コロナウイルスは「Heel」なのか?①
みなさんこんにちは。気学Style西島です。
コロナウイルスの第3波が懸念される中、本日はひょんなことから我が家ゆかりのお寺を訪ねることとなりました。
世間は何かと騒がしいですが、お寺の本堂の静かで穏やかな空気の中、御本尊の前で誦経など聞いておりますと様々な思いに揺らいでいた心もリセットされるような心持ちが致します。
多忙な日々にあって、ふと、こうした1日が与えられるご縁に心から感謝です。
さて、今日は前の投稿の最後でも述べましたように「コロナウイルスは「Heel」なのか?」という視点で文章を書いてゆきたいと思います。
Heelとは
「ヒール」と読みますこの言葉、一般的には「かかと」という意味で用いられます。「ハイヒール」の「ヒール」ですね。
ですがこの言葉、別の業界ではスラング的に全く違う意味として用いられます。
その意味合いとは、「悪役」あるいは「卑劣漢」です。
プロレスが好きな方はこちらの意味が先に連想されたかもしれませんね。
特にアメリカのプロレスなどみておりますとそれが特に顕著によくわかるのですが、プロレスはスポーツというよりもショービジネスの要素がかなり濃いエンターテインメント的な存在です。
リングに上がるレスラーは、確かに格闘家ではありますが、日本で昔人気があった「キン肉マン」の漫画よろしくどのレスラーもしっかりとそのキャラクターが確立されています。そうしたレスラー(キャラクター)たちが戦うのを見るのも面白いのですが、このショーをより面白いものにしているのが「アングル」と呼ばれるストーリーです。
例えば、
レスラーAとBは親友(という設定)で、この2人がレスラーCに対して遺恨がある(という設定)ためリングの内外を問わずぶつかり、戦う。
というものがアングルというものになるわけですが、こうした対立ドラマを用意することで、試合がより盛り上がるというわけです。
実際のアングルは、それこそテレビドラマのように視聴者を飽きさせないように作られております。
そして「ヒール」とはこうした物語を盛り上げるために重要な位置づけとなる存在です。
ヒールがいることで、「悪 vs 正義」といういわゆる王道のストーリ展開を行うことができるのです。
物語において、悪が正義を虐げ、幾重にもわたる抗争の末にヒールが正義に無様に敗北するというカタルシスは、やはり人を惹き付けるのです。
ゆえにプロレスをみているとどこでも必ずこうしたヒール役の選手が存在し、興行を盛り上げています。
例えばアメリカで最も人気のあるプロレス団体においては、その団体オーナー自身がこのヒールになっています。
このオーナーもそこらのレスラーに劣らないほど体を鍛えていて実際にリングにも立てるほどなのですが、自分の気に入ったレスラーは依怙贔屓し、気に入らないレスラーにはそのレスラーにとってあえて不利な試合を組んで負けさせたり、自分の権力を盾に「お前はクビだ!」と言い放ってみたりと、とことんまで嫌われる要素をふんだんに盛り込んだヒールを演じています。
アメリカのこの団体においては、
「この忌々しいオーナーの鼻をいかにしてあかすのか」
というのが大きなアングルというわけです。
このように、改めてヒールとは、いけすかない悪者役ではありますが、物語にとっては必要不可欠な存在とも言えるわけです。
コロナと庚・辛
気学的な部分に話を少し戻してみましょう。
2020年から2021年にかけて、庚・辛と十干は推移してゆきます。
このコラムでもたびたびお伝えいたしておりますように、この2つの十干には物事を新しくしてゆく働きがございます。
庚、2020年の流れ…すなわちこれまでの流れを引き継ぎながらも、悪しきを改めアップデートする変化の流れ。
辛、2021年の流れ…すなわち古い枝を苦痛を伴いながらも払って変化を求められる流れ。
「庚・辛によって巻き起こる大きな時代の変革期」という物語の中にあって、コロナウイルス、あるいはこれに関する騒動は出現すべくして現れた象徴的なキャラクターであるように思えてなりません。
変革機の示す通りに、コロナそのもののよって私たちの暮らしは少しずつ、ですが大きく変わってまいりました。
そして今、「変わってきたその先」での変化がまた起きてきているように思えます。
いくつかその例を見てみたいと思います。
タイの反政府デモ
前回のコラムの最後に述べましたタイでの反政府デモ。
最も裕福な王族と言われるタイの国王は一年の多くの時期を自分の好きなドイツで過ごし、そこから優雅に政務を行なっています。
しかしながらもちろん国民はこれと同じ程裕福というわけではありません。更に政権にも不満はたまっています。
ですがこれまで経済がまわっている間はなんとか不満も押し留めてタイの国民は過ごしてきました。経済がまわっているからこそまだなんとか不満も抑え込んでやってきてこられたと言えるのかもしれません。
ですが、コロナでその経済すら危うくなってまいりました。
そこでいよいよ人々の不満が爆発したというわけです。
タイにおいてコロナは、王族・政治への不満をなんとなく覆ってうやむやにしていたベールを取り払い、燻っていた問題を改めて白日の元に晒し出したと言えるでしょう。
タイの王族や政治は自らの悪しきを排除しアップデートできるでしょうか。
それとも、国民から「切り払われる枝」として切り払われてしまうことになるのでしょうか。
ここに至って、コロナはタイの経済に打撃を与えることによってタイという国に「これからいかにあるべきか」という大きな問題を突きつけたとも言えるでしょう。
これはある意味タイにとってはより良い国に生まれかわるチャンスでもあります。
電通の、社員→個人事業主化
さて国内に目を向けますと、日本では電通が社員230人を社員から個人事業主として扱いを変える方向性を打ち出しており、賛否いろいろ取り沙汰されております。
いわゆる「withコロナ」の時代の働き方にあって、「通勤」の必要性が薄いことが少しずつわかってきています。(もちろんその方の仕事の形態にもよりますが)
また、得意先との商談も、会社によってはリモートで行う機会も増え「得意先まわり」という言葉の定義も変わってきている会社もあることでしょう。
そうした背景において「社員」とはどういう存在たりえるかを考えたとき、こうした電通のような考え方が出てくるのは理解できます。
例えば実際、家などでリモートワークをしている時の勤怠管理はこれまでの通念では対応のしようがないところが多分にあるでしょう。
業界によっては「社員」の定義は変化を迎えております。
コロナを受けて今後これに類する方針はまだ出てこようかと思いますが、こうした在り方の変容は、興味深いことに雇用主たる会社にも、被雇用者である社員にも大きな変革を求めることになりそうです。
つまり、会社としてはいかに適切に「withコロナ」に対応すべきかという状況の中、旧態依然とした「仕事」の概念から脱却して進化できるのかという変革があります。
新しい時代に対応するためには相応の投資や考え方の変換も必要です。
ただでさえ景気の悪い中での新しい投資、
時には「頭のかたい古株の役員」という枝を払う必要もあるかもしれません。
こうしたことを行うのは時として苦難であることでしょう。
一方社員にとっても、新しく出てきた「働き方」という考え方の中、
「会社に通っていれば給料はもらえる」
という考え方から脱却する必要があるかもしれません。
先に述べた電通の個人事業主扱いのお話は、社員個々の姿勢によって大きな格差をもたらすことでしょう。
意欲・能力のある社員にとっては、この変化はチャンスになり得ます。
実際はどの程度の自由度があるのかは分かりませんが、個人事業主と社員では自由度が違ってくるのではないでしょうか。
ある程度会社とのパイプを保ちながら、もし副業的なこともできるとなれば様々なチャンスは増えてきそうです。
ですが、「会社に行けば給料をもらえる」という思想の社員には厳しい話に見えることでしょう。
会社、そして社員、その共々にコロナは
「今後いかにあなたは進化してゆくのか?」
という問題を突きつけているように見えます。
ここまで大きな話題を持ち出しておりますが、こうしたことは気がつけば私たちの生活の随所に見られるのではないかとも思います。
実際に皆様の周囲ではどのようなことが起きているでしょうか。
ぜひ注意深く観察してご覧いただきたいと思います。
…庚から辛へ宇宙が移ろいゆく中、コロナウイルスはそこにどういう位置づけで存在しているのでしょうか。
次回、「コロナウイルスは「Heel」なのか?②」としてまとめと考察を行ってみたいと思います。
どうぞお楽しみに。
次回の更新は11月23日です。