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“まちには多様性が必要”と



時間があるので西武線でどこか出かけてみようと飯能に行った。飯能についてはムーミンがいることしか知らない。飯能に対する解像度が低い。

少し歩いてみると、年季の入った木造家屋がいくつかあった。きっと個人住宅だ。一方、公共施設は色々建て替えられている。この、建築物の新旧のバランスがちょうどいい。心地いい。

まちには多様性が必要と、ジェイン・ジェイコブスが「アメリカ大都市の死と生」で提唱している。この「心地いい」感じが、多様性が必要ってことの一つなんだろう、と身体で理解する。



多様性。
建築物もそうだけど、多様な主体による多様な活動が行われること、それを自由に行える雰囲気があることが、まちに求められることではないかと考える。

再開発されたグラングリーン大阪を想う。まちにパブリックスペースをつくることの意義を想う。

「人類の歴史は土地の奪い合い」と、地面師たちのハリソンが話していた。大阪の一等地に商業施設かオフィスビルでも建てれば何億と手に入るであろう利益を想い、その後、改めてまちにパブリックスペースをつくることの意義を想い、それを決断したプロジェクトチームの方々の信念を想う。




グラングリーン大阪を見に行ったときの、水場ではしゃぐ子どもたちの様子を思い出す。
まちは、みんなのものだ。裕福な人しか歓迎されない(ような)東京の再開発に、自分は選民思想を感じてしまう。それは多様性を認めないまちづくりの仕方と換言できるであろう。そうやって再開発されたまちは、合理的できれいで一部の人が利用しやすいまちは、果たして良いまちといえるのか。


たまに立ち止まって考えるようにしたい。


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