私が住みたいのは、夏の沼津、歩く名古屋、本を読む日本橋
今は、流れるように、時が過ぎて行く。
朝起きて、朝ごはんを作り、食べた後は、歯を磨いて顔を洗ってお化粧をし、洗濯物を干して、会社へ行くために、服を着替えて家を出て行く。
帰って来て、晩ご飯を食べて、片付けをして、洗濯物をたたんで、お風呂に入って、髪を乾かして寝る。
次の朝、また私は起きて、目覚まし時計を止め、雨戸を開き、新聞を取り込んで、朝ごはんの支度に取り掛かる。
昨日と同じ一日が始まる。
それを数回繰り返すと、一週間が終わる。
よどみなく、時は過ぎて行く。
そして、その暮らしが、私はひそかに、いやだと思っている。
不満はないけれど、いやなのだ。
もっと、時間を一つひとつ、つかみ取るようにして、使いたい。
こんな、流れ過ぎるような、そんなものでなく、確かに自分の過ごし方だ、と言えるような暮らしをしてみたい。
自分の好きなように時間を使いたい。
私が時間のあるじになれる場所。
そんなところで、私はくらしたい。
朝は眠りから自然に目覚め、朝日を浴びるために、窓を開けたくなるようなくらし。
もう半世紀以上昔、夏休みになると、私と兄は、祖母や母に連れられて、沼津の大伯母の家へ泊まりに出掛けた。
そこは祖母の里で、家の前庭には、大きないちじくの木があった。
私たちは、その家の裏から、細い道を辿って、海へ泳ぎに行った。
夏の間は、毎日のように泳いだものだ。
大伯父と一緒に、釣りにも行った。
家の裏側、道いっぱいに、小さな魚が開きになって、びっしりと干してあった。
みりん干しである。
強烈な潮の香り。
魚の匂い。
昼食のあとは、二階の、よく風の通る座敷で昼寝をした。
飽きるまで、遊び続け、大伯母や祖母に呼ばれると、手伝いをしに、飛んで行った。
大伯母の、語尾に、「ずら」の付く遠州弁が、涙が出るほど懐かしい。
もう返って来ない、懐かしいくらし。
夏の間、私は沼津でくらしたい。
祖父の故郷は、佐久島と言った。
私は子供の頃、一度しか行ったことがない。
どこにある島なのかさえ、はっきりとは知らない。
佐久島へは、私は旅に行きたい。
祖父と一緒に、佐久島を歩いてみたい。
母が生まれ育ったのは、名古屋である。
それは私も同じ。
港の近くに家があったから、夜になると、汽笛が聞こえた。
漁港だった沼津と違って、名古屋の港は貿易港である。
港の近くには、税関や運輸会社の建物が並ぶ。
今は埠頭がよそへ移って、港は閑散としている。
代わりに、大きな水族館が出来た。
名古屋で住むなら、どこだろうか。
いっそ、しらみつぶしに歩き回りたい。
高校を卒業するまでしかいなかったから、名古屋を愛するわりには、名古屋の土地を知らない。
ひと月ごとか、一年ごとに、住む場所を変えて、そこから歩き回れる場所を歩いて、歩いて、土地と一体になれるまで、
私が生まれ育った場所のことを知ってみたい。
名古屋で、私は歩き回りたい。
父は五人兄弟の末っ子で、母と結婚し、婿に入った。
生まれ育ちは、東京の日本橋。
パン屋の息子だ。
母と結婚し、しばらくは、祖父が買い与えた落合の家に住んでいたそうだが、祖父の病気をきっかけに、東京で生まれた兄も一緒に、一家で名古屋に帰ってきた。
早々に、伊勢湾台風に遭ったそうだ。
父が東京で訪ねるのは、長姉の阿佐ヶ谷の家。
私から見れば、伯母の家だ。
不思議なことだが、伯父の家に行った記憶がない。
このひとは、商売を嫌い、パン屋を閉めて、公務員になった。
私が東京で住むとしたら、日本橋室町にあったという、父の生家に住んでみたい。
生前、父は、日本橋の駅から、自分の家まで、雨に濡れずに帰れる、と言っていた。
今は父の家はない。
何もかも変わってしまった。
時を遡ることができないのなら、せめて、日本橋にある一室で、私は本を読みたい。
東京・日本橋の家に住み、ゆっくりと本を読んでいたい。
夏の沼津、歩き回る名古屋、本を読む日本橋で、私は自分の時間を自由に操る、あるじとなる。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
タイトル画像は、yuka yoshinoさんよりお借りしました。
ありがとうございました。