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週末日記#31(2024年12月2日)

今週は、伝わりやすいプレゼン作成術、夢や希望を持てずにいる子どもに必要な支援、考えすぎず、実行するの三つを振り返る。


伝わりやすいプレゼン作成術

先週、ランニングの最中に以下の二冊の本をAudible(本を聞けるアプリ)で読了した。

これらの本は、単に会社などで行うプレゼンテーションの知見だけでなく、日常的に自分の考えを他人に分かりやすく伝える方法についての有益な情報が書いてあったので、それを忘れないようにここに書き残しておく。

まず、前者の紫色の本に書いてあったことで印象に残ったのは、「論理的であるかどうかは、話を聴く側(以下、リスナー)が判断する」ということだ。論理的な説明というのは、話が順序立っていて、リスナーにとって理解しやすい説明のことだ。よって、話す側がいかに論理的に話していると感じていても、聞いてる側が理解できなければそれは論理的ではないということになる。

すなわち、論理的に話すとは難しい言葉を使って早口に話すことと想像されがちだが、むしろその逆だ。使う言葉とその順序を相手に合わせて選び、最も分かりやすい方法で伝えるということである。

この本では、とあるコンサルタントの某企業との打ち合わせでの失敗が例として挙げられていた。彼らは、多数の横文字を含んだ資料を使い、数時間かけて事業案を説明したが、顧客は少しも理解ができていなかった。これはコンサルタントが、顧客の立場を考えず、自身の価値観だけで、間違った解釈の"論理的な説明資料"を作成してしまったことが原因として指摘されている。このように、専門用語を使って論理的"感"を演出しても、それがリスナーに響いていなければそれは論理的とは言えないのである。

二つ目の灰色の本では、この補足として、プレゼンを作成する前にリスナーの研究、すなわちどんな人に対して説明・説得を行うのかを事前に知ることが重要だと書かれている。これをする前に、資料の作成から始めてしまうと、使う言葉や内容のレベル感が定まらず、それをカバーするために全ての情報を詰め込んでしまい、プレゼンが長く退屈なものになってしまう。

プレゼンは簡潔で明瞭なことが最も重要だ。覚えておかなければならないのは、パワーポイントなどの資料はあくまで"補足資料"であり主役であってはいけないということだ。昨今のプレゼン資料はいかに多量の情報を1ページにキレイに盛り込むかが評価ポイント勘違いしていることが少なくない。しかし実際は、不要なものをできる限り削り、いかに簡素で明瞭な資料を作るかが重要だ。そうすることで、最も伝えたい箇所だけが強調されている、聞いてる側にとっても理解しやすいプレゼンになるからだ。

分かりやすく物事を伝える能力を培うために、日常で起こりうる些細な提案であっても、この点を重視しようと思う。

夢や希望を持てずにいる子どもに必要な支援

僕は、夢や希望がなく将来に悲観的な子どもが少しでもこの社会から減るために色々な活動に参加しながら、その解決策を日々模索している。その活動の一環として、NPOの立ち上げを計画していて、ある団体との打ち合わせを通して感じたことがあった。

それは、今まで家庭環境などにより将来に悲観的な子どもに、夢や目標を持たせてあげることが、その直接的な解決策になりうると感じていたが、それは非常に難しいことであると同時に無責任であるのではないかと感じたことだ。そう勘違いしてしまっていた理由は二つある。

まず、他人の心を変えることは容易ではないということを見逃していた。親や兄弟のような、いくら近しい中であっても他人の気持ちを変えることは、(年齢と比例して)難しくなっていくと感じる。例えば、医者の親は彼、彼女らの子どもを医者にさせようと子どもの頃から地道にその準備を行う。しかし、いくらその準備が思った通りだとしても、必ずしも子どもが医者になりたいと思うかというと、そうではない。むしろ、逆効果になりうる場合が多々ある。

次に、夢や目標を持つことが必ずその子どもたちの幸せにつながると感じていたことだ。実際、夢や目標がなくても人生を楽しく歩んでいる人も、それがあっても不幸と感じている人もいる。すなわち、子どもが自分の人生について悲観的であることと、夢や目標の有無は必ずしも相関しないということだ。それを、夢を持つことが正義かのように子どもに押し付けるのは非常に見当違いな行いだ。それに気づくことができていなかったのは反省すべき点であると同時に、この気づきを得ることができた機会の実現に協力してくれた二名に感謝する。

このような理由から、自分が考えていた解決策は根本から間違っていたと気づいた。

では、そのような子たちが少しでも、満ち足りていると感じられる人生を送れるようにしてあげるために、大人たちは何ができるだろうか。

単なる仮説の一つではあるが、子どもたちがどんなきっかけであれ、自発的に何かをしたい、もしくは解決したいと思った時に十分な支援を提供してあげられる体制を整えておくことがそれに値すると感じている。具体的には、相談できる相手及び場所の提供、資金、教育などが常に子どもの手の届く範囲にあって、それを認知していることが重要だと感じる。

この仮説をもとに、自分に何ができるのかまた考えを深めていこうと思う。

考えすぎず、実行する

上記したように、先週、自分にできることを再検討する上で熟考に熟考を繰り返した。しかし、人の知能で考えることから得られる知見は、行動による実体験から得られるものとは比べ物にならないくらいに小さいということは承知の上なので、もうこれ以上は考えないようにする。

この思考と実行の繰り返しをいかに早く回すかが、何かやってみたことがないことを始める際に重要なことのような気がする。

特に、それが事業である場合に常に考えることは:
1) 得意なこと、
2) 誰もやっていないこと(もしくはやっていても規模が小さいこと)、
3) スケールができることの三つだ。これらさえ押さえておけば大きなミスを犯すことはないと信じている。

「百考は一行にしかず」(完全な造語)精神で粛々と諦めず続けていこう。


週末日記について

この記事は、筆者が一週間のうちにあった出来事を振り返り、反省し、今後に生かすために書いている日記です。当たり前のように過ぎていく日々をじっくりと考察する時間を設けるために、これを書き始めました。自分のために書いている日記ですが、少しでも誰かのためになればと思い、noteにて公開しています。反応を頂けるとモチベーションが少し上がります。

表紙写真:2024年11月、塔ノ岳登山中の男性 | Luke

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