松山奇談 八百八狸Ⅳ
第四席
さて、小源太が伊豫国松山へ来て召抱えられ、三年目の事でございます。小源太が三平という家来を召し連れて道後の温泉場へ行き、松前屋喜平という家で入浴をし、酒を飲んでいると、容貌の好い婦人が二十歳位の女と廊下を通ったのを何気なく見て、
(あっ、飛騨高山の進藤先生の御新造と娘のお雪さんだ。はて、二人はここに何しに来たんだろう)
と、思って手を拍つと、下女が来まして、
「お呼びになられましたか」
「今、この廊下を通ったお内儀さんと娘さんは、何処に泊っているか知っておるか」
「はい、これは何で御座いますよ。三原屋源兵衛さんの家に泊って御出でになります…」
「うん、そうか。分かった」
「そこは同じ湯亭で御座いまして、それで松前屋さんのお湯に入りに来たので御座います。何処の温泉場でもよくある事で御座いますよ」
早速、小源太は三原屋へ行き、主人に会って、
「今、この家から松前屋の湯に入りに来た婦人方を見かけたが何れの者だ」
「あの方々は飛騨の高山の進藤玄一郎様の御新造さまに、お嬢さんのお雪さまで御座います」
「ふう、そうか…、では、三つ物で御酒を都合してくれ。俺がそちらの座敷に行くので、様子を見て持って参れ」
「畏まって御座います」
と確認の上で、女の案内に随って座敷に行くと、一二年ぶりで進藤先生の御新造と娘のお雪さんに面会した。すると、御新造は涙を流して、
「お前さんが高山を立去った後、夫は眞田藤馬に斬られました。
私ども親子は、(敵を討ちたい)と、思ってもお前さんはいないし、仕方がないので、この伊豫の宇和島にいる田上三之亟という夫の身寄りを頼り、私達の助太刀をして貰おうと思いましたのに、その方は病死していて、どうする事も出来ず途方に暮れてしまい、それでこの温泉場に来て身体の治療をしていたので御座います。どうか小源太さん、私達の仇討ちの助太刀をして敵を討せて下さい」
「如何にも、大恩受けた先生の復讐の助太刀、しかと承知致しました」
「何はともあれ、久しぶりにて一酌」
と、それから打解けて酒を飲んだ後、小源太が、
「私も高山を立去ってから、只今では当国において三百五十石頂戴しております。外手台町という処に邸を構えておりますので、ここを引払って御出でお頂けませぬか」
というと、早速に三原屋を引払って、屋敷に連れて帰り、奥平久兵衛に届出ました。
ただ、御新造さんは永い間の苦労が祟ったのか、僅か三日ほど患っただけで死んでしまいました。
葬式を出しますと、奥平久兵衛が就いていてくれた事もあって、家中から送りに来てくれた者がいて、懇ろに御菩提寺に葬ることが出来ましたが、娘は頼りにしていたお袋が亡くなりましたので、暫くは悲嘆の涙に暮れています。
ある日、奥平久兵衛が小源太に向って、
「お前さんは『師匠の敵を討たせる』といって、親子を引き取りなすったが、お袋は死んで娘子一人。どうせなら夫婦になったらどうだい」
「私には異存はありませんが、お嬢さんの方が…」
「嫌という気遣いはあるまい。私から話してみよう」
と、お雪を呼んで聞いてみるとお雪も喜び、
「どうかよろしゅう」
といい、顔を赤らめた。
そこで吉日を選んでみると、お袋さんの三十五日と重なりまして、
「何はともあれ早く決めるがいい。三十五日の墓参りと婚礼が一緒とは…目出度いではないか」
と、悲喜こもごも。
盃事も済んで、仲人の奥平御夫婦が次の間に出て行くと、御床盃も済せて、立て回していた屏風の内に、横になっていた後藤小源太は、お雪の顔をしげしげと見ていたが、
「ざんがいの身の性来を知るならば心に心心して見よ」
と、唱えてフーと息を吹掛けると、
(こは如何に)
お雪さんは一匹の狸になりました。小源太は、
「さてこそ」
と枕元の脇差を取って、ムゾッと胸元を押え、グサリと刺しますと、
「キャッ」
と一声。
奥平夫婦は、
(何事)
と、思い入ってみると、ひどい有様。
「後藤殿如何致した。やっ、お雪殿を斬られたのか」
「驚くには及びませぬ。これは妖怪で御座る」
「フーン」
と、久兵衛が半信半疑で見ていると、成程狸に変わった。
「いやぁ、これはよくなされた。だが、今まで一緒にいて気付かず、今ここで、どうして分かりましたかな」
「どうも私の胸に、腑に落ちない処がありましたので斬りました。それに手前は不思議な術を心得ていますので、それで見破ったのですが、ただ奥平殿、これが狸ならば、御新造が死んだのも何だかおかしい。狸が本物の娘を食い殺して化けていたのかも知れません。なので死骸を確認したいのですが」
「成程、尤も千万。よろしい」
ということで、寺に埋めてた棺桶を掘出してみると、中には藁人形が入っています。
(やはり狸の仕業であったか)
と、納得したのでございます。
それにしても、後藤小源太が寝屋において見破ったのはなお偉い。知らずに夫婦になっていればこの上もない恥辱でございました。
これにより小源太には五十石の加増があり、都合四百石となりました。念のため、小源太は進藤先生の処へ手紙を出し、様子を伺がってみますと、先生は何事もなく、眞田藤馬はお雪さんと夫婦になっており、御新造も元気にしているとのことでございました。
(やはり狸の仕業であったか)
と分かり、小源太は殿に大いに称美され、事なきを得たのでございます。
さて、殿様の隠岐守貞直公の御祖父、松平三河守様の五十回忌に当る松平院殿貞行大居士の法事を菩提寺において行なうにあたり、宮崎甚内と後藤小源太の両人が奉行を仰せ付けられました。
本堂において御経が始まり、殿様を始め家中の者が集まって御経を拝聴しています。寺を囲う石の玉垣の外に筵(むしろ)を敷き、両奉行は上下を着用して座っています。
宮崎が、
「小源太殿、貴方は何故、居眠りをなされる。貴方らしくもない」
「いや、つい」
「ついじゃぁ御座いませんぞ。居眠りはよくない。もし、後藤殿…」
小源太がハッと目を開いて見ると、身の丈九尺(二m七十㎝余)有余の大入道が飛掛って来ます。
小源太はキラリっと一刀を引き抜き、
「己」
と、斬り付けました。宮崎甚内は驚き、
「これはどうしたことか。何もいないのに斬り付けるとは、御法事の席ですぞ」
と、止めようとしますが、小源太は『松平院殿貞行大居士』と、書いている塔婆に斬り付けました。取り押えようとしますが、真剣を振り回していて難しく、四五人の足軽を連れて来て、やっとのことで刀をもぎ取って押え付け、
「如何致した。後藤殿」
「はっ、これはどうしたことか」
「どうしたじゃない。お前さんともあろう者がなんて事を…。先ずは御謹慎されよ」
と、他の役人を代わりに付け、座敷に押込めました。
その間にも、御経は読み終わりが近付、直ぐにでも墓場での御焼香となりそうです。御塔婆に疵が付いていては、殿様に申訳が立ちません。しかも、御当家の三河守様に手向かい致したとなると唯では済まない大事でございます。
そこで、宮崎は奥平久兵衛に、
「後でお咎めがあろうとも、一時取り繕いて置かなければなりません」
と、言って相談しまして、久兵衛が役僧を呼び、
「実はこれこれが御座いまして、あの塔婆を削り書き直して欲しいのだが、何分よろしくお願いし申す」
と、平に頼みますと、役僧は、
「委細心得ました」
といい、住持が御経を読んでいる側に行き、
「この法事で家来が不祥事をしたので、それを助けるため、御経を今一席り願いたい」
と、御経の様な塩梅で伝えますと、和尚は、
「承知した」
と答え、再び御経読始めました。
御家中の方々は、
「お布施が多かったと見えて御経が長い。引き事(自分が見聞きしたことや体験談、本で読んだこと等)なしの二席り位の立読みだ。これは安い。この位読めば寄席でも入る」
などと、詰まらない事を言っています。
その間に、寺の方では右の塔婆の疵(きず)を削って書き直しも終わりまして、何事もなかったようになりました。
葬儀も無事終り太守が御帰城になられたので、諸役人方列席の中、宮崎が、
「如何仕りましょうや」
と、御前に申し上げますと、殿様は暫く頭を垂れていましたが、
「彼はどういう理由でその様な無礼な働いたかのか、尋常とは思えぬ。この無礼はよくよくの事で、一通り(普通)の事ではあるまい。三左衛門、汝大義だが小源太の邸に行き、今日菩提寺での振舞いどうした事か問いただして参れ」
「畏まりまして御座います」
という事で、三左衛門は仕度して後藤邸に行くと、小源太は門を閉じて菩提寺での粗忽(そこつ)から謹んでいました。
「頼もう。殿の御意に依って、久松三左衛門罷り越し申した」
すると、門番が、
「玄関に通じる。玄関から奥に通じる」
と、いいましたので、小源太は、
「何にしろ、開門致せ」
といいまして、玄関の式台に両手を突き、
「御遣い、御苦労に存知奉ります」
と、挨拶をしました。
三左衛門が刀を提げたまま、悠然と敷台から奥へ通ろうとした時、小源太は両手を突いたまま、
「ざんがいの身の性来を知らなければ心に心心して見よ」
と唱え、プーと息を吹っ掛けると、半面斑な古狸が刀を提げて立っています。
「此の畜生め」
といって、小源太は抜打ちにぶった斬りますと、
「ギャッ」
といって、狸は一声で倒れました。門番が、
「若し旦那様、大変じゃ御座いませんか。御遣いを斬りなさるとは、ただ事じゃ済みませんぜ」
「騒ぐな。これは狸だ」
「ヘー」
「狸だよ。人間ではない」
「狸ですか。でも尻尾を出しませんが…。久松様を斬って、狸では済まされませんぜ」
「良いから捨置け。この遣いは本物じゃぁない」
といって、奥に入ろうとしますと、
「御上使の御成りだ」
との声に、門番が見ますと、久松三左衛門が悠然として門をくぐって来ます。玄関番はこれに、
「また狸が来た。口を吐かそうと思ってやがるな。構わん、打ん殴って仕舞え。出合え」
というと、仲間が三四人飛び出して来て、これに玄関番と門番とが一緒になりまして、六尺棒で叩き回りました。三左衛門が、
「大切な御遣いに対し、狼藉を行うとは不届千万」
「何をいってやがる。手前は狸だろうが。尻尾を見せてみろ」
「これ、俺は三左衛門だ」
「三左衛門もねぇものだ。旨く化けやがって」
といって、ポカポカ殴りました。
久松は怒りに任せて、刀を抜き振り払うのは簡単ですが、
(それは身分にかかわる)
と思ったので、辛抱して帰りました。
小源太が、
「何だ。騒がしい」
と玄関番に聞くと、
「今、久松三左衛門と名乗る奴が来たので、狸だと思い、打ん殴ってやりましたら、ほうほうの体で逃げて行きました」
「逃げて行ったじゃない。よく見届けたのか。御上の御遣いを殴ったのなら、大変だぞ」
流石の小源太も、(困った事になった)
と、心配しているところに、再び御遣いが来ました。
御家中名代の服部五左衛門です。
小源太に向って、
「何故、御身は殿の御遣いである久松三左衛門を、小者に打擲(ちょうちゃく)させた。このような事は許されることではない。殿は悉く御立腹であるが、御身は日頃の勤め方もよいので、上の格別の御思召しによって、今日の御法事の席での酷いありさまについて尋ねようとされた。その為に遣わした久松三左衛門を小者に六尺棒で打たせた。そんな不合理な事があるか。殿は悉く憤っている。さぁ、申訳の為に腹を切りなされ。御身の家は当家譜代ではないが、奥平久兵衛殿の御口添えもあったので、細々ながら家名は立てて置かれるとの事である」
「この度、重々の不埒(ふらち)。五左衛門殿よろしくお願い致したい」
と、腹を切ろうと小刀を取りましたが、
(待てよ、腹はうっかり切るものでない)
と思い、
「ざんがいの身の性来を引くからは心に心心して見よ」
と唱えて、プーと息を吹掛けますと、服部五左衛門といって座っている奴が、半面斑のこれも狸です。小源太が突然、
「畜生」
と、いって躍り掛かりぶった斬りました。
「旦那また殺しましたな。これも狸でしょうか」
「狸だ」
といっている内に、服部五左衛門の死骸は狸になりました。そこへドンドンと雨戸を叩いた者がいます。
「どなたで御座います」
「奥平久兵衛だ」
と、いって入って来ると、
「どうもお前さんはよろしからん事をするではないか」
「何故」
「乱暴な事をした。五左衛門を斬んなすった」
「けれども、この五左衛門は狸で御座る」
「五左衛門は狸だが、俺は確かな者だ。さぁ申訳に腹を切りなされ。私が介錯してやろう」
「有難き仕合せ。然らば」
といって、小源太は腹を切ろうとしながら、
「ざんがいの身の性来を引くからは心に心心して見よ」
と、唱えてプーと息を吹っ掛けますと、その奥平久兵衛は、これまた一匹の古狸です。
「己」
と、飛掛って一刀の下にぶった斬った処に、門の方から、
「御上使の御入り」
との門番の声、
(五月蠅い狸どもだ。又来やがった)
と、思って覗いてみますと、奥平久兵衛が玄関正面に立っています。これを見て、小源太は例の通り、
「ざんがいの身の性来を引くからは……」
と唱え、息を吹っ掛けましたが、これは正真正銘の奥平久兵衛です。流石の小源太も迂闊な事は出来ません。
久兵衛が奥に通って、
「さて後藤殿、御身は使者を斬り捨てるとは甚だよろしからん」
「いや、決して使者を斬り捨てた訳では御座いません。第一に御遣いに来ました久松も狸でして、都合三匹を殺しました。皆玄関先で死んでおります」
「服部殿は狸ではあるまい」
「いや、これも大狸だったので斬り捨てました。つい先ほどは貴方も来ました」
「俺は今来たばかりだ」
「貴方の前に来ましたので、これも斬り捨てましたが、貴方は正真正銘の奥平久兵衛殿です」
「見違えられて堪るものか…。さて後藤殿、その様な事なら、御前体を取り繕うから暫く謹んでおられるのがよろしい。私は再度の使者で来たが、そういう事なれば御前に言上致そう」
と、いい立ち帰って御上へ申し上げますと、
「暫くの間、閉門」
と、いう事になりました。
小源太が閉門になって五日目の事であります。菩提山の裏手にある熊田の熊田村という処の百姓、熊右衛門の杉山から、正午を少し過ぎたと思われる時分に、恐ろしい煙が上がりました。
(さては火事だ)
と、半鐘をジャンジャン鳴らし、番木を叩くと、火消が堂々と纏を立てて出ていきましたが、火事は何処にも見当たりません。
「火事は何処か、知らんか」
と、聞いても、
「隣りの辻番でお聞きなさい」
「べら棒め、火事を辻番で聞く奴があるか…」
(不思議だ)
とは思いましたが、仕方がないので引き払い、これを重役に届け出ました。
すると、翌日の正午時分になると、またもや杉山に煙が上がり、火消が繰り出してみると、やはり火事は見当りません。火消し達は、
(はて、不思議な事があるもんだ。やむを得ないのでこれを届出て、明日は火事があっても出掛けない事にしよう)
と、相談をして決めました。
三日目も、同じことが起こり、
「いや、また始まったな。今日は出ない方がいい。無駄足を踏むだけだ。詰まらねえ」
といって、火消達は出掛けません。
すると役人が、
「これこれ、火事があるのに何故出ない」
「ヘイ、出ても無駄足なので」
「馬鹿野郎、早く出ろ」
「畏まりました」
といって、出掛けましたが、やはり火事は見付られません。
「そらみろ、だから『出ねぇ』といったのだ」
と、愚痴をいいながら引き返し、重役に届出ました。
重役方は評定を開き、御上に申し上げますと、
「煙は度々上がるのに火事ではない。ただ、この火を火事でないとして火消に出ないと、飛んでもない大火に成り兼ねない。だからといって、火事でないのに出掛けるのは馬鹿らしい。
これはおそらく狸の仕業に違いない。狸狩りを催せ」
と、仰られたので、『御触れ』を出すことにしました。
そこで、この狸狩りの総大将には、
「後藤小源太こそしかるべし」
と、いう事になり、殿からは、
「ただし、狸を退治出来なかった暁には、先達っての罪もあるので、後藤を縛り首と致す」
ということで、奥平久兵衛が使者となって行きますと、閉門で謹んでいた小源太は、
「元より望むところです」
と、大いに悦び、勇み立って在々村々へ沙汰を出しました。その内容は、
『一軒に付きて米俵一俵に松葉を入れ、唐辛子をコテコテ入れて差し出せ』
と、いうものでした。
百姓達はこれなら銭金はいらないので、中に松葉と唐辛子を入れた米俵を持って来ました。
小源太は、
(これを狸の元穴に置いて燻、狸が出て来たところを、片っ端から退治しよう)
との魂胆で、その狸のいる元穴を見付ける為、唯一人で菩提山菩提寺の裏山を調べていた時に、『隠神刑部神』という天智天皇の御代に出生したという古狸と問答になったとの事でございます。
この名代の狸問答は次席にて申し上げます。