良い「疲れた」と、悪い「疲れた」の違いとは?
こんにちは、ぱんだごろごろです。
タイトルに書いた通りですが、
日ごろ何気なく口にしてしまう、「疲れた」という言葉、この言葉には、
①良い「疲れた」と、
②悪い「疲れた」
とがあるのです。
つい最近、このことに気が付きましたので、今日は、このことについて、お話ししたいと思います。
「疲れた」は、悪いもの?
そもそもの前提として、「疲れた」という言葉には、ネガティブなもの、なるべく使わない方がいいもの、という共通認識があるように思います。
私の娘は、「疲れた」と言うと、『疲れたと言いたくなる状態』を引き寄せてしまうから、口に出してはいけない、と言います。
一言、「疲れた」と言ったが最後、次から次へと、やっかいな状況、山積みの仕事、終わりのない家事などが表れて、
ますます「疲れた~」と言わざるを得ないような状態に追い込まれると。
何だか無間地獄のような恐ろしさですね。
では、我が娘はどう対処しているかと言うと、
「疲れた」の代わりに、
「良くやった」「頑張った」と言うようにするのだそうです。
そう言われてみれば、どこかのお菓子屋さんでは、
社員さん同士の挨拶で、
「お疲れ様です」と言う代わりに、「お元気様です」と言っているのだそうです。
聞いた話ですから、本当かどうかわかりませんが。
ただ、「良くやった」「頑張った」「お元気様」、いずれにしても、
疲れたときに、ふと口をついて出て来るものではないのですね。
娘に言われて、「疲れた」と言いそうになるたび、あわてて、「頑張った!」と言うようにしていたのですが、何だか不自然なのです。
実際に、疲れたのだから、「疲れた」と言って、なぜいけないのか、
いくら言霊を信じる私でも、
そんなに「疲れた」を排斥しなくてもいいではないか、
と思うようになったのです。
だいたい、心底疲れたときに、別の言葉で言い換えようという余裕なんて、とっさに出て来ませんよ。
良い「疲れた」
そこで、「疲れた」と言葉にすることが、本当に人体に悪い影響を及ぼすものなのか、
自分が「疲れた」と言ってしまうたびごとに、検証することにしました。
すると、はっきりした結果が得られたのです。
まず、『良い「疲れた」』から。
前の晩、ぐっすり眠って、身体の調子も良く、積極的にテキパキと動いて、力の出し惜しみをすることなく、仕事に家事に、精を出したときは、
「疲れた」
と言うと、疲れが身体の中から外へと出て行って、すっきりとした気分になれるのです。
「疲れた」と口にすることで、疲れが出て行ってくれるのですね。
悪い「疲れた」
一方、『悪い「疲れた」』の場合は、
大したこともしていないのに、すぐに息が切れ、「疲れた」と口から出て来る、
実際には疲れていないのに、なぜか「疲れた」と言ってしまう、
訳もなく、もやもやした気分になり、足取りが重くなる、
と言った状況下で、「疲れた」という言葉が出て来るのです。
そうなると、「疲れた」という言葉と共に、身体の中に、疲れが溜まってしまうのです。
こういう「疲れた」の場合こそは、
「疲れた」と言ってはいけないのです。
と言って、頑張ったわけでも、良くやったわけでもないので、それらの言葉に言い換えることもできません。
こういう時は、
「疲れを取ろうね」
「身体と心をいたわろうね」
と、自分に語りかけるのがいいのではないでしょうか。
良い「疲れた」と、悪い「疲れた」の違い
実際には疲れていないのに、「疲れた」という言葉が出て来る時は、
肉体ではなく、精神が疲れているのではないか、と思います。
▼何かで我慢をして、それが自分でも気が付かないくらいの枷になってしまっている、
▼納得していないことを無理にのみこんで、何も感じていない振りをしている、
▼日々の忙しさにかまけて、自分の一番好きなことができていない、
▼妻(夫)として、母(父)として、嫁(婿)として生きているばかりの人生で、ひとりの人間としての時間が欲しい、自由が欲しい、
などなど。
こういった物を溜め込んでしまうと、身体の底に、澱のように沈み、
たまに、よく眠れなかったり、心配ごとができたりしたときに、
身体の中心部分に上ってくるのではないでしょうか。
精神的な疲れを感じた時には、「疲れた」と口にしても、疲れは身体の中から出て行ってはくれません。
そういう時には、一度、時間を取り、
自分にとって、一番大切なものは何なのかを、じっくり考えてみましょう。
一方、「疲れた」と口にしたときに、疲れが消えて、すっきりするなら、それは一過性の疲労であり、あなたはすぐに回復するでしょう。
あなたが、明日も元気に過ごすことができますように。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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