粛々と一つのことを継続し、大事を成すには何が必要か。(週末日記#22)
一つのことを絶えずやり続けることは思っているよりも難しい。
僕は特に、幼い頃から「飽き性」と周りから言われることがあって、好奇心の赴くままに何事も始めるが、他の新しいことに目が行ったり、困難な状況に阻まれたりするとやめてしまう傾向にあった。それは全てが悪いことだとは思わない。人はあらゆることを経験しなければ何が好きで、得意かを知ることができないからだ。一つのことに執着しすぎるのもよくないと感じている。
しかし、僕はそのバランスがあまりにも偏ってしまっている。それを如実に自覚し始めたのは、高校を卒業後、時間があったためいろんなことを始めたが途中で断念してしまうことが多い時だった。その頃からこの欠点を自覚し始めた。
その欠点を自認して矯正するべく、この記事では、努力を継続しその先の目標を確実に達成するためには何が必要か、ということを考えていくこととする。あくまでも思考のプロセスただをひたすらに書くだけなので、合理的でない部分が多少あると思うがそこはご了承いただきたい。
継続の重要さ
まずは、なぜ継続が重要であるのかということを考えていこうと思う。思考のプロセスとしては「重要さを知る→継続の難しさを知る→解決策を考える」といった具合だ。
「千里の道も一歩から」、「雨垂(あまだ)れ石を穿(うが)つ」これらの諺はすべて「継続は力なり」の類義語である。意味としては、どんな大きなことも小さな努力を長い間継続してこそ成し遂げられるということだ。
さらに継続の重要さを物語っている人物を例として挙げるなら、農民から日本の天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉だろう。
戦国時代の階級は絶対的なものであり、農民が天下人になるなどというのは信じられない話だった。最初は信長の下で雑務をこなす足軽(雑用係)として働いていたが、次第にその才覚を認められ、戦場での功績を挙げることで出世していき、最終的には、信長亡き後に天下統一を成し遂げるまでに至った。
信長の雑用係をしていた頃の秀吉は靴を温めることが直接、才覚を認められることにつながるとは思っていなかったと思う。だが、長い間続けていたことでチャンスが転がってきてそれをモノにすることができた。
この秀吉の話が物語っているように、継続は、それが目標に直接繋がっていようが間接的であろうが、意志を忘れずに続けることで回ってくる機会の数とその確実性を増してくれるのだと思う。
これにもう一つ重要さを加えるとしたら、継続という能力は才能がない人でも得ることができることだ。世の中にはあなたよりも才能がある人は五万といる。これは紛れもない事実だ。だが、その才能に勝る(もしくは同等になる)ことができるのは継続でしかないと思っている。そのために必要な具体的な方法は後々記すつもりだが、備わっている才能とは関係なく、誰もが持つことができる最強の武器であることは間違いないと感じる。
まとめると、継続は「機会を与えてくれる要因になること」と「誰もが得ることができる、才能に勝る武器となること」の二つの利点を持ち合わせているので重要だと言える。
継続の難しさ
重要だとわかっていても、継続をできない人は(僕も含めて)極めて多い。だからこそそれを持っていることで優れた能力の一つになる。例外を除いてほとんどの人が備えている能力(例えば歩行能力)の価値なんていうのはゼロに等しいのと同じだ。
しかし、先ほども述べたように、継続はそこにある障壁の乗り越え方さえ理解できれば誰にでもできると思っている。そのためにその障壁を理解することから始めたい。
大きく分けて二つある。一つ目は「時間的、体力的余裕がなくなってしまうこと」、二つ目は「初志を忘れてしまい道中でやる気がなくなってしまうこと」の二つだ。
一つ目は時間管理能力に関係する。一定の期間続けて物事を行うことは膨大な時間と体力を有する。その配分を間違えると時間的にできなくなってしまったり、備わっている体力以上の無理をしてしまい、精神的、肉体的に継続不可能になってしまうことも稀ではない。
二つ目は時間が経つにつれて何を目的にしているのかということを忘れてしまい、モチベーションが上がらず、やめてしまうことだ。人はゴールが見えないことを淡々とこなすことはできない。思考能力がそれを妨害するからだ。機械や動物のように何も考えずにこなすことができれば目標なんてものはいらないが、そうはいかない。「この行動に意味はあるのか」、「なんでこんなことに時間を奪われているんだっけ」と考えてしまうのが人間だ。
大きく分ければこの二つが継続を妨げる主な原因だと思う。これを解決して粛々と物事を継続するにはどうすれば良いか、次の章で考えていきたい。
継続のためにするべきこと
時間的、体力的な限界を迎えないためにはどうするべきか
時間も人の体力も有限だ。有限である以上、それを効率的に使うことが必須であることは言わずもがなだろう。
これを解決するためには時間管理能力を磨くこと、これに限る。時間管理能力とはタスクをこなすために、どのような周期、時間、労力で目標を達成することができるか、ということを管理および調整する能力だ。
ある程度の知能レベルのある人なら(得意不得意はあれど)ほとんどの人が備えている能力だ。継続のためにはこの能力が長けていればいるほど良い。
さらに実践的なことを言うならば、時間管理において重要なことは「逆算すること」と「自分の体力を把握すること」だ。
目標を定めたのなら、その達成のために必要なことと現状とのギャップを把握して、それに基づいて、どのくらいの周期と期間で継続をするべきか、を定めなければならない。
しかし、ここで自分の体力を誤って定めてしまうと体力的な限界を迎えて継続できなくなってしまう。そのためには、過去の経験などを参考にして定めるのも良いが、より確実なのは初めは余裕を持って小さく始めることだ(英語でStart smallという)。
人は何かを始める時が一番熱力が高くなる傾向にあるので、自身の体力を過剰評価しすぎたプランを練りがちだ。その結果「三日坊主」と言われるような人になってしまう。
もしあなたが、必ずできると確信しているプランであってもそれより一段階低いモノに設定することをお勧めする。時間や量を途中で増やすことには何も害はないが、減らすことになった場合、辛くてそうしているのでその継続自体を「苦」と認識してしまっているケースが多い。減らしたところで苦であることは変わらない。そうならないためにも低い設定から徐々に上げていく方が確実だ。
例えば、ランニングであるなら、三日に一回家の周りを一周、英会話であるなら、一日5分だとかそういった具合だ。
肝心なのはその継続をなるべく早い段階で「苦」と認識しないことだ。
常にやる気を保つためにはどうすれば良いか
「初志貫徹」僕はこの言葉が好きだ。最初に立てた志を最後まで何があっても貫くと言う意味だ。
初志貫徹するために具体的にどんな対処が必要か、考えていきたい。
やる気やモチベーションと言うのはあらゆる要素によって引き起こされるものである。周りからの評価、プライド、憧れ、お金、愛情など数えきれないが、それらはすべて継続に対する目的によって定まる。だがその中のどれも永続的なものはない。人の考えは必ず変化するからだ。
人は全く同じ環境で生きていくことはまずない。その環境の変化は人の考えや思考回路をも変える、すなわち人が生きていく中でいくつもの異なった考え方を持つことになり、それが志にも影響するということだ。そう考えると常に同じ志を持ちながら物事を継続することは不可能ということになる。果たしてこれは正しいのだろうか?
主観的な見解が混じっているかもしれないが、これは半分正しくて半分は正しくない、というのが最近の所感だ。
半分正しいと表したのは、人の考えは絶えず変化していくので全く同じ志を永続的に持ち続けることはできない、ということは正しいと思うからである。
しかし、半分正しくないと表したのは、全く同じ志は持つことができないがストレスを容認しながらも半強制的に、目標達成までは継続することは可能だと感じているからだ。
継続の目的は目標の達成にある、と仮定すると志は永続的である必要はない、ただその目標までの期間が長ければ長いほど、志の有効期限の影響が大きくなるだけの話だ。
したがって、前提条件を加えて問題を再定義すると、途中で志が変わってしまう中でも目標達成までやる気を保ち継続するためにはどうすれば良いか、ということだ。
そのためには「ストレスの容認」と「今に集中することの訓練」の二つが解決の方法になると感じる。
一つ目のストレスの容認というのは、継続の途中で志が完全にではないが変わってしまってやる気が下がり、継続を苦に感じたとしても、そのストレスを堪えて「目標を必ず達成する」ことに貪欲になることで継続できるということだ。
これは精神論に聞こえるが、完全にそういうわけでもない。
個人的な経験に基づいて話すと、ある程度ストレスを耐え続けているとそれがいつの間にか苦でなくなるケースが多々ある。人はストレスを避けたい生き物なので感じ方も無意識的に変化するのだと思う、いわゆる悟った状態になるとそのあとはだいぶ楽に継続できるようになる。
したがって、絶え抜くということは精神論だけでなく、意外と理屈に適った解決法であると感じている。といってもストレスはストレスだ。ある程度の苦労をしなければ大事を成し遂げることはできない、というのが世の真理なんだろう。
二つ目の、今に集中するというのは、言い換えると、過去や未来のことは一切考えずに次の一歩にだけ全力を注ぐということだ。人は過去の失敗や未来の不安からネガティブな感情が生み出されるので、それをできるだけ避けなれば雑念によって継続が難しくなってしまう。
例えば、100kmマラソンの大会に出場しているとして、1km地点で「あとこれを99回繰り返せば終わる」と考えても想像もできない距離なので、不安が込み上げてくるだけだろう。それは体力を消耗し余裕がなくなるにつれて大きくなっていく。メンタルはパフォーマンスに非常に大きな影響を及ぼすことは長距離のレースに出てみた気づいたことだ。
話が逸れたが、長く辛いことを成し遂げるためには今現在、次の一歩だけに集中することが重要だ。それを鍛錬するためには、メディテーション(坐禅)や長距離走なんかもいいと思う。坐禅であれば一つ本を買って読んでみたり、YouTubeで説明してくれている方に習ったりするのが良いだろう。
まとめると、継続のためにやる気を保ち続けるには、 1)途中で「なんか違うかも」と思っても継続を目標にして、そこから来るある程度のストレスを容認することと、2)それらを耐え凌ぐために今だけに集中することの鍛錬が必要であることの二つが重要であるということになる。この二つさえ意識していれば、たとえ時間管理能力がなくて、体力的に追い込まれても目標に向けて粛々と努力できるはずだ。
締め
ここまでつらつらと持論を展開してきたが、継続することの難しさはこんなに単純化できるはずがない。人によって感じることも、性格も違うので、自ずと継続することの難易度も変わってくるからだ。
しかし、どんな人でも共通するのは、何かを達成したいという志を立てたらまずは始めてみること、加えて「継続すること」へのある程度の貪欲さを捨てないことだと思う。そうしているうちに自分なりの解決方法が分かっていき、最終的にはどんなに辛いことも粛々と何事もないかのようにこなすことができる人物になれるはずだ。この記事が少しでもその参考になっていれば幸いだ。
では、また次の記事で。