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#理解はしてほしいこと①

こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、山根あきらさんの企画に参加します。

募集要項

①「#理解はしてほしいこと」のタグをつける。
②400字~500字程度(日本語で書く場合)
③200words~250words(英語で書く場合は、日本語訳を添える。日本語訳は、500文字を越えてもかまいません)
④この記事を埋め込む(埋め込むことができない場合は、この記事のコメント欄へその旨をお伝え下さい)
⑤2022年8月28日(日)23:59[日本標準時]までに投稿。
⑥文体はエッセイあるいはエッセイ風に。(**どうしてもエッセイでは書けない・書きにくい、という場合は詩的な表現をしてもかまいませんが、なるべくエッセイで**)
⑦賞はありませんが、投稿記事の紹介および「山ちゃんランキング」マガジンに登録します。
⑧ひとり2作品まで。
(**日本語2作品、日本語1作品、日本語・英語それぞれ1作品ずつ、あるいは英語で2作品。無理に参加しなくてもO.K.😄**)

「必ずしも共感を求めてはいない。だけど、理解はしてほしい」

そんな想いをつづってみませんか?

私は、自分の携帯電話の番号を覚えることができない。

そう言うと、周りから不思議がられる。
覚えていないと不便でしょう、と。

確かに、最近、何かの登録をするのにも、一々携帯電話の番号を書く欄があって、その度に、携帯電話の電話帳を開いては、自分の番号を探すはめになり、不便なのは確かである。

しかし、覚えられないのだ。

携帯電話の番号と言うのは、ただの数字の羅列だ。
何の意味もないし、語呂合わせで覚えようとしても、語呂が合わない。
夫や娘は、意味のない数字を並べたものでも覚えてしまうが、私には、あいにくそんな能力はない。

思い出してみれば、一家に一台、電話があった時代、
外出先から、家に用事があるときは、何度となく掛けたから、
家の電話の番号は、そらで言えた。

ところが、携帯電話の番号となると、
自分が自分の携帯電話に、
一体いつ掛けるのだ。
どこから掛けるのだ。
掛けるという行為をしないので、必然的に、番号を覚えることもしない。

ところが、最近、電話番号を訊かれて、家の電話の番号を答えようとすると、拒否されるようになってきた。
確実に連絡の取れる番号をと、携帯電話の番号を言うように要求されるのだ。

携帯電話の番号、覚えなきゃいけないよね。
いけないんだけど・・・。

山根あきらさん、呆れられるかもしれないけれど、実話です。
理解してもらえるかなぁ。
覚えた方がいい、ということは、よくわかっているのですが、覚えられないのです。

もう一つ、書く予定でいます。
よろしくお願いいたします。

今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
お仲間、いらっしゃるでしょうか。
もし、よろしければ、スキ、コメント、フォローを頂けると、嬉しく思います。


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ぱんだごろごろ
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