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人生というループから抜け出すな

つい昨日、Twitterで読んだ創作漫画の内容が頭から離れない。

無題

主人公である高級デリヘル嬢が一流企業に勤める会社員と六本木のホテルでいつものように性行為をし、お金をもらって帰ろうとしたその瞬間シャワー中のシーンに戻った。
疲れも、もらったはずのお金も、空腹すら感じていなかった。
時計を見るとホテルに到着した時間と同じ。

夜が明けないのだ。

120分経過するたびに何度も何度も同じ時間・場所に彼とループすることを確信した主人公は、自分の欲を満たすために有意義な時間を使った。
使っているはずだった。

そして、ふと、気が付いた。
どれだけ欲を満たしたとしても120分後には喪失感を感じていることに。
誰の思い出にも蓄積されない虚しさを感じていることに。
そして自分には「未来がない」ことに恐怖すら覚えるようになった。

もしかしたらこの生活から一生抜け出せないのではないか。



体調を崩せば完治するまでに一定の時間が必要であること、食べすぎると簡単に太ること、お酒を飲みすぎたら二日酔いになること・・・さも当たり前のことだが「未来がある」というだけで幸せと感じられるのだ。

わたしは東京に引っ越してきて早1ヶ月が経とうとしている。
大学を卒業し、社会人となってからは毎年桜をみると時間が異常に早く感じるようになった。
桜をみても何もドキドキやワクワクな感情は生まれないけれど。

ある程度のものを知り尽くし、ある程度の感情を経験してきた私にとって新しい刺激物に触れる機会が少なくなっているのだろう。

小さいころ、わたしは幼稚園が好きで好きでたまらなかった。
日曜日は休園日だということを嫌がり、カバンを一日中離さなかった程だ。
今でもその頃の記憶はハッキリと覚えており、すべてがキラキラに溢れていて、時には泥だらけになったこともあった。

自転車に乗れるようになってからは、ワクワクが加速を増していった。
あの頃は本当に自転車さえあればどこにでも行けると思っていたのだ。

現在、日々、比較的楽しく過ごせているほうだと思う。
友だちや会社の同僚にも恵まれ、食べたいものを食べることができ、着たいものを着ることができ、たまには奮発して美味しいケーキを2つ買って帰ることだってできる。
しかし、あの頃のキラキラやワクワクは消えてしまった。慣れてしまったといったほうが正しい気がする。


今までの自分の人生もループしているのも同然なのではないかと考えた。

ループしていることに慣れてしまい、どれだけ欲を満たしてもどこか寂しくて、思い出が少しずつ記憶から消えてしまう虚しさを感じながら将来(未来)に対する不安が生まれている、まるで前述の主人公のようだ。

ループするまでの時間が、120分だろうが24時間だろうが365日だろうがやりたいことはやりたいときにするべきなのである。


そうだ、何か新しいことをやろう。

高級デリヘル嬢の続きが気になる方はTwitterでぜひ探してみてください。