![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32447640/rectangle_large_type_2_566a66d3e87c4c070782a975fc1a0041.jpg?width=1200)
二軍に自らをカテゴライズすることでぬるま湯に浸かり続けた日々
今日は「に」の日。
写真は二匹の爬虫類。
どこかの国の動物園で撮りましたが、ちょっと忘れました。仲良しですね。
さて、
二軍に自らをカテゴライズすることでぬるま湯に浸かり続けた日々
などと仰々しいタイトルをつけていますが、今日はちょっとズルい自分についての話です。
昨日の「な」の記事で中学時代の事を書きましたが、中学時代の私は、とにかく目立つことは危険なことだ。という意識で生きていたので、クラスの中でも部活でも、決して派手な言動をしないように心がけて毎日を過ごしていました。
とは言え、中学一年になってすぐ、翌日のクラス委員決めのホームルームで、委員長に立候補するように担任から電話で依頼された時、委員長は目立つので副委員長ならやります。と引き受けた事も、自分では目立たない行動のつもりだったので、もしかするとそもそもの基準がズレていた可能性はあります。
ズレている可能性はあるにせよ、当時私が心がけていた、目立たないための行動がいくつかあります。
例えば授業への参加は、ひたすら待ちの姿勢で臨むこと。挙手して発言するなどもってのほか、当てられた時だけ答える。宿題は決して忘れず、授業にきちんと出て学校は休まない。でもガリ勉はしないといったことです。
また、一年生の時、私のクラスだけ他のクラスと校舎が異なり、美術室や視聴覚室などがある別棟にあったのですが、そこは教室を一歩出るとヤンキーのたまり場でした。
そのため、休み時間にうっかり廊下でモタモタしていると、掃除道具で野球をして遊んでいるヤンキーの先輩からインネンをつけられる恐れがあるので、即自分の教室に戻るようにしていました。
ほかにも、部活は絶対にサボらず、一日も早くルールを覚えるため、全く興味のなかったプロ野球を観ること。制服や体操服は着崩さないこと。外出先でも先輩の存在に自分の方が先に気がつくよう目を配ること。などなど、自分の決めたルールにがんじがらめの日々を送っていました。
この涙ぐましい?努力の甲斐あってか、よくも悪くも目立つことなく、何事にも落ちこぼれもしなければ飛び抜けた実績もないまま平穏に時は過ぎ、中学二年生になりました。
二年生ではクラスが変わったので、しばらくの間様子を観察していると、大体クラスのメンバーというのは、三種類に分けられるのでは?ということに気がつきました。
一年間、プロ野球を見ることで、ソフトボールのルールを勉強してきた私は、クラスを一軍から三軍に分けて考える方法を編み出したのです。
まだスクールカーストなどという言葉のなかった時代です。
≪一軍≫
強いヤンキーや美女、ぶっちぎりで部活で業績を上げている生徒(一年生からレギュラーなど)、頭がよくてスポーツも出来るコミュニケーション能力高めの明るい生徒たちが所属
≪二軍≫
ヤンキーになりきれないパシリ、頭がよくてスポーツも出来るがややオタク、勉強だけ出来る、またはスポーツだけ出来るなどの非バランス型、または勉強も見た目もコミュニケーション能力も普通な生徒たちが所属。
≪三軍≫
勉強もスポーツも出来ない単なるオタク。または見た目がイケてないオタク。コミュニケーション能力が終わっているオタクの生徒が所属。
自分で考えた分類なので、自分の所属は勝手に決められます。もちろん私は二軍です。なぜなら目立たないから。
この分類方法をクラスのメンバーに浸透させるために、私は野球部の力を借りることにしました。
同じグループの野球部の生徒に教えると、面白がって瞬く間にクラスに広がりました。
と言っても、三軍に分類したメンバーには伝えられることはありませんでしたが。
一軍に分類された美女やヤンキー、明るい生徒たちはまんざらでもない様子で、二軍に振り分けられた(私が勝手に分けているのですが)生徒は生徒で三軍ではないことに胸を撫で下ろすという様子でした。
自ら二軍宣言をすることで、私はクラスの中で真ん中ぐらいという立ち位置をより磐石にし、目立つ努力をしないための努力を極めていきました。
勉強も、スポーツも、それ以外の活動も全て、情熱を持ってやった思い出が全くなく、やらされていることを必死にこなすだけの、無為な時間を過ごしていたように思います。
こんなカテゴライズなど、一軍になれない自分を勝手に作り出した三軍を見下すことで、ぬるい安心感を得るための下らない幻想でしかありません。
しかし、大人になったあとも、ずっとこの考え方は私のなかにしつこく根を張っていて、いまだに人の立ち位置を一軍から三軍のように分けて見てしまうクセがあります。
ただ、中学時代と違うのは、ジャンルやタイプで分けても、分断しなくなったことは成長と呼べるかも知れません。
完全に出来ているかと問われれば、心もとないのですが、あの人はああいうタイプの人だから、付き合わない。ではなく、ああいうタイプの人と何とかうまくやっていくためには、どこで折り合いをつければよいのか。と考えられるようになったと思います。
また、自分と違うタイプの人とあえて付き合うことで、昔よりはモノの見方や、考え方の多様性を受け入れられるようになってきたかもしれません。
特にオチもない話ですが今日はこれで。
ではまた明日。
いいなと思ったら応援しよう!
![木賀 ちお🐧](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/38817060/profile_e569325d929b0ba02b47f338e67c992b.jpg?width=600&crop=1:1,smart)