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毎年インフルエンザになる男と呼ばれた話

毎年インフルエンザになる男と呼ばれた話

俺はインフルエンザには弱い。
2025年、今年、インフルエンザが流行している。怖い、怖い、怖い。と、思っている。
ワンシーズンで、かた違いのインフルエンザにかかると大変だ。

昔の職場で、毎年インフルエンザになる男と、呼ばれたことがある。
インフルが流行る時期になると、同僚に今年はいつ休むんですか?、と、
嫌味を言われたことがある。
その人の顔の表情から、半分冗談なのだとは理解できるのだが、シフトで働いていると、
自分が休んだことによって、誰かが休日出勤することになる。
それはお互い様と言えば、そうなのだが、毎年恒例ともなると、嫌味の一つも冗談ながらも、言いたくもなるであろう。

俺だって毎年インフルエンザになりたくてなっているわけではない。そう言い返したい。
とはいえ、実績が実績だけに何も言い返せない。すいませんね、ご迷惑をおかけしてとしか言えない。
俺だって望んでインフルエンザに漏れなくなっているわけではない、
出来れば、漏らしてほしいものだと思っている。
神様お願いしますと言いたい。
神に願い事を頼むのに、こんな言い方で態度が悪いからなのだろうか、
毎年インフルエンザを、お見舞いされてしまうのかもしれない。

神に対する態度が悪いことには、我ながら思い当たることがある。
それは気が向いた時にしかいかなかった初詣だ。
東京に来てからは特にそうだったりする。

そもそも基本的な参拝の作法が分からない。恥ずかしながら自信がない。
だから、神社に行く前に、YouTubeの参拝作法の動画を見て、やり方を確認したりしてから行ったりしている。
事前に学習し、練習して、これで大丈夫だと、自信をつけてから参拝している。

しかし、1度だけ神へのとんでもない冒涜をしたことがある。
ここだけの話だが、お賽銭を忘れたことがあるのだ。
最近は現金を使うことが少なくなったから、参拝するのに小銭を準備しなければならなくなった。
その準備は出来ていたのだが、神社に出かける前に、部屋にうっかり忘れたのだ。

何年か前の、1月2日の深夜2時に、近所の神社に一人で初詣に出かけた。
神社には、誰もいなかったので、誰にも気が付かれなかったのだが、
参拝中にポケットを探ると、入れたはずの小銭がない、更に財布もないことに気が付いた。うっかり部屋に忘れたのだ。
俺は、しまったぁぁぁと、思った。
ここで急に、途中で逃げるように帰るのも変なので、仕方なく、苦し紛れにエアーー賽銭をして、小銭を入れたふりをして、その場を取り繕ったのだ。
さすがに、これではいけないと思い、俺は、すぐに部屋に戻って、
お賽銭を持ってきて、再度、ちゃんと参拝をした。
多分、これがいけなかったのだ。神への冒涜だった。神は絶対に見ていたに違いない。
見逃してくれよと、言いたかったが、神はきっと、
「あの人間、名前はなんだ、」
かっつぇというのか、そうか、かっつぇめ、あんなことしやがって、と、神はそう思ったに違いない。
えぇぇーい、毎年インフルエンザを、お見舞いしてやろうではないか、と、そう、思われたに違いない。
あの正月のとし以来、俺は、毎年インフルエンザになる男と呼ばれることになってしまったのだ。

とは言え、実際は、二年連続でインフルエンザになっただけだった。
なのに、周りの人の、俺の印象は、毎年インフルになって休む人だった。
それ以前はどうだったのか、と、いうと、毎年なっていたわけではなかった。
たった二連連続で、インフルエンザになっただけだった。
それだけで他人は毎年なる人というレッテルを張ったりする。
人との印象とはそういうものだろうと理解した。
その話だけで、完全に信じた人に、毎年なるのは大変ですねと、
言われたことがある。まぁそうなるだろうなぁ、噂を信じた人は、
仕方がないなと、俺はそう思った。

それから、毎年、正月に初詣に行くようになった。
元日が無理なら、それ以外に、行ける日に行くようになった。
参拝作法も、ちゃんとできるようになった。
そのせいか、毎年インフルエンザには、かからなくなった。 
俺は、完全に、汚名を返上することに成功したのだ。

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