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週末日記#34(2024年12月22日)

今週は学生ボランティア団体の限界、寄付の定義、慈善に対するイメージの三つ。


学生ボランティア団体の限界

自分が所属する某国内大学の学生ボランティア団体の運営活動を通して、学生だけで運営されている団体の活動には一定の限界があると感じた。

活動の限界が生じるのは 1)メンバーの入れ替わりが早いこと、その上、2)活動にコミットしてくれる人を探すのが困難であることによって、運営の時間的、労力的コストがかかりずぎるためだと推測する。

まず、学生のみで運営される団体は、大学生であれば、基本4年に一度全てのメンバーが入れ替わることになる。入れ替わりが激しいため、本来必要な時間と労力よりも、さらに多くを団体が負担しなければならない。

すなわち、学生だけで団体を運営していくには一般的に推測される以上の人材または、一人当たりの活動に割く時間を確保しなければならない。

しかし、大学における学生ボランティア団体というのはサークルなどの延長線に過ぎず、真にその団体のビジョンやミッションに共感してコミットしてくれる人を集めることは難しい。人は集まってくるものの、短期間で活動を辞めてしまうことで、団体のターンオーバーが早いことが特徴だ。

よって、採用を急ピッチに進めて、活動の規模の拡大に執着しすぎてしまうと、採用がうまくいっているタイミングで考えたスケールの計画と、実際に長くコミットしてくれる人の数との差が徐々に広がってしまい、最終的に人数不足、活動の過疎化によって事業の縮小、あるいは事業を畳まざるを得ない状況に陥ってしまう。

肌感覚ではあるが、実際、このような流れを辿って実質活動停止をしている学生団体は国内に多く存在すると感じる。

対策としては以下の二つが考えられる。

一つ目は、採用を慎重に行うことだ。

学生団体は採用のノウハウを理解しておらず、来るもの拒まずで基本的に全ての学生を採用してしまっているケースは少なくない。それが、サークルなどであれば問題ないが、社会貢献を目的とした、団体外部の人を巻き込む活動であるなら、採用には慎重になる必要がある。さもないと、前述したように、中途半端に人を巻き込んだ状態で、事業を畳まなければならないケースに陥ってしまう。

二つ目は、団体に継続的に関わりたいと思う、活動以外の間接的なインセンティブを設定することだ。

金銭的なインセンティブが最も好ましいのかもしれないが、収益性が乏しい学生団体ではそれは現実的ではない。

他に候補となりうるのは、その団体に所属することによって、人とのつながりを提供あるいは継続させてあげられる仕組みを作ることだ。

これは学生団体に限らず、あらゆるコミュニティに対して言えることだが、人がある団体に所属し、そこでの活動を継続したいと思う大きな要因の一つは、人との繋がりである。活動自体にやりがいやモチベーションがなくとも、同じ団体に属する同僚や友達と話すため、もしくは、刺激的な出会いを求めるために、その活動を継続する人は少なくない。

例えば、飲食店のバイトを考えてみてほしい。中にはその仕事自体にやりがいを感じている人もいるだろうが、それを長く続けているほとんどの人が同じバイト仲間や社員さんとの会話や、日々の関わりが楽しいことがインセンティブになり、続けているのではないだろうか。

このように、交流の場を提供する仕組みを団体内に作ることは、彼、彼女らの仕事へのモチベーションを上げると共に、在籍期間を伸ばす効果的な因子になる。

特に学生団体は、会社や社会人が運営するNPOなどに比べて、アットホームな場所作りを比較的簡単に行えるだろう。採用の段階で団体の活動自体にコミットしてくれる人を見極めることが難しいのなら、内部に、人が離れていかない仕組みづくりに注力するべきだ。

以上の二つだけで学生団体の限界を全て解決できるわけではないが、少なからず、持続可能なものにはなると感じている。もし学生団体の運営に携わっている方がいればぜひ、試してみてほしい。

いくらやっていることが壮大であっても、それが続かなければ意味が無くなってしまうので、学生ができる範囲で、とにかく粛々と団体を維持することが大事だ。

寄付の定義

先日、「日本の寄付を科学する」という本を読み始めた。後に単体で読書感想のnoteを書く予定だが、印象に残った部分をこの日記で小出しにしていこうと思う。

私たちは、寄付をしたいと思う団体・組織を自由に選び、寄付をすることを通じてその団体・組織の事業や活動を後押しし、「この社会問題を解決したい!」、「こういう世の中になってほしい!」という意思表示をすることができる。その意味において、寄付は投票や投資に近いアクションといえる。

坂本治也著「日本の寄付を科学する」より

これを読んだ時、寄付というのはお金に余裕がる人だけがする慈善行為、すなわちお金が余っているからする消極的な行為ではなく、むしろ、自分が望んでいる社会を実現するための積極的な行為でもあるということが分かった。

しかし、多くの日本人は「こんな社会になればいいのにな」と意見は持つものの、それを実際に行動に移すことが少ない。寄付だけでなく、選挙の投票率を見ればそれは如実に表れている。

慈善に対するイメージ

これは内閣府の「社会意識に関する世論調査」においても証明されている。この調査では、「日頃、社会の一員として、何か社会のために役立ちたいと思っている」と答えた人は64.3%であった。すなわち、日本人は心のうちでは、寄付などの社会貢献への希望と必要性は抱いているものの、多くの人がそれを行動に移すことができていないということになる。

では、何が行動を阻んでいるのか。

寄付に関していうと、寄付を集める慈善団体に対する信頼感の欠如がそれを阻んでいる。関西大学経済・政治研究所自助・共助研究班の「日本の市民社会に関する意識調査2020」をもとに作成されたデータによると、「寄付を集める慈善団体」を信頼していないと回答した人は81%にも昇る。これは国会議員やマスコミへの不信感に次いで高い。

しかし、面白いことに「寄付を集める慈善団体=NPO」であるのにも関わらず、NPOを信頼していないと回答した人は50%であった(これも十分高い数値ではあるが)。ここから推測できるのは、「団体が寄付を集める」という行為自体に対して、強いマイナスのイメージを持っているということである。

その理由としては「寄付したお金がどのように使われるのか分からない」、「そのような団体に寄付することが、自分が望んでいる社会の実現にどう繋がるのかが掴めない」などがあるだろう。

これらのデータを加味すると、日本において、寄付を集め、それを分配している団体は、これまで以上に「どんな社会の実現のために寄付を集めているのか(ビジョン)」を明確化し、さらに、実際に宣言した通りにお金が効率よく分配されているのか(透明性)を寄付者に示すことで、より多くの寄付を集めることができるだろう。

現在の日本で、海外のように積極的な寄付を普及させるためには、より「ビジョナリーで透明性の高い寄付団体」が必要なのかもしれない。


週末日記について

この記事は、筆者が一週間のうちにあった出来事を振り返り、反省し、今後に生かすために書いている日記です。当たり前のように過ぎていく日々をじっくりと考察する時間を設けるために、これを書き始めました。自分のために書いている日記ですが、少しでも誰かのためになればと思い、noteにて公開しています。反応を頂けるとモチベーションが少し上がります。

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