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リバーシブル、トーンポリシング、1歳児の検尿について
このnoteをとにかく持続させることが僕の課題。
購読してくださった方、ほんまにありがとうございます。
毎日書くということはそれだけでハードルが高いので、できるだけ自分の中で内容を取捨選択せずに書きたいというか、考えたことはほぼそのまま吐き出していきたい。
たぶん、そうじゃないと更新を保てない。
一定のクオリティは保ちたいが、その一定はわりと低めにすることを前提としよう。
感じたこと、思いついたことをペラペラ喋るように書くので、テーマもしっちゃかめっちゃかです。まあご愛敬。ずっと女子高生が喋ってると思ってくれたら読みやすいと思います。
乱発される話題の中で、どっかしらヒットするものがあると嬉しいなって感じです。
■リバーシブルについて
オカンが息子に対して服をプレゼントしてくれる。ありがたい。
このとき、「リバーシブルやで!」と、やたら強調してくるのが、なんか面白い。
申し訳ないが、リバーシブルであることにそこまで魅力を感じない(笑)。
なんか、「防水加工やで!」とか「期間限定やで!」と同じ熱量で、「リバーシブルやで!」と言っている気がして、笑ってしまう。
オカンは言いたいことを2、3回繰り返して言う癖がある。3度目の「リバーシブルやで!」に対しては、「いや…リバーシブルがそんなに…?」と言ってしまった。
そんなに魅力的か? リバーシブル。
■トーンポリシングについて
トーンポリシングのことを書いてみる。
要は「そんな言い方だと伝わらないよ」みたいな、論点とずれた口調とか声量とかを指摘するのがトーンポリシングね。
まあでも正確なトーンポリシングという言葉の意味は、自分で調べてほしい。
僕は「トーンポリシングは、いけないなぁ」と思っている。
で、このトーンポリシングなんだけど、「それはトーンポリシングです!」って指摘しているところをツイッターで見たりするなかで、自分の中でトーンポリシングをなんとなくこう理解したらいいんじゃないかなと思ったことがある。
まず、「そんな言い方だと伝わらないよ」と、相手に一定の言い方を要求するのが、トーンポリシングだとして、それはいけないことだというふうに思う。
でも、逆に、「その言い方はなんだ!」と怒ったり、ムカついたりするのは、トーンポリシングじゃないかも、っていうふうに思ったのよ。
っていうのも、それはこう、「反応」だから。「要求」というか、ポリシング、取り締まり行為には当たらないんじゃないか、っていう感覚。
んー、まあほぼ要求に近いアレではあるんだけども。このへんめっちゃニュアンスで書いてみてる。とりあえず。書きながら考え中ね。永遠に結論じゃないからね。
やっぱ、ムカつく言い方されたら、ムカつくやん?
なんというか、その心の反応そのものを「悪」とすると、腹落ちできなかったのよ。
「なんやその言い方!腹立つねん!」までは、トーンポリシングじゃないんちゃうやろか、と思って。
「もっと丁寧に話せや!」とか、「そんなんじゃ議論が進まんやろ!」とか言い出すと、トーンポリシングってことかな、って思う。論点ズレズレになっていくし。
伝わるかな、これ。
こう、口調とか声量、言い方の指摘は、論点と違うし、そこを突いた時点で、口をつぐもうとしているアレにはなるとは思う。それはそうなんだよな。
でも、まあ、ムカつくっていう気持ち、それ自体に罪はないというか。
ゆうて、なんかこう、人を小馬鹿にするような語尾とか、まあ単純にアホとかボケとか愚かとか言われたら、カチンとは来るし、「なんじゃオラ!」とは、なるやん?
それはもう、人としてというか。例えば「そんなことも知らないの?」って言われちゃうと、「お゛お゛ん゛!?」とはなるやん。
知ってる知ってないよりも、「お゛お゛ん゛!?」がまず来てまうやん。
(いやまあこの一手でそこまで激昂するのはどうかしてるとは思うけど。たとえ話としてね)
だから「言い方腹立つねん!」までは言えるというか。
そこはまあ…それはそうやな、というか…。
そこはもう、トレードオフじゃないかなぁ…。
ただ、ちゃんと言っておきたいのは、あれよ?
周りとかがさ、特にツイッターとかでさ、「そんな言い方やめなよ」とか、そういうリプとか、DM送ったりとか、そういうことを要求したり、その種の意見とか述べるのは、普通にトーンポリシングだと思う。内容そのものが圧されて消えてもうてるし。
あと、ここもまた微妙やねんけど、一方で、「いや被害者はもう、何を言ってもいいんじゃない?」って考えてたりもする。こっちも逆にとんがった意見かもしれない。
被害者には、あらゆる言動が許される、それに対してムカつく権利も聞き手にはない、っていう考え方も、ちょっとあったりするのよ。僕の中に。
たとえば、子供を殺された親とかさ、もう、何言ってもええやん?
そんなもんもう、何言ったっていいし、言い方もヘッタクレもないやん?
なんならその対象も、加害者から警察からメディアから、どこに対してだっていいというか。
だってもう、子供殺されたら、そらそうやろ、っていう。
全員が黙れ、っていう。
もう、どんな差別用語も、罵詈雑言も、とにかく吐いて、なんでもいいからもう、生きててくれって感じやん?
だから、このトーンポリシングという言葉がよく使われる、差別とかハラスメントの場面も同じで。そういう、もう、ごっつキツいアレを胸に抱えてる人は、まあ何言ったって、どんな口調だって、んなもんええやろとも思うわけよ。
そんなもん、なぁ?
たとえば男性にレイプされてさ、もうトラウマになってさ、「男性」ってだけで恐怖感じる、もう「男性が無理」って人がさ、「男性は話しかけてくんな!死ね!」って言うのに対して、「ミソジニストですね?」とか「そんな言葉遣いやめましょうよ」とか、もう、ちゃんちゃらおかしいやん?
「僕はそういう男性じゃないですよ」とか「そんな男性ばかりじゃないですよ」とか「それはある意味の差別ですよ」とか、マジ、もう、うるさすぎてヤバイやん?
この両方の考え方が、自分の中でぐるぐるしてる。
「その言い方は不快です」。
これがトーンポリシングがなのかどうか。
僕的には、そこまではギリトンポリじゃない感覚。
「不快です。やめてください」まで行くと、トンポリって感じ。
もう、その「やめてください」とか、そういう要求をしたくなってるなら、もうそこで話し合いとか議論は終わっちゃえばいいんだと思う。
うーん…。いや。違うか。
「不快です」って表明した人が、たとえばすでに何らかの権威性を帯びてて、不快の表明の時点で、「やめろ」の意味を持ってしまっている、っていう状況も、あるかぁ。
んなもん、そらあるわなぁ。
いやー、難しい。
「言い方腹立つ」っていう自分の感情を肯定しようとしてるだけかもなぁ。
でも、そこまでは許されていい気がするんだよなぁ。
いや、やっぱ「腹立つ」って表明してる時点で、トーンポリシングではあるか。
それはもう、いさめようとはしてるもんな。
だからあれやわ。その腹立った感じとか、ムカついた感じはさておき、そのままムカついてていいから、本筋の話をすればいいってことかも。
ムカついてるから口調が荒くなっていくこと自体を、トレードオフで仕方ないこととして。
ヘンに冷静さを保とうとするから、言い方とか表現に主題が変わっていってまうのかもな。そこをなんとかしないと本筋に入れません、みたいな。
いや、なんとかせんでも別に本筋入れるやろ、ムカついたまま。っていう。
今ここに発生してる「怒り」みたいなものを、それが自分のものであれ相手のものであれ、解消しようとしたり、ないものにしようとしたりするのが、よくないのかも。
もう、そこに「怒り」はあるんだから、それは解決しなくていいんだな、たぶん。
俺これトーンポリシングについて喋れてる?
なんか最終的に全然関係ない話をした気がする。
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