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宝くじには魔物が住んでいる    (エッセイ 創作大賞 参加作)


「宝くじ」には、魔物が住んでいる。
時々そう思うことがある。
その魔物が持つ力は人間に「当たるといいな」「当たったらどうしよう」と2つの妄想を見させることだ。
当たって困るなら,何故、人はそれを買い求めるのか全く理解に苦しむ。
しかも、その喜びのような苦しみを一度に大勢の人に与えてた魔物は、
人間のその様子を天からでも、ゆっくり眺めてニヤニヤとほくそ笑んでいるわけである。

私が生まれて初めて宝くじを買ったのは中学の頃、
雪が降る12月年末の事だ。
駅前の宝くじ売り場で一等100万円の宝くじを1枚だけ勇気を出して
自分の小遣いで買った。
「1枚だけで本当に売ってくれるのか?」悩みながらその売り場の前を電車のように行ったり来たり何往復かした。
やがて勇気を出して「一枚ください」と言って、
ちょっと恥ずかしかったが普通に買えた。
父はギャンブルを嫌う男だった。
その息子が中学生でギャンブルしてしまったという気持ちになった。
宝くじが見つかったら何言われるか分からないと思い
机の奥底に隠していた。
当選が確定するまでの数日間、「100万円が当たったらどうしようか?」という悩みを抱えた。
銀行の口座は持っていないので受け取った100万円をやはり自分の城である机に隠すことに決めた。
色んな物を自由に買うと親におかしいとバレると思い、
どうやって使おうかと悩んだ。
授業中も時々ニタニタしていた気がする。
魔物だ、この時から私の心の中に魔物が住んだのだ。

学生の頃のバイト先で魔物に勝った人の話を聞いた。
その人が当選したわけではなく知り合いの話だった。
なんでも当たった事を誰にも教えずにほとんど使い切ってから
「じつは当たったんだ」と聞かされたという。
「おかしいと思ったんだよ ボロい車しか乗ってなかった奴がさ」
「ピカピカの新車買って乗り回してさ」
「なんだか知らんけど羽振りがいいわけよ」
「毎日のように飲み歩いたりしてさ」と言っていた。
当たると困るなんてないけど誰にも教えないものなのだなと思った。
当選金額にもよるのかもしれないけど。

社会人になって、
故郷に帰省した時に仲良かった同級生Mと宝くじを買いに出かけた。
市内で買うのかと思ったら、Mに「ちょっと付き合え」と言われて、
Mの車で岩手県のとある場所の宝くじ売り場まで走った。
どうやら高額当選した当たる場所だそうだ。
Mと私はそれぞれ数十枚買った。
車で往復3時間くらいの旅だったように思う。
その時もそんな二人をきっと魔物はほくそ笑んで見ていたことだろう(笑)

時を経て、私は今、東京に住んでいる。
当選確率の高い場所が沢山ある。
馬券のように全部買って当てるわけには行かないが
宝くじなら車や電車で行ける範囲の宝くじ売り場に行って購入して
当たる確率を上げることはできる。
地方でも当選確率の高い場所はある。
そういう場所で買う。
「当たるといいな」「当たったらどうしよう」という
魔物の思惑通り二つの妄想を味わうのだ。
それは宝くじ本来の醍醐味のように思う。

私は今年の夏の宝くじを買った。
あの日から住み着いた魔物に、いつの日か勝とうと思っているからだ。
当たったかどうか分かるのは、この創作大賞の締め切り以降のことだ。

その結果は、教えない(笑)


Photo:かっつぇ
words:かっつぇ


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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