#理解はしてほしいこと①
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、山根あきらさんの企画に参加します。
募集要項
「必ずしも共感を求めてはいない。だけど、理解はしてほしい」
私は、自分の携帯電話の番号を覚えることができない。
そう言うと、周りから不思議がられる。
覚えていないと不便でしょう、と。
確かに、最近、何かの登録をするのにも、一々携帯電話の番号を書く欄があって、その度に、携帯電話の電話帳を開いては、自分の番号を探すはめになり、不便なのは確かである。
しかし、覚えられないのだ。
携帯電話の番号と言うのは、ただの数字の羅列だ。
何の意味もないし、語呂合わせで覚えようとしても、語呂が合わない。
夫や娘は、意味のない数字を並べたものでも覚えてしまうが、私には、あいにくそんな能力はない。
思い出してみれば、一家に一台、電話があった時代、
外出先から、家に用事があるときは、何度となく掛けたから、
家の電話の番号は、そらで言えた。
ところが、携帯電話の番号となると、
自分が自分の携帯電話に、
一体いつ掛けるのだ。
どこから掛けるのだ。
掛けるという行為をしないので、必然的に、番号を覚えることもしない。
ところが、最近、電話番号を訊かれて、家の電話の番号を答えようとすると、拒否されるようになってきた。
確実に連絡の取れる番号をと、携帯電話の番号を言うように要求されるのだ。
携帯電話の番号、覚えなきゃいけないよね。
いけないんだけど・・・。
山根あきらさん、呆れられるかもしれないけれど、実話です。
理解してもらえるかなぁ。
覚えた方がいい、ということは、よくわかっているのですが、覚えられないのです。
もう一つ、書く予定でいます。
よろしくお願いいたします。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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