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乳幼児の避難-能登半島地震での体験談と今後の備え

能登半島地震では、乳児を連れた方々も避難所で集団生活を送っています。発災直後は離乳食がなく、紙おむつやおしりふきなども不足しており、不安を感じた方も少なくありませんでした。全国の自治体でも乳幼児への対応はまだ発展途上であり、専門家は災害備蓄の重要性を強調しています。
(※2024年4月6日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

地震後の避難生活での乳幼児の困難

「先の見えない中で、わずかな離乳食を消費していいのか不安だった」。石川県珠洲市の団体職員の女性(29歳)は、地震直後の生活をこう振り返ります。夫と長男(3歳)、生後10か月の長女と共に、近くの学校体育館に避難しました。指定避難所の体育館では食料が手に入らず、長女に食べさせるレトルトの離乳食もありませんでした。母乳も与えていましたが、食べ物に困る中で「出づらくなった」と感じ、不安が募りました。
被災翌日から、崩れた自宅に夫が入り、食料や離乳食などを少しずつ回収することができました。避難所でも「子どもだけに」と小さなおにぎりが配られるなど配慮がありましたが、「子どもの食べ物は十分でなく、断水で手を洗ったり拭いたりできない環境から一日も早く出してあげたかった」と話します。
6日目に2次避難先が金沢市に見つかり、体育館を出ることができました。金沢では支援物資として離乳食や紙おむつの提供があったということです。2月から再び珠洲市の避難所に戻りましたが、子どもに合うサイズのおむつや月齢に合わせた離乳食など、必要な支援物資を受け取れる体制が整っています。
「そのまま食べられるレトルトの離乳食など、子どもにとっての備えはとても大事だと思った」。断水で手も洗えない状況が続いたことから、「除菌シートやおしりふき、手口ふきも必要だった」と語りました。

発災当日の避難生活と防災準備の重要性

長男が生後3か月だった女性(28歳)は、発災当日、珠洲市内の自家用車で夜を明かしました。心強かったのは、非常用の持ち出し袋を準備していたことです。長女(3歳)を出産して以降、群発地震が発生し、市販の防災キットにおむつや子どものおやつを入れて用意していたそうです。「離乳食は月齢によって食べられるものが違うので、幅広く備えられたらいいと思います」と話しました。

乳幼児のための災害備蓄と情報発信の重要性

災害備蓄は全国で進んでいますが、乳幼児への備えは遅れています。内閣府の調査によると、全国1741市区町村のうち粉ミルクまたは液体ミルクを備えているのは72.5%である一方、離乳食は14.3%、乳幼児のおしりふきを備えているのは26.1%にとどまっています。
珠洲市では、水や食料を1000人分備蓄し、乳幼児については住民基本台帳に基づき0~3歳の201人の1割が避難するという想定で、2020年から2024年度の物資購入計画を立てていました。水や食料は26カ所ある指定避難所や災害倉庫に蓄えていましたが、ミルクや離乳食は備えていませんでした。市危機管理室の担当者は「ミルクは賞味期限が短く、哺乳瓶なども必要といった課題があり、検討していた矢先の地震だった」と話しています。

災害時に備えるための地域と個人の役割

神奈川県立保健福祉大学の教授で産婦人科医の吉田穂波さんは、「数は少なくても『どこかに必ずいる』という認識のもと、人口推移や分娩数をもとに地域の需要を推計しておくことが大事です」と述べています。また、「住民が個人で備えられるように、情報発信することも必要です」としています。
では、具体的に何をどれぐらい備えればよいのでしょうか。
吉田さんは、東日本大震災の被災者から聞き取ったニーズをもとに「あかちゃんとママを守る防災ノート」をまとめ、自身の研究班のサイトで公開しています。緊急時の必要性が高く、常に持ち歩くとよいものを「携帯用」、避難時に持ち出すものを「一次」、一時帰宅時にさらに持ち出す「二次」と、段階ごとに分けることを勧めています。「1日の生活を振り返り、子どもに必要なものを想定してみる。おむつはワンサイズ先取りするような形で備えるなど、成長に合わせて更新していくと安心です」と語っています。

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