社会をより良い場所にするために起業する
子どもは、自らが生まれてくる環境の何ひとつを選ぶことができない。しかし、残酷なことに、その選択不可能な要素が子どもの将来を大きく左右する。
誤解を恐れずに言うなら、生まれてくる環境が“アンラッキー”であった子どもは、スタート時点で足枷を与えられ、“ラッキー”な子どもと同じスタートラインから走らなければならない。さらに、その足枷は早めに取り除かなければ徐々に重くなり、取り返しのつかない遅れを生むことになる。
こうした現実を考えると、僕は“ラッキー”側の人間だ。
そう気づいたのは、恵まれた家庭環境がなければ到底払うことのできない入学金を親に負担してもらい、イギリスの大学に進学したときだった。親が資金を工面し、ギリギリの状況で進学を決めた経験を通じて、「家庭の経済状況によって選べる進路が限定され、それが将来を左右するのは不平等ではないか」という疑問を抱くようになった。そして、教育格差や子どもの貧困問題について学び始めた。
しかし、この疑問に対する答えは、二次情報を調べるだけでは解消できなかった。そのため、大学を休学し、児童養護施設や子ども食堂を訪れ、実際の現場で自ら確かめることにした。
その結果、環境が原因で、僕のように「やりたい」と思ってもチャレンジすらできない、もしくは「やりたい」とも思わない(思えない)“アンラッキー”な状況に置かれている人々が、社会には大勢いることを知った。
例えば、小学校低学年の頃から施設で暮らし、18歳(児童養護施設の退所年齢)で施設を出た後も親元に帰れず、いきなり一人で生活しなければならない子ども。親が無職で精神病を患い、その看病をしなければならない子ども。虐待の後遺症で精神的な問題を抱え、他人との関わりが苦手な子ども。これらは、僕が実際に見聞きした現実である。
このような子どもの貧困問題や施設の現状を知るたびに、「自分はどれだけ幸運な環境に生まれてきたのだろう」と痛感する。そして同時に、「自分のように運が良く、それに気づいた人が行動しなければ、今の社会は良くならない」と強く思うようになった。
「知行合一」という言葉がある。これは、「知るということは、行動と一体でなければならない」という意味である。たとえば、社会にとって悪い行いを「悪い」と知っている人は、その行いを止めるために行動しなければならない。その悪い行いを認識していながら何もしないのであれば、本当の意味で「悪い」とは思っていないことになる。
僕は、社会において、自分の力ではどうにもならない足枷を抱えた人々が、平等に支援を受けられない現状は間違っていると考える。だからこそ、この状況を変えるために非営利団体を起業し、社会をより良い場所にする。
続く>>