松山奇談 八百八狸Ⅴ
第五席
小源太が本堂で休んでいますと、夜の九つ(午前零時)頃に須弥壇(仏像を安置する台)の前に、さながら身の丈八尺(約二・四㍍)余もあろうかという大きな古狸が、熊の胴服を着て現われ出まして、左右には子狸凡そ千匹がズラッと本堂に座っています。
後藤小源太が、
「やゃ」
と、驚いていますと、古狸が、
「これ小源太、汝はこの菩提山菩提寺に来て、何をしようとしている」
と問いますと、
「いや、汝がどの様な狸かは知らんが、今日、私がここに来たのは他でもない。汝らが妄(みだ)りに城下を騒がし、人を痛め、在所の者に難渋をかけるのは何故か。返答によっては、汝等を残らず斬り捨てる所存。どうだ返答いたせ」
と、詰め寄りました。
これを聞くと、古狸は大口を開きカラカラと打ち笑いまして、
「では小源太、汝は我らが住むこの山に来て、我眷属(けんぞく)を斬り捨てたは、何故だ」
「それならば、この菩提山菩提寺は紀州高野山の持ち寺であって、開基された道徳阿闍梨は九十余才の長寿を全うされた。にもかかわらず、二代目の僧、三代目の僧は不審な死に方をされた。喰い殺されないまでも、大磐石(だいばんじゃく)で打たれるいう残虐な殺害だ。何故そのような事をされた…。だから我はここに来て殺害した者を退治しようとしたのだ。また、最初の狸を斬ったのは、不審な動きをしたからだ」
「それは小源太、初代の僧というは道徳に勝れた知識人で、我が眷属の小狸を見ると、『汝は人の目に触れないようにしろ。人の目に触れれば打たれ殺されるぞ。絶対に人の目には触れるな。今世では畜生に生れたが、来世は人に生れるように、経を読み聞かしてやろう』と、御経を読んでくれた。実に有難く涙にくれた。その恩に報いる為に我らは守護して来たのだ。
然るに、二代目三代目の僧は最初は何事もなかったが、その内に我が眷属を見付けると打ち取り、狸鍋にして喰う。往僧がそうだったので、納所、寺男、穴掘りまでが我が眷属を見付ては打ち殺して喰うという寺職にあるまじき行状で、ゆえに我は神通力を以って、その僧侶の背に石を載せ、殺したのだ。決して好きで殺害した訳ではない。そう心得ろ」
「汝はそれ程の神通力を持ちながら、何故、ここを住居にして、人々を悩ますのか」
「されば、今の四代目の僧はどういう訳か、松臨寺に庵を建て、山上へは昼しか来ない。別に害を与えた訳でもないのに…。ゆえに、夜は本堂には誰一人としていない。我も他に住居とする処がなかったので、この寺を住家としている。人間に害を与えるのはこれは懲罰の為である。
その方は我を唯の狸と思っているのだろうが、我は天智天皇の御宇(きゅう)に出生しており、昔、当国の領主だった源義賢が敵兵に囲まれ、落延びようとしていた時、危い処を我が眷属を引いて、これを救い、逃がしている。
汝が我眷属を見顕すことが出来るのは、汝が飛騨高山の磐若ヶ嶽の片隅に生れて、野白という犬の精血を肉体に入れたからで、夜でも物の五色を識別することが出来、古狸妖怪の正体を見顕す術を持っているのもその為である。どうだ相違あるまい」
と言われ、驚いた小源太は、
「汝、よくそれを知り得たな。果たしてどの様な術を使った」
「我には、ありとあらゆる世の中の出来事を、いながらにして知ることができる術がある。日本国の事なら知らないこと何もない」
「それ程の人通力を持ち、しかも『隠神』と尊敬されていながら何故、多くの百姓町人を痛めるのか」
「それは、先程も言ったように一つは懲罰のため。二つには我が住む住まいを作って貰いたいからだ。心得て動かれよ。
今、汝を殺すのは容易いが、汝の豪胆に免じて一命は助けてやろう。また、我宝とする物をくれてやるので、その代わりに、この菩提山菩提寺の奥山のどこか一か所に我住まいを建て、月の末一日を祭日として、八十八品の何でも良いから食物をそこに供えて貰いたい。
それを承知してくれるのならば、我は旱魃(かんばつ)その他凶年の時には前もって知らせ、また、十五万石の家を保護してやる」
「それは承知致した。国に不都合が起らないというのならば、必ず汝の住まいと望む食物を与えよう」
「それは喜ばしい。実に喜ばしい」
と、狸が傍らより取り出したのは、真っ黒になっている藁を打つ槌(つち)、
「これを汝に与えん」
「それは何だ」
「これは、どこ家であろうと北にある角柱を、目を閉じてこれで叩けば、日本の事ならば汝の胸に知られない事ない。これは来年の我の宝である。今、改めて汝に与える。ゆめゆめ疑う事がないように我が今から汝に試させてやろう」
と、いって差出しました。
小源太がそれ受取って、目を瞑って北の隅の柱をポンと打ちますと、
(ハッ)
と、小源太の胸に浮かんだのは、
(『江戸表、愛宕山の邸の表長屋が三軒焼けた』と、いう知らせがある)
と、いう事です。
「汝、立ち帰って上役に申し上げてみろ、『今の江戸表の事が分かる』という事は、これは則ち我人通力である。格別に汝にやろう。大切にせよ」
小源太は喜びまして、
「如何にもこの事、果して…。然らば上へ言上して、汝を神に勧進(かんじん)なさしめん」
といって、別れを告げました。
小源太がこの事を言上すますと、上も稀有(けう)に思い確認させるため飛脚を江戸にやりました。この時同時に、江戸からも飛脚が出発しており、途中で国と江戸の飛脚が出合っていますが、別に話もしませんでした。
江戸の使いが国へ着き、『屋敷の表長屋が三軒焼けた』という書面が届きまして、その日付を見ますれば、小源太が言った日です。
また、国の飛脚も江戸表の屋敷に着きまして、
「何日に火事があり、表長屋が三軒焼けたか」
と聞きますと、
「その通り」
との事でございました。
それで、約束通り菩提山菩提寺の奥山に穴を掘りまして、月の末を祭日とし、八十八品の食物を備えて、彼の古狸を『隠神刑部神』としてお祭りしているのでございます。
それからは狸も騒動を起こすことがなくなり、時が過ぎていくのですが、代わって、奥平久兵衛が十五万石の御家を覆そうとし、大騒動を起こします。その件は次回に申し上げます。
さて、ここで一つの間違いが起きました。
ある日のこと、久兵衛と小源太が一緒に道後の温泉に行き、松前屋喜平の家で酒を飲んでいますと、一人の女が久兵衛に何か言いたげにしていた。小源太がそれとなく席を立去りますと、
「旦那、私は貴方の御子を懐妊しましたよ」
「冗談を言うな。お前はこの松前屋喜平の家で、誰彼なく金で客に随(したが)う湯女じゃないか。それを俺の子などと、納得できるものか」
「いえ、貴方の御子で御座います」
小源太が次の間から、エヘンと咳払いしましたので、二人は離れ、小源太が入って再び酒宴となりました。
松前屋を出ますと、久兵衛が、
「なぁ、小源太殿。あの酌をしていた女はおこんといって、中澤村の万六という猟人の娘だが、松前屋で客商売しており、拙者が図らずも目をかけてやると、『懐妊した』と言う。あの女は多くの男の機嫌を取っているので、拙者の子ではないと思うのだが…」
「はあ、そうですか。分かりました。それなら、貴方の子かどうか伺ってみましょう」
「誰に」
「いや、誰と言われても」
と、いって我家に帰るなり、小源太は隠神より授かったあの槌で北の角柱を叩き、
「中澤村の万六の娘、こんが懐妊しているが、奥平久兵衛の子か、どうか知らせ給え」
といいますと、
(奥平久兵衛の子に相違ない)
と、いう事が胸に浮かびましだ。
この事を久兵衛に伝えますと、
「然らば、仕方がない」
と…、おこんに手当を出す事にしました。
それから半年ばかり経ったある日、太守の隠岐守貞直公は養生の為、道後の温泉に御成りになりました。十五人程のお供を連れられ、松前屋のお湯にお入りになり、その後、座敷において御酒を召し上がられますが、夏なので、女中達は薄着で無礼がないように、覆面をしてお酌をしています。
太守は、多くの女中の中に十八才位の一際目立つ美人を見初め、
「久兵衛」
「はっ」
「三人目に入って来た。それ、あれに座って笑っておる女は、艶やかで美人だなぁ」
「はっ…。御意に御座いまする」
「名は何と言う。その方存じおるか。あの三人目に酌をしている女だぞ」
「はい、こん、と申します」
「こんか」
「いえ、こん、で御座います」
「あぁ、こん、か。狐のようだな」
「恐れ入ります」
「気に入った。予の妾(めかけ)にする。城中に召し帰るぞ」
「はっ…」
「久兵衛、早く申し聞かせよ」
「ははっ…」
「早うせい」
「はっ」
とは言いましたが、腹の中でギクリとしましたのは、自分の子を宿す女だからで、かといって、殿の意向には逆らえません。別の座敷に連れて行きまして、
「おこん、御前がお前を『妾にしてやる』というのだが、お前は俺の子を宿している。どうも困った事になった。どうしたものか」
「貴方と殿様とでは、どの位違います」
「べら棒め、殿様は十五万石、俺は千五百石、大違いだ」
「それじゃぁ、殿様の方に行きます」
「現金な女だなぁ。で、子はどうする」
「子供は殿様に押付けましょう」
「酷い事をいう」
おこんは太守の妾になりました。
さあ、寵愛を蒙るようになりますと、色んな事を殿様に申し上げるようになります。親父の万六は中澤村に住む猟人でしたが、あっ、という間に中澤村の代官に出世しまして、今では、中澤万太夫、と名乗りまして、城外に立派な屋敷を建て、大層威張り散らしています。小前の百姓達は成上がり者の万太夫に出会いますと、酷い目に逢わされるので、避けなければならずとても困っていました。
太守は何事もおこんの言いなりでございまして、城中はまるで遊女屋のようです。
尤(もっと)もおこんは妊娠九ヶ月で子供を産み落としますが、その子が久兵衛の胤(たね)と知らない殿様は、
「こん、予の妾になって三ヶ月程であるが、もう子を産むとは大層早いではないか」
「御前、御前のお仕込みが早いから御座います」
「はぁ、そうかぁ」
と、殿様が迷うのは、おこんに夢中になっているからでございます。
するとある日、おこんの部屋で酒宴を催していると、御側用人が来まして、
「申し上げます」
「何用だ」
「唯今、御目通りを願う者が来ております」
「うん、誰だ」
「山内輿左衛門殿で御座います」
「あぁ、あの親爺か。奴は喧(やかま)しくっていかん…。『今日は目通り出来ん』と言って、帰せ」
御小姓が立とうとすると、エヘン、と咳払いと共に入って来たのは、七十有余になる大忠臣山内輿左衛門。両手をつきまして、
「恐悦に存じます」
というと、殿様も仕方なく、
「そちも無事で何より。持ち合せの盃だが一献遣わそう」
「有難き幸せ。恐れながら御前、婦人を相手の酒宴もよろしいが、不行跡も過ぎれば御側にいる者が御意見するのが武士の習い、太鼓持ち同様では甚だよろしくない。
徳川代々の名家である当家で、このような戯れは如何なものか。酒宴や寵愛もよろしいが、遊女屋に見惑う振舞は、以後謹みなされよ。
殊(こと)に、江戸表の直治郎君は今や五つ、幼年とはいえ、この不行跡を聞き知れば恥辱で御座りますぞ」
「いや、汝の意見承知した。下れ」
「唯(ただ)、『承知した』とのみでは下れませぬ」
「これ下らんか。予が少々酒を飲み、妾を抱えたところで不都合はあるまい。無礼な事を申すな。下れ、下らなねば斬って捨てるぞ」
と、一刀の塚に手を掛けます。
「これは面白い。速やかにお斬り下され」
「下れ、斬るぞ。下れというに」
「下れませぬ」
「無礼者め、主人の言葉を背くか」
と、抜打ち様に斬り付けました。
ただ、酔っていたため力が入らず、右の肩先を僅かに切っただけでしたが、それでも、だらり、と流れる血を見ますと、
「見苦しい。輿左衛門を下げろ」
「いえ、聞き置くという証を見ないと下れませぬ」
「強情の親爺だ。引き出せ」
すると、御近習が五六人立ち、
「殿の御意で御座る。山内殿下りなされ」
といい、引きずり出しました。
山内輿左衛門は屋敷に帰り、覚悟を決めていたところに、清水熊太郎、金井正次郎、成瀧金二郎の三人がやって来まして、
「今日、山内輿左衛門儀、お上へ対し無礼の雑言に付、『家名改易、切腹申付ける』との御意、我ら三人、検視見届けに参った。速やかに切腹をなされよ」
と、申し渡した。
にっこり笑った輿左衛門が、
「御尤(ごもっとも)成る仰せ。ただ、君の御不行跡を諫(いさ)めるのは臣下の常、切腹との儀、是非に及ばん」
と、諸肌を脱ぎ腹の皴(しわ)を撫でて、小刀を持ち直して、
「山内輿左衛門の切腹、特と見届けあれ」
と、三人を睨みつけ、
「うん」
と、下腹に力を入れ、グサッと刺し込むと腹一文字に切りますと、ダラダラと出た臓腑を一掴みして、正面にいる清水熊太郎の面上目がけて投げ付けました。熊太郎は、
「ギャッ」
といって、それぎり倒れ、果ててしまいます。詰まらない死に方もあったものです。当然、山内も死にましてございます。
この事を、金井正次郎、成瀧金二郎の両人が御前に言上しますと、
「流石の老人も潔く腹切ったか。うん、熊太郎は不憫だったが、是非に及ばん」
と、それっきりになりました。
この金井が殿中に来ますと、朋友の一人が、
「金井殿」
「なにか」
「山内輿左衛門の切腹は大層見事であったと聞くが、そうなのか」
「いや、それは見事であった。七十余才の老人とはいえ少しも怯むことなく…。手前がその様を御覧に入れよう」
と、扇を取りまして、
「左の脇腹にこう当て、『山内輿左衛門の切腹御見届けあれ』といい、腹一文字に掻き切り、下腹に力を入れ、出た臓腑を清水の面上に投げ付けた。不憫なのは清水で御座います」
「いや、成程見事な切腹で御座るな」
また、一人の相役が、
「金井殿、山内輿左衛門の切腹は見事で御座ったそうだな」
「御意で、御覧に入れようか」
と、前の通りやってを見せますと、
「いや、これは御見事で…」
また、別の相役が聞きます。日に十度も同じ腹切の真似を繰り返していますと、三日目には扇の当るとこが幾分か摺り切れまして、夕方宅に帰ると何となく下っ腹がビリビリして痛い。
御新造が、
「貴方が、山内輿左衛門様の切腹の仕方話をなさるという事が、殿中で大評判だそうで御座いますよ。どうぞ、私にもお見せなすって下さいまし」
「所望とあらば見せてやろう。殿中では無作法の事は出来んが、宅なれば本物で見せてやろう」
といい、諸肌脱ぎ捨て扇を取り直しまして、
「山内輿左衛門の切腹ご覧あれ、とな」
「御立派で御座いますことですねぇ」
「これからが見ものなのだ」
と、金井正次郎が左の脇腹に扇を突っ込むと、あーら不思議、扇の先がささくれていたのか、ダラダラと血が流れ出ます。
御新蔵は知りませんので、
「貴方、随分大仕掛けで御座いますわねえ」
そのうちに、大変な血が出てきましたので、
「貴方、どうされました」
と、いって驚いていると、金井正次郎はスックリと立ち上り、傍らに有った小刀を引き抜くと、腹一文字搔き切って死んでしまい、親類から御上にこれを届出ますと、勿論、発狂したという事で処理されました。
成瀧金二郎はこれを聞きまして、気を揉んでいる内に気が違い、これも腹を腹を切って死んでしまいました。家中の人々は、
「これは、忠臣山内輿左衛門の祟りに違いない」
と、囁き合ったとのことでございます。
そのうち、毎夜のように山内輿左衛門が愛妾のおこんの方と殿様が寄り添っている処に出て来ては諫言するので、殿様が一刀を取って斬り付けますと、行燈だの屏風だのを切っているという始末でございます。
殿様は元来馬鹿ではないので、
(これは輿左衛門の忠魂がしているに相違ない。今後、余りの不品行な事はすまい)
と、思ったようで翌日、久兵衛を呼び、
「こんはその方に預ける。世話をしてやってくれ。勿論、こんが出産した暁には、子が男子なれば五千石を与える。また、女子なればその方の養子にせよ。その養育費は出そう」
「ははぁ、有難き仕合せ」
ここで五千石のお墨付きを下し置かれました。
奥平久兵衛はおこんを自宅に引き取りまして、万事世話をしていますと、間もなく、おこんが一人の男子を出生し、名を要之助としました。尤も、要之助は今は久兵衛の子となっていますが、十五才になれば五千石を下される事になっています。
おこんは名目上は久兵衛の妹分という事になっておりますが、久兵衛の邸にいまして時々御殿に上がります。然らば恐れ多い話で、御前には内緒になっていますが、その実は、久兵衛の妾のようなものです。
さて、奥平邸は暫く問題もなく過ぎていたのですが、要之助が七才の袴着(はかまぎ)の御祝いに、剣術・柔術・軍学などの弟子三百余人が一同に集まっての酒宴を開きました。
久兵衛が、
「さて御一同、今日はこの君の七才の袴着の祝いである。各々御存知の通り、君は正しく御前の胤であられ、『十五才になれば五千石に御取立てる』と、申し受けてはいるが、幾分情けない事で、十五万石の御当家には直治郎君がおられますので、こちらの君は僅かに五千石で、控えとは情けない」
といい、ポロリと涙を零しました。家中の若侍達は顔と顔を見合せています。
すると、脇坂五郎左衛門という者が、
「これは奥平殿、御心中如何にも御尤もに存じます。僅かに五千石では如何にも御不憫であります。江戸表の直次郎君を廃嫡するのは容易ではありませんが、まずは太守を薬で身体が利かぬようにしておき、その後に直次郎君の寿命を縮めますれば、十五万石のお世継ぎは要之助殿になろうかと存じます」
というと、この時俯(うつむ)いていた後藤小源太が、
「それは駄目だ。脇坂殿、酒の上とはいえ、ちと、言葉が過ぎましょうぞ。そのような不正は、甚(はなは)だよろしからず」
といって、久兵衛の顔をちらっと見ました。
小源太が、
(要之助は上の胤でない)
ことを知っているので、久兵衛は一瞬ヒヤッとしたが、下を向いています。
すると脇坂が、
「いや、御祝いの席上で過ぎた事を申し済まない。拙者申訳の為に切腹致す」
というと、小源太が、
「あいや、貴殿に切腹をされては申訳が立たぬ」
「ならば、拙者が申した事に御同意なさるのですな。いずれにしても上に御忠節を尽くす事に於いては同じで御座る。如何か」
と、言われますと、久兵衛に世話になっています以上、小源太もどうしようもなく、その仲間に加わりました。いよいよ殿様を薬によって身体を悪くすると共に、江戸表の直次郎君を殺害し、要之助を十五万石の相続人にする事に決めました。
どの様な薬を使ったかは分りませんが、隠岐守は口が利けなくなりまして、そこで悪人達が相談しますに、
(次に直次郎君を殺害するには、国の者ばかりでは不十分で、江戸表にも仲間が必要だ。ついては金が必要で、それには金の才覚がいる)
と考え、そこでこの伊豫国松山の城下に出入りしている商人の山内源内という大家に目を付けまして、これに中澤村の万太夫が三千五百両の御用金を申付けました。
暫く考えていた源内は、
「唯今当家は勝手が悪く、御用を足す事が出来ません」
と、答えますと、万太夫はこれを聞き、
(俺を成り上がり者と思って断ったな。この事忘れん。いまにみておれ)
と、何にしろ娘の後ろ盾があるので、断られたことに怒り、仕返しの機会を待っていました。
その騒動が起こりましたのは、俄(にわ)かに『伊豫紙を御取上げに成る』という御触れが出たからで、領分の人達はこれを知り、大いに驚きました。
伊豫紙といえば日本国の中でも名代の紙で御座います。それをどういう理由で上が取り上げる事になったか、少しも分かりません。もし、これを放って置くと領分一同が難渋します。そこで相談しまして、熊田の熊右衛門と松臨寺村の喜兵衛が、
「伊豫紙を御取上げになれば、領分の者一同難渋致します。どうか御勘弁願いたく存じます」
と、代官に願い出ると、代官の万太夫は両人を白洲に通して、
「この度、御上に於いては物入りという事で御取上げになるのだ。それを、ご勘弁に願いたい、とは御役を勤める者にあるまじき態度。しかと申し渡す。考え直せ」
やむを得ず、両人はすごすごと帰りまして、この事を一同に伝えますと、さあ、怒り出しました。
「伊豫紙を取上げられたら、生きる甲斐がない。代官の邸をぶっ壊して仕舞え」
というので、桔梗ヶ原という所に集まりまして、
「代官の役宅を壊してしまえ」
と、ワァワァ騒いでいました。
そこへ、伊豫大洲の加藤遠江守の御隠居で利山という人が通りがかり、この様子を見まして、
「何故、百姓共が白昼に大勢集まって、あのような場所にいるのだ。別に水の入るような時刻でないので合点がいかん。尋ねよ」
と言われましたので、駕籠脇の者が一人の百姓を呼び寄せて聞いてみますと、
「これは『伊豫紙を御取上げに成る』という御沙汰があったので、このままでは領分の者が困窮致しますので、上へ嘆願する為に集っています」
「そうか」
と、その次第を利山公に言上しますと、
「なるほどそれは大事だ。松山の領分だけの問題んようだが、これは伊豫国全体に飛び火しかねん。放って置く訳にはいかんだろう。これ、頭だった者を呼べ」
と言われましたので、駕籠脇の侍が百姓に伝えますと、
「申し訳ありませんが、ここに名主はいません。我らは小前の内で主だった者で御座います」
と、三人がそこへ出ますと、
「予は大洲の隠居利山である。この度『伊豫紙を取上げに成る』については、その方らが難渋すること尤もである。予が老職の者に、このような不都合はやめろ、というので一旦引き取れ」
「有難う存じます。しかし、伊豫紙の取上げはせん、という御沙汰がなければ、引き取れまん」
「然らば、暫くそれに控えておれ」
と、直ぐに利山公は奥平久兵衛方へ行き、事の次第を伝えまして、
「伊豫紙についての御沙汰は下げられたい」
と、申し入れますと、久兵衛が、
「恐れ入ります。私は一向存ぜん事で御座います」
「いや、その方は知るまい。恐らく役人が仕出かした事だろうが、これは他の役人も疵を付ける事なので、内聞に取り計らうがよろしい」
と、利山公の親切な言葉なので、
「伊豫紙を取上げについては、都合に依り沙汰止みになった」
と、御沙汰をしました。
それで百姓達は喜び、引き取りました。
それにも拘らず、ここで間違いが起こりましたのは、前にも言いました隠岐守様の御用達をしている山内源内の手代で年は若いが頗(すこぶ)るの才子の新助が、主人の名代で大坂へ出て、紙を売り捌いて国に戻ろうと、備後の尾道迄帰った時、伊豫の松山で『伊豫紙を御取上る』という事を聞き、吃驚(きっきょう)しまして、三津浜の宿屋で猶(なお)も様子を伺いますと、
『半分余を御上が御取上げになる』
と聞き、いよいよ驚いた新助は、
(これは大変だ。紙をお取り上げになれば、大きく相場が狂ってしまう。今のうちに買い占めておかなければ…)
ということで、領分内で手当たり次第にドンドン買い占めまして、三津浜に出し、船で大坂へ向けて送り、自分も大金を儲けるため大坂へ向いました。
ただ、紙を買うには自分の名では出来ませんので、主人の名義で買い込みました。すると、この事が御上に知れ、山内源内は代官の白洲へ呼び出され、
「その方、手代の新助に申し付けて、領分の紙を買い占めた事、不埒である。依って財産没収の上処払いを申付ける」
と言い渡されました。山内源内はまるで夢のような心持で、何にが何だか理由が分かりません。
一方、新助は大坂から帰った時、この事を聞きまして、大いに驚き、江戸表の家老水野勘解由にこの事を伝えようと、急いで出発しまいました。
途中、四日市において中村梅三郎という俳優の女房に出会ったことで、悪人の企みが露見にするという一席は次回に弁じます。