で結ばれている私達ですが、次にドラゴンズが優勝する前に、O先生が田口正治先生のいらっしゃる所へ行ってしまわれたらどうしようと、最近はやや弱気になっております。
(先生ご本人は、現在とてもお元気です)

#創作大賞2023


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