松山奇談 八百八狸Ⅰ
口演 揚名桃李
書記 一穴庵貉
現代語訳 大野秀文
第 一 席
天智天皇の御代に生まれた狸に、多くの一族郎党が出きた頃、伊予の国の松山に義賢(よしかた)という大名がいました。
伊予の国の領主ですが、隣国の大名に攻められ、最早(もはや)落城かという時に、この古狸が現われて、一族郎党八百八狸を引率てこれを助けたというのが、この話の主意でごさいます。
これら狸が何匹いたかは記されていませんでしたので、数多くいたいう事で、八の字を使って『八百八狸』と題しました。
さて、義賢が敵兵に囲まれた時、この古狸が采配を振るって、五千有余の敵兵を悩まし、義賢を助けたことで、後に『隠神刑部神(いぬがみぎょうぶ)』と崇められ、多くの人々が信仰するようになりました。
徳川時代、伊予松山で十五万石を領していた松平隠岐守の御家に、一つの騒動が起こりました。
事の原因はこの狸にあります。
松平隠岐守の臣下の老職の中に、奥平久兵衛という千五百石を頂戴している人がいました。
久兵衛は知行所の百姓にいい付けて、毎年九月に菊を育てさせ、自分の庭に植えては観賞していました。
それで、百姓達は善い種をつくり、上等の菊を御覧に入ると、大層な褒美が貰えるというので、田畑を耕す合間を見付けては、
「今年はああいう良い品種を拵(こしら)えたい」
とか、
「ああいう花を咲かせよう」
と、いつもに試みるようになりました。
ある年のこと、知行所から持ってきた数珠を、庭に並べて御覧になると、
「名前は何というか」
と、お付きの者に問うと、
「今は団子坂などで、見世物などの盛んな時ではないので分りませんが、その菊に下げている札には吉田村清兵衛とあります」
「ではその清兵衛を呼べ」
といい、呼び出すと、
「これ清兵衛、その方は珍しい菊を、世に見せくれた。満足に思うぞ。褒美を遣わそう」
といって、金一両を授けた。
その当時の一両は大層なものでして、今の一両とは比較になりません。いずれにして貰えることは嬉しいことなので、
「有難う存じます」
というと、
「やぁ清兵衛、この菊は今迄当国にはなかった品種だ。拙者が前に江戸に行った時に見た菊の品種だと思うが、江戸表から取寄せたのか。それとも当国にあったのか」
「その通りにございます。私の倅(せがれ)に清蔵という者がいまして、これは至って温和な者でございますが、十一才の時に突然いなくなり、おそらく神隠しにでもあったのだろう、あるいは海川にでも飛び込んで死んだのだろうと思い、いなくなった日を命日して香華を手向け、問弔をしておりましたが、今から四年前に江戸より使いが来て、巣鴨の植木屋の治平という人のところで、弟子になっているとの事でした。
植木の手入れが上手いということで、親方も可愛がってくれ、わざわざこの松山へ使いを寄越してくれました。実に嬉しいことでございます。その後、徐々に倅の様子を承りますと、将軍様が吹上において、治平に菊を見たいとのことで使いがありましたので、倅と治平が相談をして、宝船に七福神が乗っているものと、桐に鳳凰のものの、二つの造り菊を御覧に入れましたところ、将軍様の直接のお褒めの言葉はございませんでしたが、御役人方を通して頂き、過分な御褒美も頂戴して、倅も悦び、親方の治平も大層悦びましてございます。倅の自慢を申す訳じゃありませんが、親方からは、倅の出した方が善かったと言ってくれました」
「うむ、そうか」
「そこで、肥しのやり様はこういう塩梅(あんばい)とか、葉裏はこうだとか、作り方を事細かく書いて寄越しましたので、早速に私がその通り培養して、御覧に入れました次第ございます」
「そうか清兵衛、幸い殿も御殿にいらっしゃるので、早速申し上げて御覧にいれようと思うが、この菊は将軍家お止め菊という事じゃあるまいかなぁ」
「そうでございます。将軍様が上覧になられまして、御大名様方にも案内されたとあって、御覧になられた御大名様方もございますが、特に御止め菊という事ではございませんでした」
「然らば速やかに上へ申し上げるので、倅の清蔵に報せて、七福神の造り菊を用意させてくれ」
「委細承知致しました。早速に申し遣わしまして、当地に倅を呼び戻します」
と、御請けした。
早速、久兵衛が松平隠岐守様に申し上げると、殿様は大いにお悦びになり、
「久兵衛、その方の庭に『七福神が宝船に乗っている造り菊』を植えるのであれば、きっと見に行こうぞ。そうだ、臣下一同にも見せてやろう。また、城下の町人、その外領内の百姓にも見せて楽しませてやろう。余一人が見るのではなく、領民一同楽しんでもらおうぞ。速やかに造らせよ」
との、お言葉であった。
久兵衛は邸に帰ると、再び清兵衛を呼び出し、上意の概略を伝え、
「御前の御言葉もあるし、急ぎ清蔵とやらをこちらに呼び戻してくれ」
「畏まりました」
清兵衛は早速に、使いとして相当の人を江戸の親方のところへ送り出した。
清蔵も大いに悦び、自分の御領主と、さらには、十五万石の大殿様に見て頂けるというので、親方に別れを告げて、使いの者と共に国許へと向った。
清蔵は帰国早々に、奥平久兵衛の家来分となって、菊を造り始めた。
しかし、肥の遣り方といい、土のねかし方といい、中々うまくはいかない。懸命になって取り組みました。
菊開きの日が九月十五日と決まり、花壇の周囲や周辺の庭を一層清潔にし、垣を厳重に結んで犬が入らない様にしました。
犬に入られ荒されては堪りません。人ならば解りますが、犬は言っても解らないので、垣を廻らすしかありません。
十四日の朝、いよいよ明日ということで、清蔵は悪い葉などをなるべく取除いておこうと、なんばん(鋏)を持って、全ての菊の葉を見て廻った。
実に見事な出来映えで、中でも一際目立つのは七福神の造り菊で、頗(すこぶ)る美しい。
暫くすると、御殿様と当家の主人が一所で見ることを考え、清蔵はじっとはしていられなくなり、再度見廻っていると、何処から入ったのか、白と黒の二・三匹の犬が狂った様に暴れ回って、見事に咲いた菊を打倒す、根を嚙み切るなど乱暴放題している。
悔しさに清蔵は、
「あぁもう駄目だ。殿様に御覧に入れようと、一生懸命丹精込めて作った菊が…、もうお終いだ」
といい様、傍にあった棒を取り二匹の内、まずは白い方をぶん殴り、もう一匹も逃げていくのを、
「こ奴、逃すか」
と、躍りかかって腰のあたりをぶん殴ると、キャンキャンいっている犬の足をつかまえて、石に叩きつけた。犬は口から血を流して死んだ様子。
「こら下郎、何故拙者が手飼にしている犬を打殺した。理由を申せ」
と呼ぶ声に振り向むくと、津田勝という隣家の主人である。津田は七百石取りの武家で、至って犬を可愛がっていた。
「旦那、自分の犬なら自分の庭で飼いな。犬を入れないように頼んでおいたのに、この畜生共が大切な花壇を踏み荒らし、明日、殿様や旦那様が御覧になるはずだった菊の花を散らした。これじゃ殿様に御覧に入れられないじゃないか。だから打殺した。俺が悪いか。それとも、頼んで置いたの、他人の庭に犬を入れた旦那が悪いか。大小差している武士ならこのくらいの道理は分かろというもんだ。それほど可愛い犬なら、死骸を引き取って葬ってやれ」
といって、犬の足を持ち津田勝の胸板に叩きつけた。
津田は大いに怒り、すぐに登城して自分の娘のお玉に吹込んだ。お玉は殿様の御愛妾になっており、これに尾を付けて、殿様に申し上げた。
殿様は大いに憤り、
「誰かある。久兵衛をこれへ呼べ」
「ハッ」
と、御小姓が久兵衛方へ行き、早速に罷り出るようにと、申し伝えた。
久兵衛が御前へ伺候すると、
「久兵衛、その方は召使の清蔵という者に申付けて、津田勝に恥辱を与えた とか、又、勝が手飼にしいた犬を打殺させたとも聞く、甚だ不届きである。清蔵を隣家へ遣わせ」
「畏(かしこ)まりました。遣わしは致しますが、よろしゅう御座りましょうか」
「左様じゃ。速やかに遣わせ」
「御言葉を返して恐れ入りますが、明日、御前に御覧に入れようとしていました菊を、その津田の犬が踏み荒らした様です。清蔵にとっては、三年間の丹精もその為に無益に成ってしまいました。第一、上に対して申し訳ないとの怒りのあまり、二匹の犬を打殺した次第で御座います。然るに津田勝儀は、上に対してどの様に申し入れたかは存じませぬが、清蔵を隣家へ遣わせとの御言葉、臣下としては、これに違背するは恐れ多く、隣家へ遣るしか御座いません」
「そうであったか。清蔵が勝に無礼したとのみ聞いておった。その様な事であれば清蔵を隣家に引き渡すには及ばん。捨て置け」
「有難き仕合せに存じます」
久兵衛は別に御叱りもなく下がってきた。
一方津田は、今にも上から何か御沙汰があるものと待っていたが、一向に有りそうにない。
「さては久兵衛め、御前に何か吹込んだな。よし、それならば俺が清蔵を申し受けてやる」
と、津田は直ちに久兵衛方へ行き、
「清蔵を申し受けたい」
久兵衛が清蔵を渡せば清蔵の命はない。
如何にも不憫だ、と思い清蔵を呼んで事の委細を話し、
「暇を遣わすから父の清兵衛にこの事を話して、江戸に行け」
と、金子十両を渡した。
清蔵は涙を流して、
「有難う存じます。ただ、私は江戸へは参りません。この金子はお返し致しますので、代りに六道銭を頂き、これから隣に参り、津田様に殺されまする。三年の間丹精込めて作った菊を荒らされ、私は、もう生きる甲斐もございません」
「然らばその方は、命を捨てに隣家へ行くというのだな」
「御意にございます。つきましては、貴方様の迷惑にならない様、『暇を遣わした。私を津田方へ遣る』という手紙を頂戴いたしたく存じます」
「好い覚悟だ。然(しか)らば隣家へ行け。津田勝は当家にとっても、甚(はなは)だ善くない奴じゃ。己の娘を殿の愛妾にして、重役を妬み、そねむ毒虫でもある。その方、どうせ捨てる命ならば、御家に仇をなす毒虫を切り捨て、腹切って相果てよ」
といい、伝来の一刀一尺八寸『島田の住人義介』を清蔵に与えた。
清蔵は一刀を受取り別れを告げると、津田勝方の玄関に立ち、
「頼もう」
といった。
すると若い取次ぎが出て来て、
「貴様、清蔵だな」
「そうだ。手前のところの分からず屋に、この手紙を渡してくれ」
「何だ、分からず屋とは。無礼ものが。手紙をよこせ」
といい、受取ると奥にいる主人に届けた。
津 田が開いて見てみると、
「清蔵を差し上げるので、勝手になさるがよい。手前方に於いては暇を遣わした者であるによって、特に知らせはいらない」
との、文意であった。
一刀を取って玄関へ出た津田勝は、
「これ清蔵、よくも、その方は当家で飼っていた二匹の犬を殺してくれたな。犬の仇を取らせてもらうぞ、覚悟をしろ」
「ちぇ、犬と人間とどっちが大事だ。大小を帯した御前さんには分からねえようだな。どうせ御前さんには犬の方が尊いんだろうが、犬に劣るかどうか一番、人間の腕を見せてやろうじゃないか」
と、ギラリと一刀を引き抜いた。
すると、津田は驚き、
「己れ、手向いをいたすか」
といって、一刀を引き抜いた。
斬り合いを始めたが、清蔵の太刀先が鋭く、津田は後へ後へと追い込まれ、そのうち一刀を落としてしまった。
逃げようと敷台に上り、なお鑓段(やりだん)の所まで来た時ドーと滑り前のめりにぶっ倒れた。清蔵はそこを背から腰に向ってぶった切った。
輿平と云う男が、
「此奴、許せぬ」
といって、切り付けて来たところを、清蔵は一刀の元に斬って捨てると、諸肌抜いて一文字に腹掻き切って果てた。
さて、この事が御上に知られ、検視の役人が来て現場を改めてみると、清蔵は見事に腹を切っている。
津田勝は刀を打ち落とされて四つん這いのまま、背から腰にかけて切られている。
役人は清蔵の死骸には菰(こも)を被せ、津田と輿平の死骸は夫々(それぞれ)手当して、この始末を御上に届けた。
後に下った御沙汰は、
「津田勝儀、下郎清蔵の為に得物を打ち落とされ、剰(あまつさ)え逃げんとして背から腰に掛けて重手を負い候段、武士にあるまじき所業なり、依って、本知は召し放しとし、妻子は追放とする。相心得よ。尤(もっと)も御愛妾お玉どのには永のお暇を下しおかれる。親類共しかと心得られよ、以上」
であった。親類共一同は、
「有難き仕合せに存じます」
と、いったものの、あまり有難くもない。当人は殺され、家は改易になってしまった。しかしこれも、日頃からの勝の横道の所業があってのことで、これにて差引勘定ということか。
お玉については、婦人でもあり、菩提寺に入る事を格別の慈悲を以って許された。というのも、内々では親類の中にいても面白くないだろうと思ったからです。
さて、清蔵が奥平久兵衛方に伝わる島田義介の脇差を持っていましたので、久兵衛にも御沙汰があり、
「伝来の一刀を清蔵に遣わした事は、甚だ不都合、久兵衛その方、屹度(きっと)咎め申付けべきところであるが、特別の御慈悲を以って押籠め隠居を申付ける」
ということで、千五百石の本知は倅の久太夫に下し置かれ、島田の住人義介の脇差も久太夫に下し置かれた。
奥平家はそのまま久太夫が相続して、軍学と剣術の両様の門弟三百二十人余も引継、一時は何事もなく納まっていた。
清蔵の死骸は取り捨てとなり、吉田村清兵衛が引き取って懇(ねんご)ろに葬った。
ところで、松山から一里許り離れた松臨寺村に、菩提山菩提寺という紀州高野山の末寺がありました。
開山したのは阿闍梨(あじゃり)道徳で、九十余才まで長寿を保ち大往生されたのですが、次に紀州から来た僧は、三月経つか経たない内に変死してしまいました。
二代目の僧の変死、これには何かあるというので、次に入る者が見つからず、暫くは無住になっていました。
やっと見つかって入った三代目の僧も一年経つか経たない内に、またまた、変死してしまいました。まるで大石で打たれた様で、煎餅の様になって死んでおり、実に奇の奇なるものでした。
その後は、愈々(いよいよ)無住となり、頗(すこぶ)る荒れ果てていたのですが、なんとかしようと働きかけ、紀州の高野から僧を迎えることが出来た。
ただ、寺に住むと間違いが起こるといけませんので、菩提寺の麓に庵を設けて和尚から納生、寺男、穴掘り、小坊主まで七つの鐘と同時に山を下り、ここで暮らし、明け六ツになると山に登ってお勤めをする、と云う具合に、つまり寺が二つある様なものでした。
ある日、松臨寺村の庄六と云う百姓のお袋が祝儀を済ませると死んだので、葬礼ということになりましたが、この寺は九つ少々過ぎから八つ頃までの葬礼は受付ません。
それは何故かというと、度々の和尚の変死で、特に八つを打ってからの葬礼は、穴が掘上がる前に日が暮れたら、不思議な事が起こると言われていたからです。
それにもかかわらず、葬礼が遅くなってしまい、八つ半頃に山に登ると、和尚が、
「庄六さん、なぜこんなに遅く葬礼を持って来たんだね。寺だって予(かね)てから言っていたはずだよ、お前さんも知っていただろう」
「どうも、親類が間に合わなくなって…。で、他にも色々理由があって…」
「色々理由があるなんぞと云われても困るよ」
と、いっている間に、鐘がボーンボーンと鳴り始めた。
「あぁ七ツだ。気の毒だが死骸は持って帰り、明日また来ておくれ」
「それはないよ和尚さん、お寺から在家に死人を持ち帰るなんぞぁ出来ませんぜ。どうか葬むって下さい」
「そんならお前さんがここに残って、通夜をしなされ、お袋さんが淋しがるから」
「冗談云っちゃぁ困ります」
と、押問答をしていると所へ、名主の息子さんが来て、
「いや、死人の番をするのなら、我家に来ている浪人者に頼んでやろうか。後藤小源太といって年は若いが大層強そうな人だから」
成程、そういう人がいるのなら頼んで貰おう。
ということで、名主の息子は山を下り、後藤小源太にこの事を頼んだ。
小源太はすぐ承諾し、山に登ると一同を下山させ、百姓庄六のお袋の死骸の脇に座った。
その内に夜は深々と更け渡り、九つになろうと思う時分に、死骸の正面の金佛様が自然と動き出して、天井にピッタリと就いて歩き出した。
「これは珍しい。金佛様の中乗りとは、妙な事があるものだ」
と、小源太が口の中で何か唱え事をして、フッと金佛に息を吹きかけると、身の丈が五尺もあろうかという大狸が、金佛様を差し上げて歩いて来る。
小源太は大刀の柄に手を懸けると、躍り掛かり、「ヤッ」といって切付けた。
狸は、「キャッ」と一声発すると倒れた様子。金佛様が落ちて、ガンガランとひどい音がした。
小源太は大刀を拭い、ピタリと鞘に納めて休んでいると、鶏鳴が暁を告げ、すっかり夜が明けた。
「後藤様お早うございます。御苦労様でございます」
というので見てみると、名主の喜右衛門と百姓の庄六がいる。
「ずいぶん早いのう」
というと、庄六が、
「旦那様が見舞いに行くと申されましたので、急いでまいりました」
「左様か。昨夜一匹の狸がおかしなことをしたので切って捨てたぞ」
「へぇ狸が…。どんな狸で。恐ろしく大きな奴ですなぁ。面がいやに白くなっていますな」
と、喜右衛門がいうと、庄六も、
「へぇ、こんな奴がいろんな悪さをするのかぁ」
「へぇ…」
と、二人が座り込んで見ている中で、小源太が何か口の中で呪文を唱えると、喜右衛門が身の丈四尺ほどの狸に変わり、側に藁の人形を置いて座っていた。
小源太は、「己れ」と、いうと同時に飛び込み、一刀の許に切って捨てた。
すると丁度そこへ、本物の喜右衛門が来て近寄ってみると大きな狸だった。狸は庄六のお袋を葬った側に穴を掘って埋めてやった。
後藤は松臨寺村の名主の家へ立ち寄り、二三日滞在してから、道後の温泉に向った。
それからというもの、この殺された狸の仲間達が暴れ出した。特にこれといって大した事じゃないが、百姓が鍬を側に置いて煙草を吸っている間に、鍬を鎮守様の林に持って行ったかと思えば、肥桶を稲荷様の石柱の上に乗っけたりする。
百姓達は、
「あの後藤小源太さんという人が、狸を二匹殺したから、仲間が暴れ出したんだ」
と、愚痴をこぼし出した。
やがてこの事が、城中にも知られるようになった或る日、年は二十九才血気盛んな若者が、喜右衛門宅に来て、
「喜右衛門殿か、拙者は奥平久兵衛の一番弟子で服部平六と申す。剣の腕には少々覚えがある。この村の者が狸の為に難渋していると聞く。俺が行って退治してやろう。どうだ」
「誠に有難う御座います。農作業の邪魔をするので、実に困っております」
「そうか、心配いたすな」
といって、服部は名主の家で襷、鉢巻、草鞋とすっかり仕度を整え、山上の寺に向った。
寺に着くと、
「さぁ狸、出でみろ」
と、待ち構えた。しかし、夜の四ッも過ぎ、九ッ七ッ、とうとう夜明け方になっても、何事も起らなかった。
「あぁ俺の剛気に狸も押されたと見える。剛気が強いというものは恐ろしいものだ」
といって、大威張りで吉右衛門宅に戻った。
「お早う御座います」
「おお喜右衛門、昨夜は少しも怪しい事も起こらず、誠に静かであった。狸も俺の剛気に気後れしたとみえる」
「へぇ…、そぅふふ…」
「これ喜右衛門、何を笑うか」
「ヘぇ……、ふぅははは……」
と、喜右衛門が堪え切れず笑い出すと、作男も下女もみんながひっくり返って笑い出した。
「何がおかしい」
「旦那、頭をちょっと御覧なさいまし」
「なに、頭…」
と、手をやってみると何か変だ。
「はぁ」
と、不思議がっていると、喜右衛門が、
「昨夜までオタポで御座いましたが、急に坊さんになられたましたか」
といったので、服部は、
「いや」
といい、鏡を覗くと驚いたの驚かないのと、クリクリ坊主になっている。あまりのショックで、頭を押さえて逃げ帰った。
面目をなくした服部は、病気届は出したものの、直ぐには治らない。
毛が生えて髷が結べるまで全快しないのだ。
この事も城中の評判となり、若侍衆がやれ「今度は俺が行く」「いや俺だ」と騒ぎ始めた。
その中に戸川軍平という者がおり、戸川は小具足に身を固め、兜をかぶって、嬉々として喜右衛門の家に行き、
「これから古狸を退治してやる」
と、大業に言い触らして、大身の鎗を小脇に抱え込み、坊主にされない様に兜を目深にかぶって、菩提山に登った。
戸川は寺に着くと、本堂の正面にあった床几を持って来て、眼を爛爛と輝かしながら見張っていたが、夜明けになっても何も起こらなかった。
戸川は大口を開いて笑い、
「我の気迫に驚いて狸も出ないとみえるわ」
というと、念の為に体を改めてみた。別段何もおかしなことなく、兜を押えて、
「先ずは坊主にはされていないようだ」
いうと、大威張りで鎗を引っ提げて、喜右衛門宅に帰った。
「旦那様如何で御座りました。特に変わった事は御座いませんでしたか」
「やぁ喜右衛門、我の気迫に驚いたと見えて、少しも怪しい事はなかったわ。手持無沙汰で帰って参った」
「へぇ、それは恐れ入ります。風呂を沸していますので、どうぞお入り下さい」
「然らば、頂こう」
といい、兜を脱ぎ、鎧を外し、下兜を取ると、当家の主人と女中達が俄かに笑い出した。
喜右衛門が、
「旦那、頭を御覧ください」
と鏡を差し出していったので、覗いてみると坊主頭にはされていないものの、虻蜂とんぼにキリギリスの親方になっている。戸川は驚き一目散に逃げ帰った。
さぁこうなってしまうと、誰も行く者がいない。随ってどうも出来ない。相手が出て来れば勝負も出来ようが、相手が出ずにこういう目に会うというのは、厄介だ。
奥平久兵衛は門弟の内でも上席にある者が酷い目に遭ったと聞き、無念に思い、
「では俺が行こう。だが俺だとて、古狸にどんな目に逢わされるやも知れん。なら黙って行こう。たとえどんな目に会ったとしても、自分の邸に帰って仕舞えば、他人に知られることはないだろう」
と直に、寺へ行った。
その夜、丁度四つ時分になると鼾(いびき)が聞え始めた。
「この空き寺で鼾とは、さては妖怪だな」
と久兵衛は思い、そちらを見てみると、一人の武士が臂を曲げて寝ている。
一刀の鯉口を切って進み寄る奥平久兵衛、ここで寝ているのは、後藤小源太という古狸を切り捨てた名代の豪傑、古寺において両勇士が出会う一席は、一寸一喫(ちょっといっぷく)してから。