本日が最終出勤。激動の3年半を振り返る
はじめに
2022年9月29日。今日が会社の最終出勤だった。
明日から私は5ヶ月間の休職期間に入る。
来年3月から復職するかもしれないし、そのまま退職するかもしれない。
今の会社は3社目。今までに2回転職している。
勤続12年。この会社で定年まで働くと決めて入社したはずだった。
でも、この3年半で自分を取り巻く環境が大きく変わった。
人生観が大きく変わったこの3年半を振り返ってみようと思う。
きっかけはウーバーイーツだった。
ウーバーイーツとの出会い
それまではずっと、生粋の会社員だった。
給与と賞与以外にお金が入ってくることなんて考えもしなかった。
副業という響きに憧れはあったけれど、何をしていいのかなんてわからなかった。
2019年2月
街中を「Uber Eats 」というバッグを背負って自転車を漕いでいる人をちょくちょく見かけるようになって気になった私は、配達員に登録してみた。
恵比寿にあったパートナーセンターに行って説明を受け、配達バッグを受け取った。
その日の夜、ドキドキしながらオンラインにすると1件目の配達オファーが入った。
ハンバーグ弁当を1.2km運んで配達アプリに表示された「682円」という報酬の文字(当時は今よりも配達報酬が高かった)。
会社員になって初めて給与以外で稼いだ感動と、「こんなに簡単にお金を稼げていいのか」という思いでとても興奮したのを覚えている。
いつでも好きな時に好きなだけできて、すごく簡単な仕事でゲーム感覚で楽しくて、しかも稼げる。
私は配達員の仕事にすっかり夢中になって、仕事終わりや休日に配達を楽しんだ。
今とは違って注文数はすごく少なかったから、1時間に一件も鳴らないことなんてざらで、快適に待機できる公園を探すのも楽しかった。
配達に行くときはいつも本を持っていって、待機時間は公園で読書して過ごしていた。
ある企業サイトとの出会い
ウーバーイーツ配達員をやっている友達は周りにいなかったので、紹介料をもらうためにネットで「ウーバーイーツ 紹介料」で検索してとある企業のサイトでキャッシュバックをしてもらった。
このサイトがキャッシュバックした後に「体験談を書いてくれれば追加で3000円払います」というので喜んで配達の体験談を書いた。
この体験談記事がサイトの運営さんの目に留まり、「なかなか読みやすい文章を書くので他の記事も書いてみてもらえないか」と連絡がきた。
ウーバーイーツの記事はもちろん、スキマ時間で働けるタイミーなどのアプリを使って様々な仕事にチャレンジして体験記事を寄稿した。
ティッシュ配りや皿洗いのバイトもした。
普段の会社員の時とはみえる世界が違ってとても新鮮だった。
毎日記事を書いて、その都度報酬をもらった。
配達もずっと続けていたので副業の収入がどんどん増えた。
「自分で働いたら働いた分だけお金が増える」という当たり前の体験は、会社員ではなかなか得られないものだったのですごく新鮮でのめり込んでいった。
この企業サイトさんとは今でも私のブログと提携して仲良くさせてもらっています。
発信用Twitterアカウント開始
2020年4月
企業サイトから「menuが都心部で配達サービスを開始したから稼働して体験記事を書いてほしい」とオファーがきた。
私が住んでいた地域は配達エリアに入っていなかったので、渋谷まで遠征にいってレンタサイクルを借りて配達した。
当時menuは「紹介コードを入力して登録し50配達するとお互いに25000円ずつボーナス」という破格の紹介キャンペーンをやっていたので企業サイトのコードを使って一部キャッシュバックしてもらった。
「私の紹介コードをどこかで拡散して、利用してくれた人にキャッシュバックをすればもっと稼げるのではないだろうか」と考えた私は古いTwitterアカウントをmenu紹介用に作り変えて、Twitterでの告知を始めた。
それが今のTwitterアカウントの元となった。
Twitterでのmenu紹介はかなり激戦で、キャッシュバック金額の価格競争が行われていた。どう訴求すればたくさんの人に見てもらえてしかも信頼してもらえるだろうか。アイコンやツイート内容など、Twitterについてもかなり勉強した。
ブログ師匠との出会い
2020年7月
menuがいよいよ大阪に進出するとなって、menu紹介戦争の舞台が大阪に移っていく頃、Twitterで一人の大阪配達員と出会った。
menuの進出予定エリアなどのお互い持っている情報をシェアすることでより効率的に紹介ができると、その人と手を組むことになった。
その人は自分のブログを立ち上げたところだった。
後の私のブログ師匠になる人との出会いだった。
2020年9月
フードパンダ、ウォルト、DiDiフード。
様々な外資系デリバリーサービスが日本に上陸してきて配達員紹介キャンペーンを始めた。
Twitterでの告知に限界を感じていた私は、ブログ師匠に勧められて簡単に始められるnoteでの告知を始めた。それがこのアカウントだ。
2020年12月
企業サイトへの寄稿で記事を書くこと自体は少し慣れてきていたので、noteでの発信はとても楽しかった。
Google検索から読者が流入してくる経験もして、私は夢中になって発信をした。
しかし、理由はわからないが12月に突如8割の記事がnote側にBANされ公開停止に。noteというプラットフォームに依存して発信することの怖さを知った。
カイトブログの開始
2021年1月
悩んだ結果noteでの発信を中止し、Word Pressでのブログ立ち上げを決心する。ブログ師匠がブログについて手取り足取り教えてくれた。
全くわからないことばかりだったけど、時間をかけて一つずつ学んでいった。
この年末年始の時間はほぼ全てブログ立ち上げに充てた。
ブログとTwitterのイメージキャラクターにするために、友人のイラストレーターにネコをモチーフにしたイラストを書いてもらった。
コロナ禍におけるフードデリバリー需要の拡大を受けて、ブログはみるみる成長していった。
紹介料以外にもGoogleの広告収入やASPと提携してのアフィリエイト収入などが発生しはじめた。
この頃menuやフードパンダ、フードネコなどは運営さん(広報さん)と直接やりとりをする機会が増えた。テレビや雑誌の取材依頼もたくさんきた。
私は今までに経験したことのない、発信者としての体験に夢中になった。
2021年5月
副業での収入が本業の収入を初めて上回った。
でも本業はすごく楽しかったし、本業をやりながらブログをやれているし、本業をやめる必要はないと思っていた。
私は更なるブログの成長を目指して、ブログ師匠に教わりながら検索上位に表示されるためブログパワーの向上に努め続けた。
本業の異動
2021年11月
本業の上司より「2022年3月からの異動」を内示される。
その時働いていた部署はとても居心地が良かったから正直不安な気持ちもあった。
ブログの収入はすでにその時本業収入の3倍近くになっていた。
会社員をやめるべきか。続けるべきか。
悩んだが自身がステップアップするために新しい経験は必要と考え、異動を受諾した。
2022年3月
異動先の部署での新しい仕事が始まった。
今回の異動の目的は「首都圏売上最下位の部署を私が生き返らせること」だった。
売上最下位なのにはやはり原因がたくさんあって、人手不足やコミュニケーション不足、営業力不足、コンテンツ魅力不足、など課題は山ほどあった。
新しい環境での仕事は想像以上に厳しくてストレスに溢れていた。
前の部署と環境が違いすぎて全く同じように仕事ができない。
一つ仕事をしようとするたびにやり方がわからないので誰かに聞いたり調べたりしないといけないのだが、「誰に聞けばいいのか」「どこをどう調べればいいのか」をまず誰かに聞くところから始める、という状況だった。
仕事にはある程度自信はあった。
でも思うように仕事が進まなくて、全くうまくいかない毎日だった。
やってもやっても終わらなくて、どんどんやらなきゃいけないことが溜まっていく。
やっとできたと思った仕事もミスがあって顧客からクレームをもらったり。
とにかく悔しかった。とにかく苦しかった。
この頃はブログの更新もほとんどできなかった。
会社を辞めることが頭をよぎる
苦しい仕事だが「今が一番苦しい時だ」「ここを乗り越えなくてどうする」と自分を奮い立たせて精一杯頑張った。
でも次第に食欲がなくなって、眠れなくなって、味覚が鈍くなって。
仕事中にイライラしたり涙が出てくることが増えた。
そうやって体に異変が起きてきた時に「これはまずいかもしれない」と感じた。
感情がコントロールできないのはうつ病の現れ。
私は昔うつ病になったことがあるので知っていた。
その時は家から出られなくなるまで頑張ってしまったので、回復に4ヶ月かかった。
今回は自分が完全に壊れてしまう前に自分でなんとかしないといけない。
私は会社を辞めることを本気で考え始めた。
まずは現状を改善するために上司に頼った。
「本当にしんどいんです」と泣きながら訴えて、人員を一人増やしてもらった。
抱えている仕事の量は少し減って楽になったけれど、もうその頃には仕事を全く楽しめなくなっていた。
何のために生きているのか
定年まで働こうと決めて入社した3社目の会社を辞めることにはすごく抵抗があった。今はブログ収入があるから会社ではお金のためだけに働いているわけじゃない。やはり本業は私の生きがいの一つだった。
新卒からずっとあった「正社員」の肩書きを失うことにも不安はあった。
今はブログで稼げているけど10年後に稼げているかはわからない不安もあった。
顧客や取引先、上司や同僚や部下に迷惑をかけたくない気持ちもすごくあった。
何より「異動してきて半年で辞める」ということへの悔しさがあった。
いろんな人に相談して、自分でも悩み続けた。
「私は何のために生きているんだろう?」
人は「幸せに生きるため」に生きていると思う
「幸せに生きる」ための手段は人によって様々で、仕事を頑張ることかもしれないし、趣味に没頭することかもしれないし、大切な人を守ることかもしれないし、ダラダラのんびり過ごすことかもしれない。
でも手段はどうであれ、人生の最終目標ってみんな同じ。
「毎日幸せを感じながら生きていくこと」だと思う。
そしてそのために最も大切で守らないといけないものは「自身の健康な身体」と「自身の健康なメンタル」だと思う。
そこまで考えた時に、今の仕事を無理して続けることは幸せに生きることとはつながらないと判断した。
上司に「辞めさせてください」と伝えると「あなたはこの会社に必要な人材だから辞めてほしくはないけど、あなたの意志は尊重します。でももし少しでもこの会社に残りたい気持ちがあるなら一旦休職という形にして退職するかどうかはその後決めてみませんか。復職の際には部署移動や業務内容変更など、会社ができることは何でもしますよ」と言ってくれた。
辞めると決断したもののまだ未練も少し残っていた私は、その提案を受諾し休職することにした。
人はないものねだりをする生き物だから、あれだけこの仕事はしたくないと言っていた私も家でブログばっかり一人で書いていたらまた働きたいと気持ちが変わるかもしれない。
一旦毎日の激務から離れてのんびりして、自分の心境変化や将来についてじっくり考える時間をとりたいと考えた。
全ての過去は、未来に繋がっている
3年半前にウーバーイーツと出会えていなかったら、企業サイトとの出会いもブログ師匠との出会いもブログを始めることもなかったでしょう。
そうしたら辞める選択肢が生まれず、今でも苦しい状況の中で会社員を続けることしかできなかった。
あのとき新しいことにチャレンジしていたから、今こうやって決断できた。
過去の自分の努力や経験は、全て一つ残らず今の自分に繋がっていると思います。
本当にこの3年半は人生観が変わる出来事が多くて、人生はエキサイティングで楽しいものだと思わせてくれました。
まだまだ、人生は自分次第でめちゃくちゃ楽しめる。
人生の大きなターニングポイントを一つ通過した気がします。
今後私の人生はどうなっていくか全くわからないけれど、何が起きても前向きに楽しんでいってやりたいです。
こんな長ったらしいおじさんの独り言を最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後とも仲良く絡んでくれると嬉しいです。
2022年9月29日 カイト