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派遣会社に転職し未来への希望を失いそうになった話

今日は「は」の日。
写真は鳩と愉快な仲間たちです。うみねこ?カモメかな?

さて、

派遣会社に転職し未来への希望を失いそうになった話

あなたは転職したことがありますか?
note界隈の転職の記事をチラ見すると、華やかだったり、頭良さそうだったり、難しそうだったりするようなテーマが多い気がするので、もしそういう記事だと思ってうっかりここにたどり着いてしまった人には、多分この記事は役に立たないですよ。と先に言っておきますね。

今までに私は4回の転職経験があり、現在5つ目の会社で働いているのですが、今日はひとつ前の仕事についてのお話です。

前職は人材派遣会社の事務で、派遣社員の給与計算や、入退社手続き、経理などを担当していました。一応正社員ではあるものの、転勤を伴わない地域限定社員という身分で、基本的にはオフィスにいて、外出先はハローワークと銀行だけという毎日でした。

担当の仕事はそれほど肉体的にキツいということもなく、職場の人たちはみんな親切で、本当に良くしてもらっていたと思います。また、給与は高いわけではなかったのですが、希望を失うほどではありません。

営業担当や、採用担当、現場監理担当の社員はそれぞれクライアントや、面接場所、現場などに日中出かけているので、外出先からオフィスに戻って来たスタッフから、その日あった現場の出来事を聞かせてもらうのが常でした。

私がいたのは、会社の中でも工場系の部署だったので、増産による一時的な人手不足などを補うため、クライアントへ人材を派遣するというのが主な仕事です。

派遣社員として登録している人たちは、男性も女性も、若者も中年も、既婚の方も独身の方も、友達同士もカップルも、高学歴の方もそうでない方も、履歴書に書ききれないほどの職歴がある方も第二新卒のような方も、とにかく様々でした。

たいてい、工場というのは、街中の便利な場所にあることは少なく、郊外の不便な場所にあります。

そのため、工場の近くに借り上げたアパートなどの物件を寮として用意し、派遣社員として登録した人たちにはそこから工場に仕事に行ってもらうというケースがほとんどでした。

また、寮は家具や家電つきで、希望者には寝具などをレンタル出来る制度もあり、はじめからライフラインも整っていて、赴任後すぐに生活が始められる環境になっていました。

さらに、大規模なクライアントの場合は、専任の社員がついて、寮から工場の送迎や、車を持たない人達のために、大型スーバーへの送迎なども行っていました。

慣れない土地で、赴任者が安心して仕事が出来る環境を整えるため、沢山の社員たちが関わります。

例えば、求人広告を見て大阪で面接を受けた人が派遣登録し、静岡県の工場で働くことになった場合は、こんな感じです。

大阪の面接担当者が、静岡の工場の管理社員に採用を伝えると、大阪の管理社員は、登録した人が無事に赴任できるよう、引っ越しや、移動のためのチケットの手配を行い、静岡の管理社員は赴任者の家族構成に合わせた物件探しを行います。時にはペット可の物件を探す場合もあります。また、すぐに住めるよう部屋を整えます。

必要な備品の用意、健康診断の手配、制服や靴のサイズ確認、技術指導など、普通に赴任させるだけでも、山のように仕事があります。

また、無事に赴任したあとは、勤怠管理だけでなく、日々の細々した相談に乗ったり要望に応えたりするのも大切な仕事です。

工場系の派遣会社に登録している人は、色々な会社を渡り歩く人も多く、より待遇のよい派遣会社へと移ってしまうので、派遣会社も必死です。

派遣会社が絶対にやらなければ、他の会社に登録者を取られてしまうと言われるほど重視している制度があります。

それは給与の前借り制度です。
働いた時間に応じて、月5万円ほどを上限として、給料日前に受けとることが出来るのです。

私はこの派遣会社で働く前は、自分自身が別の会社の派遣社員として事務の仕事をしていたのですが、そんな制度のことは聞いたこともなかったので、おそらく工場系の派遣会社あるあるなのではないかと思います。

初めて給与計算を担当したとき、派遣社員の8割ぐらいの人がこの制度を使っていたことに心底驚きました。

制度を利用している人たちは、給料日の支給額では足りなくなって、途中で前借りしてしまうという自転車操業から抜け出せなくなっているようでした。

それでも、前借りが出来るぐらいきちんと出勤していればそれだけ信用がある人ということですので、全く問題ありません。

しかし、中には可能な限りの前借りをした挙げ句、突然寮から姿を消して、二度と現れない人も珍しくありませんでした。失踪するだけならまだマシな方で、中には寮の備品を盗んで消える人もいました。

そのほかにも、前借りしたあと、寮に引きこもってしまい出勤しなくなって、社会保険料などを差し引いたら、給与がマイナスになってしまう人などもそこそこいます。

また、どの派遣先でもうまく行かず、全国を転々としている人も沢山いました。

私の主な外出先であるハローワークへは、入退社の手続きのために行くのですが、失踪による退社処理が毎週二~三人はいたように思います。

せっかく雇用保険の手続きをしても、翌月には所在不明となって退社の手続きに行く。いつもいつもそんなことの繰り返しでした。

もちろん失踪した人たちには、それぞれ何かしらの事情があるに違いありません。

私は派遣社員として工場で実際に働いたことも、寮生活もしたことがない上に、登録している人とほとんど会う機会もなく、履歴書の写真と、タイムカードでしか知らない人たちなので、詳しい事情もわかりません。

ただ、私側から見ている世界として、管理社員はお金に困った派遣社員の人に食料をスーパーで買って渡したり、時にはお金を貸したりすることも珍しくありませんでした。

そうやって管理社員が一生懸命にサポートしても、どんどん入れ替わっていく人を、私は右から左に流していくだけで、何も生み出していないように思え、これになんの意味があるのだろうと感じるようになっていきました。

大量の派遣社員を生み出すことになった、この国のことが嫌いだったのかもしれません。

一生懸命働いても、誰にも何も告げずに急に消えたくなる人があとをたたない国に明るい未来なんてないんじゃないか。
毎日そんなすさんだ気持ちで、失踪した誰かの話を聞いていました。

これ以上ここにいると、日本人でいることも嫌になってしまいそうで、ついに退職を決意し現在の5社目の会社へと転職したのでした。

今日はここまで。
ではまた明日。











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